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富士の高嶺から見渡せば

「反知性主義」の克服に挑む韓国新大統領の挑戦

2022.05.12 15:19

「自由」という言葉が35回も使われ、「反知性主義」という庶民には馴染みのない哲学用語まで飛び出した新大統領就任演説。歴代大統領の就任演説は8000字に及ぶことが多かったのに対し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏のその半分以下の3400字、16分間の演説だった。すべて尹氏自身が草稿に手を入れたといわれるが、彼の個性と哲学がよくわかる演説として歴史に記録されるかもしれない。

5月10日午前11時、国会議事堂前の広場で国内外から4万1000人の招待客を集めて行われた就任式では、国会正門前で車を降りた尹氏と夫人が会場の演壇まで長さ180メートルの距離を、列を作る一般市民とグータッチで挨拶しながら、徒歩で移動した。国民の声を聴き、国民の近くで仕事をするという新大統領の決意を示す姿だった。ほとんど表に出ない金建希(キム・ゴニ)夫人のほうがそのファッションや仕草を含めて注目度は高く、尹大統領の3歩後ろを目立たないように歩いても、何かと目を引き付ける存在だったが、尹大統領の演説は、それに勝るとも劣らない、聞く人の耳を引き付ける名演説だったといえるかもしれない。

尹大統領は、演説を「尊敬する国民の皆さん、750万在外同胞の皆さん、そして自由を愛する世界市民の皆さん」という呼びかけで始めた。「自由を愛する世界市民」とは、同じ価値観を共有する国々、米国や日本などの国民と共にあるという宣言であり、中国や北朝鮮と一線を画したことは明らかだ。

(以下、尹錫悦就任演説の翻訳は李相哲TV5/11「尹氏就任の辞で何を伝えようとしたか」の訳文を参考にさせてもらった。)

続けて「私はこの国を自由民主主義と市場経済システムを基盤に、国民が本当の主人の国として“再建”し、国際社会において責任と役割を果たす国にするためにこの場に立ちました」と述べた。ここで「再建」というからには、自由民主主義や国民が主人である国が前政権で破壊されたことを示し、文在寅は国際社会への責任を果たさなかったと言いたいのであろう。

(以下、「カギ括弧」内は演説文、(マル括弧)内は筆者のコメントとする)

「これまでコロナを克服する過程で大きな“苦痛”に耐えてくれた国民の皆さまに敬意を表します。そして献身してくれた医療陣の皆さんにも感謝申し上げます。」(この「苦痛」を与えたのは文在寅の「K防疫」であり、コロナ克服にK防疫や文在寅が貢献したとは一言も言及しなかった。)

「国内では度を越した二極化が社会発展を妨げています。解決するのは成長のみです。科学技術の進歩を成し遂げた国々と協力しなければなりません。平和は自由と人権の価値を尊重する社会との連帯により守られます。」(つまり、ここでも科学技術を持つ米国や日本との連帯を示し、自由や人権を蔑ろにする中国や北朝鮮を排している。文在寅はその中国と北朝鮮と接近し、金正恩と会談したことを持って、朝鮮半島に平和がもたらされたと豪語した。しかし、文在寅が退任した今、朝鮮半島には合意の跡は何も残されていない。)

「一時的な戦争を回避する脆弱な平和ではなく、持続可能な平和を追求しなければなりません。」(文在寅は、それこそ北朝鮮との「終戦宣言」という“一時的”で“脆弱“な弥縫策に最後まで執心した。しかし、当の北朝鮮からは無視され、中国や日本からも顧みられることもなかった。)

「世界の平和を脅かす北朝鮮の核開発について、平和的な解決のために対話の扉は開いておきます。北朝鮮が核開発を中断し、実質的な非核化に転換するならば、国際社会と協力して北朝鮮経済と住民の生活を画期的に改善できる大胆な計画を準備します。」(ここで“北朝鮮の非核化”といい、“朝鮮半島の非核化”と言わないのは、北朝鮮の主張に擦り寄った文在寅とは決定的に違う。北朝鮮に非核化の意志などなかったにもかかわらず、 “朝鮮半島の非核化”を主張する北朝鮮の立場に寄り添い、卑屈に従ったために、北朝鮮の非核化などいっこうに進まず、かえって北朝鮮の核・ミサイル開発に時間的余裕を与え、現在の事態を招いた。それは文在寅の完全な間違いだった。)

ところで、尹大統領は、グローバルサプライチェーンのリスク、気候変動、エネルギー危機、低成長と失業、社会の二極化などの懸案に政治が十分対処できていないとしたうえで、それらの懸案を解決するためには、見解と立場の違いを調整し、妥協することが必要だと指摘し、それこそ民主主義を支える合理主義と知性主義だと強調する。

「多様な危機が複合的に人類社会に暗い影を落としています。我が国を含めて多くの国が多様な社会的葛藤により、共同体の結束力が揺らいでいます。民主主義がその機能を発揮できずにいます。最大の原因は“反知性主義”です。考えの違いや異なる立場を調和させ、妥協するためには、科学と真実が前提とならなければなりません。」

