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大矢英代|Hanayo Oya

再放送決定!「テロリストは僕だった〜沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」

2017.12.23 09:42

昨年私が制作させて頂きましたドキュメンタリー「テロリストは僕だった〜沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」(琉球朝日放送・2016年放送)が今年度テレビ朝日PROGRESS賞最優秀賞を頂戴し、この度、再放送が決定しました。

イラク戦争でテロリスト掃討作戦に参加した一人の元海兵隊員の姿を通じて、米軍の構造的暴力、沖縄の米軍基地、そして国家とは何かを問う番組です。ぜひご覧ください!


・テレビ朝日(関東地方)12月30日(土)あさ4時55分〜放送予定

・琉球朝日放送(沖縄県内)12月31日(日)午後3時30分〜放送予定


今日は、この機会に制作秘話を・・・。



実は、この番組は、 2年前のちょうど今頃、ある偶然から生まれた。


2015年12月。その日、辺野古のキャンプシュワブのゲート前で、別のドキュメンタリーの撮影をしていた私は、聞きなれない言葉を耳にした。


「ノーモア・ミリタリーベース!」


基地建設反対を訴え、体を張って座り込む人々の中から

なぜか英語が聞こえてくる・・・。


ふとみると、そこには約10人のアメリカ人たち。

服には「Veterans For Peace(平和を求める元軍人の会)」の文字。


「え?!この人たち、元米兵なの?!・・・でもなんで座り込みしているの?!」


困惑する私の目の前で、機動隊に運ばれていった一人が、かつて沖縄の米軍基地に駐留していた元海兵隊員、マイク・ヘインズ(取材当時40歳)だった。

祖国アメリカでは、アメリカの自由と正義を守った「ヒーロー」と賞賛される元兵士たち。


そんな彼らが、なぜ、わざわざ沖縄に来て、しかも基地建設に反対するのか?

不思議に思い質問をぶつけた私に、マイクは顔を歪めながらこう語った。


「僕はイラク戦争に行きました。

戦場にあったのは、言葉にならない痛みと、苦しみと、死だった・・・テロとの戦いのために派兵されたのに、テロリストは僕自身だった」


「テロリストは僕自身だった」

この時のインタビューでマイクが放ったその一言が、この番組の出発地点となった。


彼がなぜ沖縄の基地建設を止めようとするのか。

その戦争体験とは何か。


それを求めて、2016年夏、私はアメリカへ渡った。

街中のメインストリートにどこまでも続く「ホームタウン・ヒーロー」の旗。

故郷出身の兵士たちを「クール」と賞賛する地元の高校生たち。

そこにあったのは、英雄化された、兵士・元軍人たちの姿だった。

  

18歳の頃のマイクも、そんな「ヒーロー」に憧れた一人。

「国を守りたい」という愛国心とともに、米軍に入隊。待っていたのは、13週間の海兵隊初年兵訓練だった。

「自分の体が銃と一体化しているような感覚になるまで、徹底的に人殺しの訓練をさせられた」と、マイクは語る。

  

そして、「チェーン・オブ・オーダー(命令の鎖)」の中で縛られ、

考える思考力を禁じられ、ついに、2003年イラク戦争へ。

 

その戦場でマイクが行った「テロリスト掃討作戦」では、テロリストがいるとの米軍情報に基づき、「潜伏先」を襲撃してみると、そこはただの一般家庭だった。

泣き叫ぶ幼い子どもたち。

狼狽するお年寄り。

それでも命令に従い、テロ行為に関わっていそうな年齢の若い男性を家から連行し、尋問部隊に引き渡した。


結局、マイクが実行した作戦の60%以上が間違った情報で、ただの一般家庭だった。

それは多くのアメリカ人が信じる「ヒーロー」とは程遠いものだったという。

9・11を発端に始まった「対テロ戦争」開戦から16年。

戦争に行った兵士達は、今、どうしているのだろうか。


私は、ホームレスが多く暮らす、ニューヨークを歩いた。

日がとっぷりと暮れて、煌びやかなビル街のネオンが踊る中、

路地に寝転ぶ一人の男性がいた。


「元兵士達はどこにいますか?」

そう声をかけると、「僕だよ」と男性は言った。

アフガニスタンから帰ってきたあと、行き場を失った元陸軍兵だった。


「今でも時々、戦争のことを思い出す」

と彼は行った。

「どんなことが心の傷になっているの?」と私が尋ねると、

今にも消えそうな声で語り始めた。

瞳は、怯えていた。


「アフガニスタンでは、前線で戦死した兵士達の遺体を処理した。

忘れられないのは、小さな子どもたちの遺体だ。

なんで子どもたちが死ななければならないのか・・・。」


帰国後、軍隊をやめて、一般職に就こうとしたが、できなかった。


フラッシュバックする戦場のトラウマ体験、

罪悪感と心の傷、

そして軍隊という特殊かつ閉鎖的な環境の中で生きてきた者達にとって、

一般人が暮らす「シビリアン・ワールド」は違う星にきたかのような感覚なのだという。

そこでゼロから、人生をやり直すのは、戦争に行ったことがない私たちの想像を超えるほどの苦悩を要することだ。

 

