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猪突猛進チチの治外法権

ネットワーク社会におけるコンテンツ産業を脅かすデジタルコピーによる海賊版考

2015.12.08 22:30

 今や私たちの周りには、多くの情報が世界中のパソコンを通じてウェブ上に流出している。そしてそれを私たちは容易に手に入れることができる。現在、国内外で騒動となっている、佐野研二郎の2020年東京オリンピックの公式エンブレムデザイン盗作問題は、その容易さによって引き起こされた問題であり、まさにネットワーク社会の到来によっておこった問題として位置づけられると考える。この盗作されたとされているベルギーの劇場のロゴマークが、もしインターネット上で手に入らないものであるならば、この騒動の行方は違う結果となっていたに違いない。面積にして世界136位でわずか3万平方キロメートル、人口も1100万人程の小国・ベルギーのとある1劇場の情報ですら、インターネットを利用すれば日本から容易にアクセスでき、さらにグーグルの画像検索によって、佐野研二郎の制作したオリンピックエンブレムの類似候補の上位にランクインされてしまう。この事実こそが、このネットワーク社会では当たり前のように起こりうる現状である。

すなわちこれは、逆に私たち日本の著作権物も海外において容易に、かつ我が国の法とは無関係の場所で侵害されてしまう可能性があるということを意味している。

現在、日本における映画・ドラマのコンテンツ産業を見てみると、世界でも上位の市場の大きさがある。日本にはこの大きな市場があるからか韓国や中国、台湾に比べ、日本の映画産業が海外に出ていく事に対して積極的とは言えない。しかしこの世界的にも大きいとされる日本国内市場も、今後の拡大は人口の減少にも伴い全く期待できない。すなわち他の産業同様、映画やドラマのコンテンツ産業も国際化が急務な状態であるのに変わりはない。だからこそ映画やドラマのコンテンツ産業において国際化と言えば当然、ビジネスの成立が前提となっていることを意味している。

しかし、なかなかこの国際化が現実味をおびていかないのが現状である。なぜなら、映画やドラマの権利を販売するとき、売値の安いアジアで、しかも海賊版問題のあるところに敢えて売ることはないという意見が多数を占めているからであある。

そのような意見がある中でも、私は国際化し、販売していったほうが良いと考える。それは文化的な意味での国際化にもつながるからだ。映画やドラマのコンテンツは、文化・芸術であることは言うまでもない。文化・芸術という意味において言えば、日本固有の文化である映画やドラマを海外に発信することは、日本という国を世界に広く伝えることに繋がりまた、俳優、監督の知名度も上がり、次なるビジネスにつながるチャンスが広がる可能性が秘められているからだ。

前述したように、映画やドラマは文化・芸術であると同時に、エンタテインメント・ビジネスとして成立させなければならない。ここ数年、香港・台湾・韓国・中国を中心にアジア発の大型映画が作られヒットするようになり、文化である映画がきちんと世界のビジネスとして成立していることを示している。それは「韓流」というブームによって韓国の文化が日本だけでなくアジア中を席巻し、とりわけ中国に伝わったことでも理解できる。特に中国では大勢のファンを獲得し「韓流スター」の人気も爆発した。今や中国のテレビCMでは韓流スターが大変な人気であり、その結果、中国からアメリカに伝わり、ハリウッド映画でも頻繁に観られるようになっている。

しかし、その一方で韓国ドラマの海賊版も大量に出回った。中国では韓国中国合作テレビドラマやCMで韓国の俳優は大きな役割を果たすようになる中で、中国政府の海賊版の取り締まりも強化されつつあるが、なかなか結果が見えてこない。だからこそ仕方なく、これからは国際化に向かうにおいて寛容さも必要ではないかとの声も上がっている。その一方で、私はその海賊版への対策、すなわち著作権侵害に対する何らかの対策を同時に、このネットワーク社会において打っていくことが急務だと考える。

映像コンテンツに関わる知的財産権の問題は大きく分けて二つある。1つは海賊版による侵害(オフライン)、つまり「有形物の海賊版行為」であり、もう一つはインターネットによる侵害(オンライン)、つまり「デジタルコンテンツの侵害」である。

