心の贅沢を味わう
私の生きる基は″品よく美しく生きる″である。こんな不ざまな姿を人さまに見られたくなくて、手を洗い終わるやいやな、身をすくめてAちゃんの部屋へ突進した。
Aちゃんは私を見るやいやな絶句した。が、Aちゃんは非常にもの慣れた様子で私をドレッサーの前に座らせ、コテを使い、観覧注意となった私の髪をスタイリングしてくれた。
「フランスの女優風に」という私の注文に、Aちゃんが含み笑いといおうか、微妙なニュアンスになる。が、Aちゃんの並々ならぬ努力のおかげで、なかなかの仕上がりとなった。お転婆な先輩のために、こまごまと世話を焼いてくれるAちゃん。将来さぞかしいい奥さんになるであろう。よからぬ想像をしてしまう私であった。
「恋の手練れ者は、これで失礼します」玄関で挨拶をして帰ろうとすると、たくさんある扉の一つが開き、中から女性が出てきた。Aちゃんのお母さまだ。
遠くからでもすぐ美人だとわかった。髪もメイクも完璧。横から見ても、ノースリーブの二の腕は細く、肌に吸いつくような生地のパンツのヒップラインはグッと上がっている。そこから伸びた脚はすんなりと長く、足元はハイヒールを履いている。日本人離れしたゴージャスなその美貌からは、イブニングドレスを着慣れている人の独特の貫禄があたりに漂っていた。
キリのように細いヒールで大理石の上をコツコツと歩き、こちらに近づいてきて「あら、あなたが恵美子さん、素敵、カッコいい」とチヤホヤしてくれた(本当に)
私は感動してしまった。さすが美人の娘を持つだけあって、近くで見ても目を見張るほどの美人で、みやびな方であった。そのお母さまが私のことをそんなに誉めてくれるとは、、、。
「ねえ、お茶をお入れするからこちらにいらして」成人した子供がいるとは思えない艶っぽい笑みを浮かべて私の手を握った。
目の前にうっとりするほど美しく気品に溢れた女性がいる。その方がひたすら自分のことを賞でてくれる。この状況で誘いを断る人が誰かいるであろうか。私は握られた手を握り返して、すごい勢いでリビングへ向かった。
リビングは信じられないほど広く、静かで清らかな空気が流れていた。お母さまのこだわりと仕掛けがそこかしこにみられた。さりげなく飾られた現代アートの数々。長い時を超えて愛されたアンティークの飾り棚には、ありとあらゆる美しいものが所狭しと並んでいる。その飾り棚の上に置かれた大きな壺には色とりどりのネイティブフラワーがどっさりと設えてある。
私は感嘆した。草花の素材の流れを生かした設いがまるで奇跡のような美しい形をつくり出している。色合わせの緻密さといい、背景となる住空間に対する抜け感といい、見事なものである。いつのまにか感嘆が芸術の深みを味わう感動に変わっていった。
へばりつくような顔で感じ入る私にお母さまは言った「お花のお稽古に通っているのだけど、なかなか上達しなくって」
えっ、これって私が今ハマっているお稽古ごとと同じじゃない。私ってゴージャスな方たちとこんなに近くにいたのね、などとはしゃいでいるのもそれまでで、話を詳しく聞くと、お母さまはAちゃんが生まれるずうっと前からお稽古を続けているとのことであった。お稽古をはじめてまだ数年足らずで得意になっている私とは、何という違いであろうか。
おしゃれの感度もスタイルもバツグンで、カッコいいことこの上なしのお母さまは私の不躾な質問にも、快く答えてくれた。
ヘアーサロンでブロウしたばかりのようにツヤツヤした髪。私は思うに、ある程度以上の女性の年齢が一番出るのが、喉元と並んでこの後頭部だ。お母さまは栗色に染めた髪を大きく膨らませ、後頭部をうまくカバーしている。なんと、必ず週に二回はヘアーサロンに行っているそうだ。あの光りとテリというのは、男の人がこの女性にお金をかけてやらなきゃいけないと思わせるものがあるはずだ。
家の中でも足元は常に、どうやって歩くのかと頭をひねるほど高いヒールの靴。そう、こちらのお宅にはスリッパなんかない。家の中でもハイヒールでいるということは、もちろん髪も洋服も完璧にしているということだ。「だらしない格好をしていると、自分が気分悪くなるから」とのことだ。全体のシルエットが丸っこくなりヨタヨタと歩いている大人の女性を見かけて、目のやり場に困ることがある。「どうせ見る人もいやしないんだし」と思ったあの日が、その女性の中で何かが終わった日であろう。ラクチンを求めた靴を履くことによって、大切なおしゃれ心は磨り減っていくのである。
私はここで大きな教訓を得る。最初からおしゃれな人なんていない。失敗しながら気を使い、頭も使い、お金だってもちろん使ってセンスを自分のものにしていく気概がなければ、洗練されたおしゃれな大人の女性にはなれないのである。かくしておしゃれというのは″つけ焼刃″がきかないのだ。
ファーストクラスの美女といると女性は不思議なパワーをもらうのである。こんな時間こそ、女性の脳ミソと体を変えると私は信じているのである。
この後続きがあります。