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MtFが教会で受けた洗礼

2022.05.17 09:01

(ひろ) 

体が違って生まれてきたと思っている、戸籍は男のひろと申します。性同一性障害のMtF(Male to Female : 男から女へ)という診断を受けています。

小さい頃から男扱いされることに違和感を感じていました。
父母に厳しく躾けられ、性別の違和感は持ってはいけない感情だと認識しながら育ちました。
大学生になって親元を離れて暮らし始めても、自分の正直な気持ちに向き合うことはいけないことなんだ、と思い込んでいました。

大学在学中にアメリカへ留学し、そこでクリスチャンになりました。
帰国後しばらくして福音派の教会の会員になり、数年後引っ越して今の教会の会員になりました。そこで式を挙げさせていただいて子供も1人授かりました。
しばらく通っていたその教会で、教会員が牧師先生を追い出すということがありました。
私はそれに納得できず、教会を離れました。

その後、離婚して娘と二人暮らしをしながら、信仰から遠ざかった生活をしていたある日、胸が出ていることに気づきました。
ネットで検索してみましたら、女性化乳房症という病気らしいことがわかりました。更に調べるうちに、性同一性障害というものが目に入ってきました。
言葉自体は知っていました。
でも自分とは切り離して考えていましたし、私の性別的な部分には近づくことすらいけないことだと、その歳になっても信じ切っていました。

しかし、気になって掘り下げてみると他人事には思えない。ウェブ上に性同一性障害のチェックリストがありました。設問に答えていくと80数パーセントあなたは性同一性障害だと判定されました。

愕然としました。
しばらく何も手につかず、意を決して、子供の頃に封印した気持ちと向かい合ってみました。
ひと月以上かかって、心の中に仕舞い込んだ沢山の小箱をひとつひとつ開けていきました。何百という箱を仕舞い込んでいました。数にも内容にも驚きながら開けていきました。
今まで親に言われるままに男として生きてきた自分のアイデンティティ。
それが音を立てて崩れていきました。
私はなに?
冷たく真っ暗な宇宙に浮かんでいて、どこに足を踏ん張ったらいいのかわからない、そんな恐ろしい感覚に陥りました。
それでもひたすら自分の本当の気持ちと向き合ううちに、どうやら今までの自分は本当の自分ではない。親に言われて捨て去ったあの自分のままに生きてよかったのかも知れない。
そう思えるようになりました。

性同一性障害の人たちは精神科で診断を受けることを知り、早速精神科へ連絡しましたが、受診する人が多くて診断開始は3ヶ月後になるとのこと。予約をお願いして、また自分で調べました。

どうやら、もし性同一性障害なら、気持ちを男性にすることは不可能で、身体を気持ちに近づけて緩和することしかできない、とのこと。
女性ホルモン剤を摂って身体を変えていくことや、戸籍の名前を変えること、ゆくゆくは手術をして外性器を女性に近づけること、一定の要件が整えば戸籍を女性に変えるなどの手段を経て、性別に対する違和感を緩和していくしか治療方法はない、などの知識を得ました。
ただ、性別の移行は若ければ若いほど成功率が高く、私の歳では厳しい結果になりがちという知識も得ました。
私は焦りました。
一刻も早くホルモン剤を飲み始めたいという気持ちと、一度始めたら元には戻らなくなるから、自分の体に対する違和感は本物なのだろうかという気持ち。
ひと月悩みました。

あるイベントで、初めて当事者の方々にお会いし、お話を伺い、自分の気持ちが当事者の方々と比べても深いものであると確信して、その日の晩ネットでホルモン剤を注文しました。
2週間後に届いたホルモン剤を躊躇なく飲み始めました。
やっと一歩進めたという安堵感がありました。

しばらくして色々な変化が体に起こりました。一つ一つを喜びながら、でも、ひとつの不安を胸に抱えながら毎日を過ごしていました。
私の不安。
それは、どれだけ薬を摂っても女に見えないのではないか、ということ。
年齢のこともあります。
でもそれ以上に体格や顔立ちが厳しい。
それでも、これ以上男として生きるのは嫌。
徐々に私の精神は崩壊していきました。

精神科の診断が始まりました。1回1時間くらいの診断を月1のペースで行いました。
心理テストも行いました。
希死念慮が強く危ない状態であるから、月1の診察を出来れば週3、最低でも週1にしないかと言われました。
時間的にも経済的にも無理があるので出来ませんでした。

とうとう性同一性障害であると診断が出ました。
性同一性障害というのは、いろんな病気の可能性を探ってどれにも該当しない場合につく病名。
もし何かしらの病気であれば、この気持ち悪さを完治できるのでは、という私の期待は打ち砕かれました。
一生この違和感を抱えながら生きていかなくてはならない…

体の変化を隠しきれなくなっていたので、職場でカミングアウトをして、私は性同一性障害者として生きる毎日になりました。
急に服装を変えるとかはしませんでした。レディースを着てみたこともありますが、あまりにも似合わなさ過ぎて着たくなかったから。

自死を試むほど病んでしまった私が頼ったのは聖書でした。
娘を進学させるために昼夜働きながら、少ない時間をかき集めて聖書を読みました。
ひと月で通読するほど飢えていました。

