【北豊島】駒込染井町
町名:駒込染井町
読み方:こまごめそめいちょう Komagome-Someichō
区分:町丁→大字
起立:1869(明治2)年
廃止:1932(昭和7)年9月30日
冠称:1889(明治22)年3月31日まで「駒込」
現町名:豊島区駒込一、三・四、六丁目、巣鴨一丁目
概要:1869(明治2)年、江戸期の小石川伝通院と麒祥院領の、駒込七軒町と上駒込村の小名染井を合併して起立。東京府北豊島郡駒込染井町。言うまでもなくソメイヨシノの発祥地として有名だが、上駒込村内に「染井」という名の泉があり、前述のとおりその小名となっていた地を合併したので、起立の際に採用した。1872(明治5)年、伊勢津藩藤堂氏の屋敷地を合併。同年の戸数29・人口130、全て畑地であった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府北豊島郡に所属。1889(明治22)年4月1日、市制町村制により、小石川区巣鴨町一丁目から四丁目と北豊島郡上駒込村、駒込染井町、駒込妙義坂下町及び巣鴨村の一部、小石川区小石川大塚辻町の飛地が合併して巣鴨町が発足。東京府北豊島郡巣鴨町大字駒込染井となる。
1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市編入により、巣鴨町は西巣鴨町、高田町、長崎町とともに東京府東京市豊島区内の地となり、その際、駒込四丁目に編入となり消滅。現行の駒込一、三・四、六丁目、巣鴨一丁目の辺り。
なお、そもそもの「染井」について、以下に詳述する。
[近世]染井村 「染飯」とも書く。武蔵国豊島郡のうち。1641(寛永18)年の五輪塔(専修院門前)や1657(明暦3)年の六地蔵の碑(西福寺)に、「武州豊島之郡染井村」と刻まれ、また元禄年間(1688~1704年)には、「駒込村枝郷染井村」と呼んでいた(新編武蔵)。高45石余(元禄郷帳)。天保期(1831~1845年)の石高は45石余(天保郷帳)。地名の由来は、もとここに「染井」という泉があったからという説がある(江戸名所)。庭木や盆栽を栽培して商う植木屋が多く、多くの園芸に関する著作を残した伊藤伊兵衛政武の墓が西福寺にある。鎮守は染井稲荷。西福寺が管理していた。江戸中期頃から豊島郡上駒込村の小名となる。
撮影場所:駒込染井町