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Extra18:Oración

2022.05.10 07:30

人には語れぬものがある。

それはヴァル自身も体現しているし、意味も分かる。

そして余程のことがない限り、踏み込んではいけない領域でもある。


ここはダーンバレン農園。

双蛇党が家主の遺言に従い保護した農園のひとつである。

園芸師ギルドに管理を任せているため、今も変わらず深紅の林檎を実らせているそうだ。

農園の一角にはログハウスが建てられており、そこは現在園芸師たちの憩いの場となっている。

だが彼らはある一室には入ろうとしなかった。

その部屋は、家主であった亡きディッケル・ダーンバレンの部屋だったからだ。

部屋の鍵はそもそもガウラしか持っていない、これに関しては双蛇党側からの願いである。

部屋は今も当時のまま遺されており、部屋の傍らには彼女が愛用していたチェロが置かれている。

他の楽器も見られるが、あのチェロだけは妙に輝いて見えたものだ。

それらは既に風化しており弦も切れ、到底弾けるものではない…弾けるはずもない。


たまたま園芸師たちが居ないのを良いことに、ヴァルはその部屋の扉をピッキングし開けた。


─────


それはたったひとつの興味から出た行動だった。

ガウラが着替えの様子を見せないこと。

元があの恥ずかしがり屋のヘラだからか彼女自身も少しそういう場面を見せるが、その割には頑なな様子なのだ。

それだけなら気にしない。

しばらくガウラを観察してみると、服装に違和感を覚えた。


(……左腕だけ、妙にガードが厚い)


肘から上にかけて、布が多めなのだ。

右腕は躊躇いもなく肌を見せる…アシンメトリーなその服装が、ヴァルにとって違和感だったのだ。

そういうデザインが好きなのかと思ったが、そこでふと思い出す。


(そういえば、顔のメイクはやらせてくれたが…左の面が特に化粧の乗りが悪かった)


ガウラは11年前の事故で左眼を失った。

顔の傷もその時のもの。

傷は殆ど治っており、見た目もマシになった。

まさか、まだ傷を隠しているのか?


ヴァルは踏み込んではいけない領域だと知りつつ、1人密かに調べ始めた。


─────


ディッケルの部屋は、音楽で溢れていた。

チェロ、ヴァイオリン、コントラバス、譜面台…それは彼女の人生を語る。

古びた楽譜は穏やかな風を吹かすような旋律で、小さく口ずさむと外の木々が優しく揺れた。

自然と波長が合いやすいその旋律は、裏稼業ぐらいでしか音楽を扱わないヴァルでさえ感動を覚える。


譜面を捲ると、1つの紙が落ちた。

見せるものではないとでも言いたげに、その紙は重ねられ折られている。

拾い上げ開けてみると、そこには丁寧な字が書かれていた。


[─月──

助けたその子───を失っ───。

名前も─まれ──所も。

すす汚れ、身体も火傷で─────。

私は放っておけ────。

持ち物の───リ──と刺繍──ていた。

きっと、この子の名前だろう]

[───日

この子の傷は──ないの?

失った眼は治せ────

火傷の痕が、痛そうよ。

先生には無理でも、誰か───。

子を授かれなかった私にとって、この子は大切な娘よ。

神様、どうか────]


日記の切れ端のようだった。

所々は風化によって読めなくなっていたが、大凡想像できる内容だ。

きっと、ガウラを助けたその日以降の日記だろう。


「……火傷の傷が、特に酷かったのか」


あの化粧の乗りが悪い顔の傷にも納得がいく。

そして、ディッケルの切実な願いも、痛感した。

日記の一部ということは、きっと他にも─────


「お前、何してるんだ…?」

「!?」


震えた声で呼ばれ振り返る。

そこには、小さく呼吸をしながらヴァルを見つめるガウラがいた。


─────


「なぁ、何をしてるんだ…?」

「……これは」

「ここは、ばっちゃんの部屋だ。

鍵も、私しか持っていない…」

「ガウラ、」

「出ていけ」

「……」

「出ていけ!」


声を荒らげた波長が、部屋に響き楽器を震わせる。

それがまるで魔法のようで、ヴァルは顔を強ばらせる。

これ以上刺激を与えるのは良くない…ヴァルは冷静さを保たせたまま部屋を出ていった。


─────


静けさを取り戻したディッケルの部屋には、落ちた譜面を広い整えるガウラがいた。

ガウラは時々、この部屋を掃除しに来る。

それでも楽器を持っていくことはなく、それらを丁寧に立て掛け保管する。

譜面も持っていくことはしなかった。

ガウラにとって、この部屋は時が止まったままなのだ。

綺麗にしてしまうと、あの人の生きた証も失う…典型的な考えだ。


そんな場所に、ヴァルが来ていた。

ヴァルがそんな事をするなんて、理由は知れている。

何を思って調べに来たのかは今の時点で聞く気もないが、彼女がここにいたという事実に、何故かとても胸が苦しかった。

それは怒鳴ってしまったからか?

ヴァルのその行動に恐れたからか?


