2022年5月10日
2022.05.10 00:00
「自分の心」に従う事は非常に大切な事です。
ただし、私たちは「自分の心」というものを「自分の欲望」と混同しています。
ですから、「自分の心」に従ったと思って行動に移すと、とんでもない結果が待っている事があるのです。
そういう結果に出会えば、人は「心に従ってもろくな事がない」と結論付けます。
本当は、心と欲望を間違った自分があるとしても、「欲望=心」と思い込んでいれば、間違いにも気づきません。
その点をしっかりと見極め、その上で「心に従う」という習慣を身につけていかなければなりません。
何が心で、何が欲望なのか、その境目は実は微妙なものです。
まずは、己を律し、楽をしない事です。
あなたは見守られているのですから、その見守ってくれている存在が「喜んでくれるか」と考えてみるのです。
自分が喜ぶかどうかで考えると、欲望が満たされれば嬉しいのですから、当然「イエス」となってしまいます。
あなたが見守る立場だとして、どういう事を喜び、どういう事を喜ばないか、想像してみてください。
判断は一瞬でしなければならない場合もありますから、普段からそういうクセをつけていないと、ついつい「心=欲望」として誤った判断をしてしまう事になります。
昨日の罪と罰に照らし合わせるならば、心を欲望と捉える事は罪なのでしょう。
その結果、罰があるとしても、それは腹立たしい事でもなければ、理不尽な事でもないのです。
ルールがあるのならば、反すればペナルティもあるのです。
当然の事なのですが、私たちはそのルールを知らず(知ろうとせず)、深みにはまる危険を冒しているのです。
本当の意味の「心」というものを知らなければならない時代なのです。