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江戸町巡り

【北豊島】巣鴨

2017.12.24 02:58

町名:巣鴨 一~四丁目

読み方:すがも Sugamo

区分:町丁

起立:1872(明治5)年4月

廃止:存続

冠称:なし

現町名:豊島区巣鴨一~四丁目

概要:1872(明治5)年4月、江戸期の巣鴨町に武家地を加えて成立。一丁目は下組、東横組、武家地、二丁目は下中組、枡形横町、武家地、三丁目は上中組、武家地、四丁目は上組の地。

1878(明治11)年7月22日、東京府小石川区所属。1889(明治22)年4月1日、市制町村制により、東京府小石川区巣鴨一~四丁目と北豊島郡上駒込村、駒込染井町駒込妙義坂下町及び巣鴨村の字下新田(飛地を除く)、字平松、字宮下、小石川区小石川大塚辻町の飛地が合併して東京府北豊島郡巣鴨町が誕生。6大字を編成。当町は東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨一~四丁目となり消滅。1903(明治36)年4月1日、巣鴨駅が開設。日本鉄道豊島線の田端~池袋間が開通した。

なお、北豊島郡巣鴨町は1932(昭和7)年10月1日、西巣鴨町、高田町、長崎町を合併し、東京府東京市豊島区が発足。大字巣鴨一〜四丁目はそのまま一~四丁目となり、もと北豊島郡巣鴨村(字下新田、平松、宮下)だった巣鴨町大字巣鴨は五~七丁目となり、小石川区大塚辻町だった巣鴨町大字大塚辻町は六丁目となった。1943(昭和18)年7月1日、東京都豊島区に所属。

住居表示の実施により、1969(昭和44)年4月1日、駒込四・五丁目の各一部が一・二丁目に編入、1970(昭和45)年1月1日には、巣鴨一〜七丁目が一〜四丁目の全部、五丁目の一部、西巣鴨二丁目、北大塚一・二丁目、南大塚一〜三丁目に分割され、西巣鴨四丁目の一部が四・五丁目に編入となる。

※『角川日本地名大辞典』には「二丁目は下中組・マス形横町・真性寺門前…」とあるが、巣鴨真性寺門前は1869(明治2)年に既に下中組に編入されている。


なお、そもそもの「巣鴨」について以下に詳述する。

「須賀茂」(延宝江戸図)、「菅面」(役帳)、「洲鴨」、「洲処面」とも書いた。地名は地形に由来するといわれ、大きな池があって鴨が群れ棲んでいたから「洲鴨」とも、また、近くに石神井川が流れ、それに臨んで「洲処面」の名が付けられたとも伝えられているが確かではない(豊島区史)。

[中世]巣鴨 戦国期に見える地名。古くは「巣鴨荘」という荘園であったというが確証はない(荘園志料)。「応安元年正月六日、芳賀伊賀守高貞、武州板橋原に打ち出でければ、上杉兵庫頭憲将、同兵部少輔能憲大将として千葉介直胤二千騎、是も武州巣鴨に陣取云々」(新編武蔵)とあり、交通の要衝であったことをしのばせている。永禄年間(1558~1570年)には小田原北条氏の臣恒岡弾正忠の所領として「壱貫五百文 江戸菅面之内中丸」が見える。当地の新義真言宗東福寺は1562(永禄5)年、良賢の中興という。江戸期の巣鴨村の辺り。

[近世]巣鴨村 武蔵国豊島郡戸田領のうち。1591(天正19)年以後、増上寺領。村高ははじめ130石(田園簿)、元禄年間(1688~1704年)には126石余(武蔵国郡郷帳)、天保年間(1831~1845年)には105石余(天保郷帳)。明治初年には128石余(旧高旧領)。村内9町余が御用地となり、武家屋敷の替地となった。1745(延享2)年、巣鴨町及び巣鴨辻町が町奉行支配となり、他に真性寺門前にあった。村内に御薬園があり、また中山道から王子道に分岐する角に庚申塚が立っていて、碑銘に「明暦三年三月吉祥日」とあり、安藤広重も『巣鴨庚申塚』の図を描いており、地名にまでなっている。鎮守は十羅刹女社(天祖神社)。福蔵寺が管理していた。中山道に面する真性寺には江戸六地蔵の1つがある。村の北から南へ谷端川が貫流。用水は千川上水を使用。化政期(1804~1830年)の家数は113軒。特産品は小蕪、牛蒡。菊の形造り(菊人形)で知られる江戸町民の遊楽地であった(江戸名所)。村内の小名「大根原」は『役帳』にも見える地名で、江戸初期には「大根原村」と見えるという(豊島区史地図編)。明治元年11月5日(1868年12月18日)又は明治元年11月14日(1871年12月25日)、東京府豊島郡に所属。1872(明治5)年の戸数214・人口1,128、馬1匹、田7町余、畑188町余(府志料)。同年増上寺領巣鴨村の町奉行支配地が巣鴨一~四丁目となる。1878(明治11)年11月2日、東京府北豊島郡に所属。1889(明治22)年5月1日、大部分は巣鴨村の大字巣鴨となり、一部の字下新田、字平松、字宮下の地は巣鴨町の大字巣鴨となり、飛地は高田村の大字巣鴨となる。

[近代]巣鴨村 従来の巣鴨村に池袋村、新田堀之内村、堀之内村飛地字原新田、長崎村の飛地字他領と境向、中丸村飛地字中原を併せて成立。大字は巣鴨、新田堀之内、堀之内、池袋があった。1918(大正7)年7月20日、西巣鴨町となる。この間、1895(明治28)年、警視庁監獄巣鴨支署が完成。1903(明治36)年には日本鉄道豊島線池袋駅が開設。1909(明治42)年、豊島師範学校が移転した。

[近代]巣鴨 ①はじめ巣鴨村、1918(大正7)年7月20日からは西巣鴨村の大字。もとは北豊島郡巣鴨村の大部分。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市豊島区西巣鴨一~四丁目となる。②巣鴨町の大字。もとは巣鴨村の一部。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市豊島区巣鴨五~七丁目となる。③はじめ高田村、1920(大正9)年4月3日からは高田町の大字。もとは巣鴨村の飛地。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市豊島区目白町三丁目となる。④巣鴨町の大字。一~四丁目があった。もとは小石川区巣鴨一~四丁目。1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市豊島区巣鴨一~四丁目となる。

撮影場所:巣鴨二丁目

撮影地:豊島区巣鴨三丁目18番17号(御菓子司松月堂)

下雑司ヶ谷町 巣鴨町