「……はぁ…」


ひとつため息をつくと、ガウラはしゃんと背筋を伸ばし、歌を口ずさんだ。

それはヴァルが先程歌ったものとは違い、儚く、だが強い旋律だった。

彼女はいつも、ここへ来ると部屋を掃除し、歌うのだ。

それは祈り。

追悼。

願い。

色んな想いを詰め込んだオラシオンを。


─────


微かに聞こえるガウラの歌を、ヴァルは隣の部屋から静かに聴いていた。

歌に込められた想いが伝わる…吟遊詩人としての彼女の特性を音楽によって実感する。

部屋を出る際に持ってきてしまった紙を広げ、もう一度目を通す。

ディッケルの想いの強さを考えると、当時のガウラの傷痕はとてもじゃないが見れるものではなかったのだろうと想像する。

顔の傷でさえよく見れば跡が残っているのだ、きっと身体にも……。


(もしかして、これが理由か?)


考えれば単純だった。

あの事件を聞いた限りでも相当酷い有様だったと想像できるのに、何故こうも遠回りしてしまったのだろう。

あれだけ酷かったのだから、火傷も傷も負っていない方がおかしいというものだ。

というより、顔の傷があそこまでマシになっている方が奇跡だったのか?


部屋の外で鍵のかかった音がし足音が遠のくと、ヴァルは静かに再侵入し日記の紙切れをそっとなおした。


─────


「……おかえり」

「ただいま」


ガウラの個人宅に入ると、既に彼女は帰ってきていた。

先程のことで少し機嫌が悪そうだ。

今回は段階を飛ばしてしまったヴァルの責任…彼女が謝ろうと口を開けた途端、ガウラが声を出した。


「調べものがあったんだろう」

「すまない、許可もなく入って」

「……いつかは、片付けなきゃと思っていたんだけど、なかなかそうはできなくて。

それで、今も変わらずあのままなんだ」

「………」


ヴァルは話に耳を向ける。


「せめてここに魂が留まらないように…オラシオンを歌うのは、それが理由だ。

聴いていたんだろう?

物音がなくたって、気配は筒抜けだよ」

「すまない…盗み聞きをして」

「それで、結局のところ何しに来ていたんだい」

「……ガウラ、お前のその火傷の痕は、そんなに酷いのかい…?」

「………誰にも言うなよ」


そう言うとガウラは自室に行ってしまった。

相当怒らせたのかと冷や汗を感じたが、どうやらそうだったわけではなく、数分後に彼女は部屋から出てきた。

胸元こそ隠しているが、滅多に見ないような露出度だ。


「お前、顔の傷が顔だけに影響していると思ってなかったんだろう。

だから疑問が出たんじゃないか?」

「……、」

「お前ならどれだけ酷い傷でも見慣れているだろうと判断したから話すことに決めた。

…お前の想像通りだよ」


階段上から見下ろすその顔は、今まで見た事ないような無表情さだった。


─────


首元はマシだが、鎖骨から左の上腕、背中と大きく傷痕が残っていた。

切り傷や擦り傷は…今でもよくやってるが、それよりも深く、痕が残っている。

皮膚も少し赤く変色しており、それは素人の目で見ても治せるものではないとすぐに分かる。


「ばっちゃんが私を拾った時からあった痕さ。

汚れまみれだったし、火傷の痕もちゃんとした処置もせず野ざらしになっていたから手遅れだったんだ。

顔の傷も本当は治る見込みがなかった。

けどまぁ、流石錬金術師ってところだよな…義眼を作るのと同時に炎症を抑える薬まで作ったんだから」

「身体の方は」

「手遅れだったって言ったろう?

顔と首周りは奇跡的にマシになった程度だ、多分、義眼の錬金術と相性が良かったんだろう」

「そう、か…」

僅かな希望さえ持たせてくれない答え。

『アリスとヘリオにバレるとめんどくさいから、誰にも言うなよ』

そう念を押して、ガウラは早々に服を着た。


─────


……偉く過去に感じるような出来事を思い出した。

任務疲れでガウラの個人宅に帰って早々にシャワー室へ向かったら、先客がいたからだ。

先客のガウラはシャワーを終えたのか、着替えようとしていたところだった。


「………」

「…………!

すまない!」


一瞬、お互いが固まってしまった。

疲れで物音も気づかず扉を開けてしまったヴァルと、扉を開けられびっくりした様子のガウラ。

久しぶりに彼女の火傷の痕を見た気がする。

あの時以降はよく治療も任せてくれていたから痕を見る機会も増えたが、ここ最近はお互いが穏やかな日々を過ごしていたからか怪我をすることも無かったのだ。


「すまないね、ヴァル!

おかえり、その、シャワー浴びるんだろう?」

「あ、あぁ…」

「タオル、ちょうど切らしてしまったからすぐ持ってくるよ」

「分かった」


そそくさとタオルを取りに行ったガウラは、あの時の険悪な様子はなく、どことなく落ち着いた様子だった。


─────


ちなみに、ディッケルの部屋はあの件から数日後、ガウラが片付けた。

辛うじて形状を保っていた楽器は個人宅に持ち帰り、修復。

現在は丁寧にショーケースの中に飾られている。

ガウラの歌うオラシオンは、片付けたその日以降は個人宅で聞くようになった。

儚く静かで、それでも力強い旋律を、今日も穏やかに過ごせるようにと祈りながら奏でる。

その歌を聴きながら、ヴァルも祈る。


彼女が、これからも長く生きてくれますようにと。