自分の感受性くらい
Facebook兼井 浩さん投稿記事 ■『自分の感受性くらい』
ぱさぱさに乾いてゆく心を 人のせいにはするな! ~茨木のり子~
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを .. 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
・・・・・
茨木のり子さんは1926年に大阪で生まれた。本名は三浦のり子。高校時代を愛知県で過ごし、上京して現・東邦大学薬学部に入学。その在学中に空襲や勤労動員(海軍系の薬品工場)を体験し、1945年に19歳で終戦を迎えた。戦時下で体験した飢餓と空襲の恐怖が、命を大切にする茨木さんの感受性を育んだ。敗戦の混乱の中、帝劇で鑑賞したシェークスピア「真夏の夜の夢」に感動し、劇作家の道を目指す。すぐに「読売新聞第1回戯曲募集」で佳作に選ばれ、自作童話がラジオで放送されるなど社会に認知されていった。
1950年(24歳)に結婚。この頃から詩も書き始め、1953年(27歳)に詩人仲間と同人誌『櫂』(かい)を創刊。同誌は谷川俊太郎、大岡信など多くの新鋭詩人を輩出していく。
1975年(49歳)、四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始まる。2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出した。それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で思っていた事をうたいあげたものだった。
その後、 弟が先に他界し、かつての同人仲間が1人、2人と世を去るのを見送った。だが、彼女は孤独感をものともせず、1999年に73歳で『倚(よ)りかからず』を発表するなど、詩への創作意欲は衰えなかった。
●倚(よ)りかからず ※73歳の作品
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
2006年、自宅で脳動脈瘤破裂によって急逝した彼女を、訪ねてきた親戚が発見する。きっちりと生きることを心がけた彼女らしく遺書が用意されていた。「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます」。この力強さ。享年79歳。
戦争への怒りを女性としてうたい上げた「私が一番きれいだったとき」は多くの教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。人生を明るく、そして清々しくうたう茨木の詩は、没後も多くの人を魅了し、晩年の『倚りかからず』は詩集としては異例となる15万部のベストセラーになっている。エッセイ本も多数。 韓国語を学んで出した『韓国現代詩選』(1990)では読売文学賞を受賞している。
●わたしが一番きれいだったとき
※茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた。
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから
青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき 誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
・・・・・
【茨木のり子の詩~6選】
1.一人は賑やか
一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな森だよ 夢がぱちぱち はぜてくる
よからぬ思いも 湧いてくる エーデルワイスも 毒の茸も 一人でいるのは 賑やかだ
賑やかな賑やかな海だよ 水平線もかたむいて 荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある
一人でいるのは賑やかだ 誓って負け惜しみなんかじゃない 一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい おおぜい寄ったならだ だ だ だ だっと 堕落だな
恋人よ まだどこにいるのかもわからない 君 一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ
2.娘たち
イヤリングを見るたびに おもいます 縄文時代の女たちとおんなじね
ネックレスをつらねるたびに おもいます 卑弥呼のころと変わりはしない
指輪はおろか腕輪も足輪もありました
今はブレスレット アンクレットなんて気取ってはいるけれど
頬紅を刷(は)くたびに おもいます 埴輪の女も丹(に)を塗りたくったわ
ミニを見るたびに 思います 早乙女のすこやかな野良着スタイル
ロングひるがえるたびに おもいます 青丹(あおに)よし奈良のみやこのファッションを
くりかえしくりかえす よそおい 波のように行ったり 来たりして
波が貝殻を残してゆくように 女たちはかたみを残し 生きたしるしを置いてゆく
勾玉(まがたま)や真珠 櫛やかんざし 半襟や刺子(さしこ)
家々のたんすの奥に 博物館の片隅にひっそりと息づいて そしてまた あらたな旅立ち
遠いいのちをひきついで さらに華やぐ娘たち
母や祖母の名残の品を 身のどこかに ひとつだけ飾ったりして
3.あほらしい唄
この川べりであなたと ビールを飲んだ だからここは好きな店 七月きれいな晩だった
あなたの坐った椅子はあれ でも三人だった 小さな提灯がいくつもともり けむっていて
あなたは楽しい冗談をばらまいた
二人の時にはお説教ばかり 荒々しいことはなんにもしないで でもわかるの わたしには
あなたの深いまなざしが 早くわたしの心に橋を架けて 別の誰かに架けられないうちに
わたし ためらわずに渡る あなたのところへ そうしたらもう後へ戻れない
跳ね橋のようにして ゴッホの絵にあった アルル地方の素朴で明るい跳ね橋!
娘は誘惑されなくちゃいけないの それもあなたのようなひとから
4.夏の星に
まばゆいばかり 豪華にばらまかれ ふるほどに 星々
あれは蠍座の赤く怒る首星アンタレス 永久にそれを追わねばならない射手座の弓
印度人という名の星はどれだろう 天の川を悠々と飛ぶ白鳥 しっぽにデネブを光らせて
頚の長い大きなスワンよ!
アンドロメダはまだいましめを解かれぬままだし 冠座はかぶりてのないままに
誰かをじっと待っている 屑の星 粒の星 名のない星々 うつくしい者たちよ
わたくしが地上の宝石を欲しがらないのは すでに あなた達を視てしまったからなのだ
5.さくら
ことしも生きて さくらを見ています ひとは生涯に 何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら なんという少なさだろう もっともっと多く見るような気がするのは 祖先の視覚も まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも 捉えかねる花のいろ さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と
(茨木のり子詩集『おんなのことば』より※「夏の星に」を除く)
6.水の星
宇宙の漆黒の闇のなかを ひっそりまわる水の星 まわりには仲間もなく親戚もなく
まるで孤独な星なんだ
生れてこのかた なにに一番驚いたかと言えば 水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真
こういうところに棲んでいましたか これを見なかった昔のひとは
線引きできるほどの意識の差が出る筈なのに みんなわりあいぼんやりとしている
太陽からの距離がほどほどで それで水がたっぷりと渦まくのであるらしい
中は火の玉だっていうのに ありえない不思議 蒼い星
すさまじい洪水の記憶が残り ノアの箱船の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
子子孫孫のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい
軌道を逸れることもなく いまだ死の星にもならず いのちの豊饒を抱えながら
どこかさびしげな 水の星 極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで
あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう
(茨木のり子 詩集「倚りかからず」より)
「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、
生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます」
~茨木のり子~