(“反知性”とは、合理的ではないということだ。慰安婦問題も徴用工訴訟も、Fact=事実はどうだったのかの究明は何もなく、“性奴隷”や、“強制労働”といった一方的断定に依拠し、事実よりも自分たちの感情を大事にし、感情的な主張にも盲目的に従い、合理的な思考や判断には従っていない。文政権では、そうした事実を事実として認めない事例が相次いだ。脱原発を公約に掲げた文在寅は、建設中の原発をストップさせるために、原発の経済効果に関するデータの廃棄を指示した。韓国海軍の駆逐艦による海自哨戒機へのレーダー照射では、はっきりとした電波記録があるにも関わらず、当初認めていたレーダー照射の事実を途中から否定した。文在寅は、“福島第一原発の事故では1300人の死者が出た”と全くでたらめな発言をし、処理水の海洋放出問題では、IAEAが科学的に安全だと表明しても、ありもしない海洋汚染の被害を訴え続けている。事実も科学も合理性も知性も、何もあったものではない。反知性主義の異常な国だった。尹政権は、それを克服できるのだろうか?)

「国家間、そして国家内部における行き過ぎた集団的葛藤により、真実は歪曲され、自分が聞きたいもの、見たい事実だけを選択したり、多数の力で相手の意見を抑圧する反知性主義が民主主義を危機に陥れており、民主主義に対する信頼を損ねています。」

(“行き過ぎた集団的葛藤”とは、朴槿恵を弾劾したろうそく集会や日本の輸出管理に反発したノージャパン運動の反日集会のことであり、まさに“真実は歪曲され、見聞きしたいものだけを選択”した例だ。そして“多数の力で相手の意見を抑圧”するとは、国会で圧倒的多数を占める文在寅の「共に民主党」そのものの姿であり、政権末期には検察から捜査権をはく奪して自身や党の関係者に捜査の手が及ばないように卑怯な立法を繰り返し、新政権になっても国会で新閣僚人事を承認しないなど、数の力で妨害して横暴の限りを尽くしている。)

「尊敬する国民の皆さん。世界市民の皆さん。このような困難を克服する何より重要なのは普遍的な価値を共有することです。普遍的価値、それは自由です。われわれは自由の価値を正しく認識する必要があります。自由の価値を再発見する必要があります。自由な政治的権利、自由な市場が生存するところには、どこであれ必ず繁栄と豊かさが約束されています。」

(文在寅は政権を握ってから、憲法にある「自由民主主義」という言葉から「自由」を削除する憲法改正を画策したことがあるという。なぜ、それほど「自由」を嫌っていたのだろうか?自由を否定した文政権は、労働者の労働時間を制限したり最低賃金の大幅に引き上げるなど市場原理に反する政策を進めた。最低賃金の引き上げは、自営業者の経営自主権を奪うことであり、かえって若者の雇用の機会が奪われることにつながった。不動産価格の高騰が問題になると投機的な行為につながるとして公務員の2軒目の住宅取得を禁止した。こうした社会主義的な政策にとって「自由」の概念は邪魔だったのかもしれない。)

見てきたように、尹錫悦新大統領の就任演説は、前任の文在寅を反面教師にして文在寅の政策を全否定することによって、文在寅の失策を乗り越えるための方策を提示することが趣旨だった。文在寅の失策を、科学と真実から目を逸らす「反知性主義」にあると喝破し、数の力に頼り、陣営の論理だけで自分たちの主張を通す感情的・非理性的な集団的葛藤こそ、社会の分断を招き国際社会から遊離した原因だとみるのである。そしてそれを克服する手段は自由の価値を正しく認識し、その価値を再発見することだという。

「自由な政治的権利、自由な市場が生存するところには、どこであれ必ず繁栄と豊かさが約束されている」とは、彼が、彼が若いころ父親から読むように勧められ、最も感銘深く読んだというミルトン・フリードマンの『選択の自由』やジョン・スチュアート・ミルの『自由論』、それにダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』などの読書を通して積み上げてきた思索の成果なのかもしれない。ちなみに、この3冊は、大統領選のさなか「人生の本」を推薦してほしいという大韓出版文化協会の質問に対し、尹大統領が上げた3冊で、『選択の自由』は規制資本主義の虚構性を指摘し、『自由論』は自由の範囲を論じた古典書籍であり、『国家はなぜ衰退するのか』では「分配が公正でない社会は持続可能でない」という言葉がもっとも記憶に残っているという。そしてこの3冊のコンセプト「自由・市場・公正」こそ、今回就任演説の基調となった概念だった。

韓国経済新聞5/7「尹錫悦次期大統領、就任演説の核心キーワードは「自由」

それにしても、尹大統領がいう「自由・市場・公正」といった概念を韓国人は理解し、それを実践に移すことができるだろうか?「反知性主義」といえば、日本による植民地近代化を否定し、恨みだけを記憶する「反日種族主義」にも通じるものがある。また「成長」より「均等な分配」を強調し「持てる者」を敵視するなど韓国特権層の思考方式が朝鮮王朝後期へと退行していると指摘する『新両班社会』(キム・ウンヒ著)と共通するものがありそうだ。

要するに「反知性主義」とは朝鮮半島に古くから根付いた前近代的な観念であり、これを克服するには、それこそ文明史的な転換が必要であり、尹大統領はそんな気が遠くなるような挑戦に立ち向かっているのである。