『エデンの園』すら 手放して。
おはようございます。
このブログを訪れていただきありがとうございます。
今回は、今朝の氣づきに関してシェアします。
ここ数日(昨日の記事でも)、さんざん『エデンの園』を出しておきながら、
今朝には、もう、このタイトル・・・(苦笑)
我ながら、自分の『氣付き&手放しスピード』に笑えてきます。(笑)
と、いうことで。
今回は、今日のタイトルの意味も説明しながら・・・の記事となります。
早い話が、これまでも書いてきた
「”きっかけ” でしかなかった。」
ということで♪
『重要と思えたことであっても、「きっかけでしかない」ということが多々あって、
そのきっかけをつかんだなら、その後は、もう、それを握りしめてる必要がない。』
と書いたそのままだったんです。
今朝、ガイドとやりとりしていて、
『エデンの園』
『アダムとエヴァ(イヴ)』
に囚われなくて(固定化しなくて)いい。と受け取りました。
昔のわたしだったら、
「アダムとわたしは、やっぱり、アダムとエヴァだったんだ~♡」
と、
・そこに意識が行き続け、
・検索しまくり、
・その世界に没頭して・・・
数ヶ月~数年を過ごしたかもしれません。
(それもまた、”この地球の楽しみ方” でもあるんですけどね♪)
ですが、わたしは、すでに、2年前からこの状態(笑) ↓
「あ、食事変容を腑に落とす ”きっかけ” でしかなかった。ってことね!」
と、すんなり腑に落ち、手放すこととなりました(笑)
ちなみに、『手放す』とは。
実際に、物質としてのそれを失うか否かは別として、
意識として「どう在ってもいい」となることを『手放す』と言います。
(在り方や結果が「どちらになってもいい」という感覚です)
つまり・・・
・わたしは、『エデンの園』の住人であってもいいし、なくてもいいし。
・わたしは、『アダムとエヴァ』のエヴァであってもいいし、なくてもいいし。
という『意識』でいる。ということです。
・意識しすぎない
・そこに囚われすぎない
・そのイメージに、自分を固定化しない
等、執着しないことが大事なのであって、『事実がどうか』ということは置いておく。ということです。
(事実かもしれませんしね。そうではないかもしれませんしね。)
ほんと、繰り返し書きますが、
イメージ固定して、数ヶ月~数年を体験するのもアリなんです。
ほとんどの人は、そうやって生きてますね。
ですが、わたし、もう、それをやってられなくて・・・(笑)
(その ”遊び” を卒業した。といいますか、楽しめなくなった。といいますか。笑)
それもこれも、
アダムとの融合をスムーズにしたい一心で身に着けた ”一種のスキル” のようなもの(笑)
(1000本ノックで、『自己統合スキル』が身に付いたのと同じことです。笑)
そして、それは・・・
アダムと融合した後も、現在進行形で続いてるんですけどね ♪
数ヶ月前でしたか、
『まきこさん含む他者経由で、アダムからメッセージが届く』という設定(現実創造)に対して、未練を手放した体験をシェアしました。
「もう、次のステージに移行するのに、あの楽しみ方(第三者を巻き込む)は終わりなんだな・・・」
「なんか、あの楽しみ方もちょっと恋しい氣がするけど、もう、あそこには戻らないんだね?」
と、アダムに尋ねてYesと返ってきた。というシェアを・・・
そして、これと同じ展開を、先日も選んだワケです。
「『アダムを分離させて感じたい』と思うことを、手放す必要があるの?」
と問うと・・・アダムは Yesと返してきて・・・
こんな感じで、ひたすら『未知』に開き続ける毎日。
寿命あるうちに、どこまで行けますかね・・・?(笑)
人生かけての、実験ですね(笑)
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。
愛♡感謝
りかこ&アダム
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