同時に、10年以上ぶりに教会にも通い始めました。以前通っていた教会ですが、受付で名前を書いて、ゲストとして礼拝に参加しました。
何度か行きましたが、ホルモン剤で顔つきが変わり、髪を伸ばした私に気づく人は誰1人いませんでした。

車で通いたくて、駐車場を使っていいか電話で確認しました。牧師さんが出られました。前任牧師が追い出された10年以上前に、一度お話ししただけだったのですが、私のことを覚えていらして、知られてしまいました。
正直に現在の私の状況をお伝えして、駐車場の使用許可をいただきました。

その後直接ご挨拶したかったけど、礼拝後はいろんな人に囲まれる牧師先生になかなかお話しできずに、数週間経ちました。
相変わらずゲストブックに名前を書いて、礼拝をしてそっと帰るの繰り返し。
そのうち長老さんからお電話をいただきました。「あなた最近礼拝に参加してるみたいだね。元気してましたか?」

その次の礼拝で案内係の長老の奥様から名前を確認されて、やっと見つけたという感じで長老さんと引き会わされました。
礼拝後、牧師室に連れて行かれて、牧師先生と長老さんと3人でお話をしました。
簡単な現状の説明と聖書への関わりを確認されたのち、住所電話番号それから改名後の名前と以前の名前を紙に書いて、お渡ししました。
会員の籍を復活させると、その場で言われました。ついては、所属を婦人会か壮年会かにしないといけないけれども、どうしますかとのこと。
女性会員の方々の心情があるでしょうから、壮年会でお願いします。と伝えました。

それから礼拝のたびに長老が、以前通っていて最近また復活した○○兄弟です。と、紹介するようになりました。
壮年会を選んだからには兄弟扱いだよねぇ、とぼんやり思いながらも傷ついていました。

寒さが増し、コロナ禍で換気優先の礼拝で、私は風邪をひきかけました。特に脚が冷えてどうしようも無く、仕方なくジーンズをやめて、1番下半身の温かくなる厚手のタイツと分厚いフリース生地のロングスカートという組み合わせで出席するようになりました。

牧師先生から電話がかかってきました。
「他の会員から『あれはどうなっとるんか』という声が上がっている。ついてはひろさんを婦人会所属にする。ただしトイレは障害者用のトイレを使って欲しい」こんな趣旨の電話でした。
私は、婦人会所属になるのはとても嬉しいのだけれども、他の方々の心情が心配だと言いましたが大丈夫とのことで、よろしくお願いしますと伝えました。

しばらくして、役員会議の議事録が配布されました。
そこには私の会員復活が全会一致で承認されたこと。
私の名前のあとにカッコ書きで改名前の名前の記載。
所属は「本人の希望で」婦人会になること。
が記載されていました。

案の定、女性会員の中に、すれ違う時の雰囲気が変わった人がいらっしゃいました。
元々、私の素性を知らない人もいたでしょう。最近見かける背の高い人は性同一性障害の人なんだと知られたのかも。
でも「本人が婦人会を希望した」ということが大きかったのではないかと思えます。

その後、牧師先生から直接「トイレは障害者用のトイレを使ってくださいね」と、2度も念を押されたことからも、他の女性会員の方々の不安な気持ちが伝わってきました。
因みにトイレは一度も使っていません。元々使うなら男性用と私の中で決めていましたし、障害者用を私が使えば掃除が必要になるから。行きたくなったら帰ろうと思っていました。

なんとなく居場所がなくなりつつも毎週の礼拝には通い続け、夜のバイトが時短営業でおやすみになってからは朝6時からの祈祷会にも毎日出席するようになりました。
早起きして散歩がてら片道3キロ歩いて通うのは楽しかったです。
しかし、そんな毎日も突然終わりました。

ある日…私がいつも座ってる席に他の方が座られていました。
仕方なく他の女性会員の方の横の席に座ったら、その方がご自分の机と椅子を私から離すようにズラされたのです。
そっか、ずっと我慢されてたのかな、毎朝会ってて気がつかなかったなぁ。
そんなことを考えながら祈祷会を終えて、牧師先生に祈祷会をこれで最後にする旨、礼拝だけにすることを伝えました。
でも、それから礼拝にも参加しなくなりました。気づかないうちに、結構傷ついていたみたいです。

牧師先生のことは今でも尊敬しています。
教会員の方々にもなんの悪い感情はありません。
私のような人間の扱いに慣れていらっしゃらないのは仕方のないことだと思います。
また、理解が進まないのも仕方のないこと。

ただ、自分のことに疲れ果てて、教会にすがった私です。
教会は心開くところ。そこで辛い思いをするのは本当にこたえます。
差別的な視線や雰囲気を受けるのは日常茶飯事ではありますが、同じことが教会で起こると辛さは何倍にもなります。自死の引き金になると考えるのも決して大袈裟ではありません。
だから今は距離をとりたい。

イエス様ならどうされるのだろう。
イエス様なら、こんな私でも優しく包んでくださるのかな。
そういう希望を抱きながら、今日も聖書を読んでいます。