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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

48年革命3-フランス2月革命共和制へ

2022.05.12 11:34

1848年2月23日、国王ルイ・フィリップは、これまでのように首相解任でやりすごそうと、ギゾーを解任した。ギゾーは後任にモレ伯爵を推薦したが、民衆は収まらずデモを続けた。24日にはもう民衆も武器を持ち、軍と衝突した。しかし国民衛兵はフランス革命のように民衆側に寝返る者も多い。

次に呼び出されたのは、元首相のティエールである。ティエールはパリを脱出して、地方から反転攻勢を提案したが、失敗したらルイ16世のように処刑することを恐れ、行き詰ったルイは退位することを選んだ。そして孫のパリ伯フィリップに譲位することを宣言した。

民衆の側でイニシアチブをとったのは、改革宴会を主導していたロマン派詩人のラマルティーヌである。彼は「ジロンド派の歴史」を書いた穏健な自由主義者で、共和制を提唱した。そこでルイ・フィリップは引き下がり、イギリスに亡命する道を選んだ。24日ラマルティーヌが主導して臨時革命政府ができた。

臨時政府は共和制を宣言した。が、政府は右派から社会主義者の左派までの寄り合い所帯となった。とりあえず首班は、フランス革命からの政治経験の長いデュポン・ド・ルールが選ばれ、赤旗を国旗にすることを阻止して三色旗を国旗にした。一方ルイ・ブランを閣僚にする。