「一度兵士になったものは元の生活には戻れないのよ」と、

元兵士たちの社会復帰を支援する女性は語った。

 

「軍隊に入隊する時は、徹底したトレーニングを受け、命令に従う兵士になる。

でも、軍隊を辞める時には、元に戻るトレーニングなんて存在しない。

それが問題なのよ。」

 

それでも貧困街に暮らす人々に話を聞けば、

「より良い生活のために軍隊に入隊したい」と目を輝かせる。


「海軍に入隊して、いい家に住みたい」

そう語ったある女性は、19歳にして、未婚の母だった。


そして現役の兵士たちは言う。

「もし米軍と同じ特典をくれる仕事が他にあったならば、僕は入隊しませんでした」

彼らの声にマイクを向けながら、私は、10年前のある出来事を何度も思い出していた。

2007年、アメリカの大学に留学していた時のことだ。


あの年のアメリカはリーマンショック直前の深刻な経済不況が始まっていて、私が通っていた大学内でも学費が払えなくなり、学業を諦めざるをえない学生たちの姿がちらほらと出てきていた。


そんなある日のこと、大学のキャンパスである変化がおきた。

ネイビー色の制服を身にまとったアメリカ兵たちが学内に現れ、学生たちを勧誘し初めた。


「軍隊に入れば、学費もあげる」

「卒業後の就職も斡旋してあげる」

「危険な戦地には行かせないから、安心して」


そんな甘い言葉で勧誘する米軍のリクルーターたちの姿は、

当時20歳の私には衝撃的だった。


「米軍に入隊しているのは、金銭的に困窮する若者たちじゃないか・・・」


あれから10年。

アメリカで見た兵士や元兵士達の姿は、あの頃となんら変わっていないように思える。

  

一般社会の人々から「英雄」と賛美され、「愛国心」という言葉で固められた彼らの本当の姿は、社会的に助けを必要としている人々だった。

   

そんな取材の中で、私には、どうしても忘れられない場面がある。

マイクと訪れたサンディエゴの街中で、20代の海軍兵に「戦争に行くのは、怖くないの?」と尋ねた時のことだ。

彼は、「ノー」と答えた。微塵の迷いもなしに。


「戦争に行くのは、怖くありませんよ。

僕はニューヨーク出身です。

生まれ育った場所は暴力や犯罪が蔓延し、

もうすでに戦場のようでしたから。」

 

私は言葉を失った。

戦場のような生まれ故郷。

そこから逃げるために、生きるために、軍隊に入隊したという青年。


「『まだ』本当の戦場には行っていませんが・・・」


最後に笑いながら、そう語った彼の「まだ」という言葉の響きは、

これまで私が聞いたどんな言葉よりも苦しく、悲しいものだった。

「もう二度と、戦争には加担しない」


マイクを始め、この取材の中で出会ったベテランズ・フォー・ピースの元米兵達の思いは、一貫していた。

自らの戦争体験を通じて、確信を以って、摘むぎ出された教訓だった。 

 

それは72年前、悲惨な地上戦を経験した沖縄の戦争体験者たちが

取材の中で私に語ってくれた言葉と同じだった。

 

だからこそ、私は、この番組を、沖縄から伝えたかった。

「軍隊で、戦争で、平和はつくれない」

沖縄の人々と、元米兵たち。彼の思いの原点は、同じなのだ。


「ディレクターとして、この番組で一番伝えたかったことは何か。」

 

そう問われれば、私は「日本人としての責任」と答えたい。

 

イラク戦争開戦時、私は高校生だった。

この戦争が一体何のための戦争なのか。

そこにどんな正義があるのか。当時の私は、考えようともしなかった。


しかし、イラク、アフガニスタンなど

「対テロ戦争」開戦時、真っ先にアメリカを支持した国・日本。


今はこの国民としての責任を、深く感じている。


あの戦争で犠牲になったイラク、アフガンの市民に対しても、

戦死した米兵たちに対しても。

未だにPTSDで苦しみ続ける元兵士達に対しても。


まぎれもなく、私たち日本国民には、戦争を支えた者としての責任があるはずだ。

その責任からは、日本国民は逃れることはできないはずだ。

 

だからこそ、イラク戦争に従軍したマイク・ヘインズの声を通じて、この国に生きるみんなに考えて、自問して欲しい。


「それでも、私たちは新たな基地を沖縄に作るのですか。」

「私たち日本人は、どんな国民として生きていくのですか。」

 

この番組の制作を支え、ともに作り上げてくれた琉球朝日放送の諸先輩方、

再放送実現にご尽力してくださったすべての方々、

そして大事に受け止めてくださる視聴者の皆様に心からの感謝を込めて。