前者は、レンタルビデオ店が世の中を席巻し始めた80年代からの日本でもしきりに行われてきた。しかし、法の整備を行い、その法律を啓発して広く知ってもらい、違反者への刑事罰を執行し、新たな犯罪が出てきたらそれに合わせて時代に即した法を作ることで、国内事情は改善され、日本自身は海賊版に対してクリーンなイメージを世界と共有できた。この日本の行った対策は一つの成功例として、国際協調のなかで1つのスキームとして推奨していくべきである。現在のところ、この地道な努力を続けることこそ、海賊版というものをなくす近道なのかもしれない。これはまさにアナログな方法によって、日本が成功を収めてきた例に過ぎないが、さらにこれをデジタル化されたネットワーク上でも利用する必要があるだろう。すなわち、著作権侵害や肖像権侵害という罪を犯した人間の懲罰を各国内で厳しく取り締まった上で、さらに国際的な観点からこの世界的なネットワーク社会において著作権を侵害された国側の罰則もその侵害者に適用されるようにすることも必要だろう。そうした上で侵害者に対しては、双方から罰則されるという情報をネットワーク上に拡散し続け、同時にその犯罪人をネットワーク上に公開し続けるなど、世界中に張り巡らされたネットワークを使って、さらなる法的も含めたあらゆる圧力を増強させてといかないと消滅させることは難しいと考える。すなわち著作権、肖像権侵害という罪の意識を、ネットワークを使うことによって高め、世界中で統一していく事が重要であると考える。しかし、それでも国政的な法律に従わない国も出てきてしまう可能性も払拭はできない。そのためにも同時にネットワーク利用者らによる、侵害者へのかなりの圧力も必要となってくると思われる。

そして、二つ目は、ファイル共有ソフトや動画共有サイト、投稿サイトなどのような無償で共有できるネットワークを使った権利侵害である。ファイル共有ソフトのように、サーバーを介さず誰もが簡単に複製でき、拡散、頒布できるデジタルネットワークこそ素晴らしい技術であるとも言えるのだが、この状況を食い止めないとならない。なぜなら、オンライン侵害は個人犯罪でありかつ、非営利無償で行われることも多々あり、モバイル化が進みつつある現代では、その取り締まりは非常に難しくなってしまうからだ。取り締まれるとするならば、コピーすることを管理するよりもそれを掲載したネットワーク管理者にその賠償の支払いの義務化を徹底させることなども考えられるが、その場合ネットワークの可能性を狭めてしまうかもしれない。また、ネットワークでの公開を前提に作品を制作してネットワーク管理者に著作権料等の支払いを最初から義務付けるというやり方も考えられるがその権料を世界で統一させ、かつ一体いくらに設定することが可能なのか、その各国の足並みを揃えるのは大変困難となるだろう。

それではどうすればよいのだろうか? これもアナログな方法かもしれないが、一つ目の有形物によるやり取りと違い、まず、それぞれのウインドウでネット社会への外部流出防止策を徹底するしかない。すなわち1つのコンテンツが制作されるビジネスには、興行、放送、配信、DVDといくつかのウインドウがある。そのウインドウごとに現在のデジタル化された制作過程ではあらゆる段階で素材が流出する可能性を秘めている。具体的には、興行、放送、配信、DVD販売のたびに行われる先立つ広報、宣伝・内覧用のデモテープなどの流出の例が一番分かりやすい。まず、このそれぞれの最初の段階で、ソースとなる映像が外部に流出しないように細心の注意を払う必要がある。おそらくこのウインドウごとに関わる人間の意識改革がまずは必要となる。そして前述もしたように、著作権侵害や肖像権の侵害に関して、現在は罪の意識が軽く見られている地域の意識改革をさせ、ネットワーク上での犯人にその罪に対する重大さを意識させるためにも、罰則を世界的に統一させ、その犯人をネットワーク上に公開し続けるなどの工夫が必要となるであろう。

さらには、デジタル信号を使用せずアナログ版で出す手間を惜しまないことも必要だと言える。また、高品質を維持するために膨大なファイルサイズを必要とすることもコピー防止になるという考え方もあるが、画像がダウンコンバートされても安価に手に入ることに重要性を感じている人間にとっては画質の高品質化はあまり有効性とならない可能性があり、膨大なファイルサイズの作品を生み出すより、アナログ化などのコピーの労力を増やしていく事に重きを置くべきだと考える。

また同時に、違法コピーされた映像が共有ソフトなどにアップされたらすぐに止められるように、第一アップローダーを特定できる技術のシステムも必要である。ハリウッド映画などは現在公開前にもかかわらず、オンライン上には日本語字幕のついた不法コピーされた本編映像が出回り、容易にパソコンを通じて安価で観ることが可能だ。この先日本のコンテンツ産業が世界に進出し、ビジネスとして成功すればするほど同じ危機が待っていると言える。

こうして各国マーケットで同時に公開を目指すような世界的な勝負をするコンテンツについては、現在では、グローバルスタンダードとなっているのはアメリカの慣習や方法である。とりあえずはアメリカでの著作権登録をすることで、海外で権利の侵害が発生した際にアメリカのやり方にのっとってコンテンツの権利の所在を証明しなければならないのが現状だ。これはますます国際秩序という面からもこれからのネットワーク社会において不便であることは言うまでもない。これに対して世界的な統一見解を持つことが必要になるであろう。そのためには、世界的に著作権を主張するような作品を作る際には、素材を収録する段階から、映像の一角に必ず、その著作権の所在がどこにあるかがわかるように小さくマークなどが表示され続けるなどの工夫も必要となってくるに違いない。

こうして、これまでのように人とメディアは常に変化し続けている。知的財産権保護をめぐる環境も整いつつあるとはいえ、まだまだであると言わざるを得ないのが現状だ。長期的にこの環境整備の状況を継続的に行いつつ、これからますます状況に応じてさらに一歩先を見据えていなければならないだろう。

ネットワーク社会にとってオンラインシステムについては、技術レベルの高いと言われている日本がデジタルコンテンツの侵害を阻止するための技術開発を早急にリードし、その技術をグローバルスタンダード化させることで、世界的な知的財産権侵害防止活動を行うべきだと考える。例えば、肖像権を守るうえにおいては顔認証システムを使い、出演者情報から違法によってコピーされた動画を一斉に検挙できるシステムを構築すべきである。ネットワーク上で顔認識システムによって人物が一致した場合、それを使用するにあたって登録されてないソフトに関してはネットワークを使用するにあたって課金されていくシステムなどが構築できれば有効だと考える。それは肖像権においても、著作権おいても同様に行われる。ちなみに日本を例にとると、芸能人における肖像権はそれほど保護されていないので、主には著作権の侵害を取り締まるということになると考えられる。

そしてさらに、コンテンツホルダーとなる日本は法律に胡坐をかくことなく、自助努力を続けながら技術的な保護手段を開発したりしていく必要性を指摘しなければならないと考える。そこには、今回佐野研二郎の2020東京オリンピックエンブレム盗作疑惑が浮上する発端となったグーグルの画像検索というシステムも入ってくる。これにより、この問題について議論が行われたことは、たいへん著作権問題が世界的に意識される上でも有意義であったと思う。だからこそ、今後は、日本の技術によってますますその精度を上げ、画像だけでなく映像による同じ効果のある技術開発も進め、音楽著作権のように映像も世界で統一見解ができるようにすることが必要だ。例えば、映像も1フレームの絵の中に機械的に例えば50%以上の類似が認められる場合にはオリジナリティがないものとみなすなどの国際基準を早急に決めるべきである。映像に関してはかつてから、人の映像を制作者の記憶を頼りに繰り返し模倣し、発展してきたことは否めない。しかしこれからのネットワーク社会では、コピーによる模倣が中心となり、問題化していくだろう。それに関する歯止めをかけるためにも数値化することは、必然となってくると考える。

あるいは、検索サイトにおいて無料で手に入れられるものに関しては著作権を主張しないことを国際的に取り決めていくなど、逆の発想も必要となってくるかもしれない。

現在のネットワーク社会においては劇場公開だけでなく、世界同時にネットワーク上で公開されるような作品が現れ始めている。すなわち、こうしてこれからまだまだ発展していくネットワーク社会において、現在のワールドスタンダードとなっているネット先進国のアメリカンスタンダードに合わせていくだけでなく、アナログであるかもしれないが、早急に国際協調によって世界各国が意志統一したワールドスタンダードシステムを構築する必要性がある。そしてさらなる国際法上の罰則を設け、金銭及び実刑によって各国で責任をもって対処していかなければならないと考える。映画などの映像に関しては、アメリカ・ハリウッドから大手資本が流入しており、これがいかに困難なのかはわかるのだが、日本のいるアジアなどは各国で協力して突破口を探るべきだと考える。

これからの時代は、人と物、そして金銭が世界中を容易に往来する。それにより世界の常識に関しては、ますます世界各国で足並みをそろえていく事が必要となる。前述した通り、現在は国柄によって、著作権侵害や肖像権の侵害についての意識レベルの差が大きく存在しているのが実情である。それを国連などが主導しながら世界的に統一させていき、厳しい罰則が国際的に実行されていく事をワールドスタンダードとしていければ、デジタルコピーのネットワーク上の流布は減少すると考えられ、著作権等も保護される可能性が高まると考える。

こうして、世界的な取り決めを行うことで、日本のコンテンツも世界に発信しやすくなるだけでなく、より気楽に世界に溢れる独創的な映像コンテンツと触れ合えることとなると考えている。

参考文献

駒谷昇一、山川修、中西通雄、北上始、佐々木聖、湯瀬裕昭

「IT textシリーズ 情報とネットワーク社会」オーム社

「日本映画の国際ビジネス」キネマ旬報社