翠(みどり)の山をみてごらん
FacebookAyuka Mizoguchiさん投稿記事【久しぶりに心理セラピストのつぶやき】
イギリスのマスク率は5%以下。どんどん減ってきています。コロナ終わった感とってもあります。
こうなると、だんだん日本が戦争が終わったことに気づかず、ジャングルに留まっている日本兵のように見えてきました。(暴言失礼)
ウイルスを怖がっている人もいるでしょうが、したくないのに外せないという人もかなり多いでしょう。
そういう人のために、今、私たちは大切な岐路に立っていると思ってみてませんか?自分がどうありたいか、なんのために生まれてきたのか?を見つめる岐路です。大げさな感じがしますが、真剣に考えてみませんか?ほんとうに真剣に。
ということで、心の観点と目覚めの観点から短いご提案。
まず、マスクを外したくないけど外せない理由は、やはり人目でしょう。
私たちの心の流れとして、
一人だけマスクをしないと、
↓
人の目が怖い
↓
きちんとしていない人と思われそう 他者のことを考えない無責任な人って思われそう
誰かの怒りをかいそう ルールを守らないだめな人って思われそう(義務化していないけど)誰かが文句言いに来るかも
↓
外せない・・・。この瞬間、私たちは無意識に「恐れ」を選んでいますね。
では、「愛」を選んだらどうなるのでしょうか?
自分がきちんとしていない人、他者のことを考えない人って本当だろうか? 他人がどう思うかを中心に私は生きたいのか?自分をなくして生きていてほんとうに良いのだろうか?
私の中には、優しさも気遣いもある、私はその気持ちに自由にアクセスできる。恥じることはない。怖い目の人がいたら、微笑んであげよう。
誰かが文句を言ってきたら、“ウイルスが怖いんですね。あなたのためにマスクしてあげますよ”って、そのときだけしてあげよう。私は愛を選んで自分らしく生きる。愛を選択する。
いかがでしょうか?
自分がどうありたいかを真剣に見ていくこと、それに従うことには勇気がどうしてもいりますね。人に合わせていたほうが安心だし、簡単です。
でも、もしマスクしたくないなら、ある意味「愛」ベースの生き方を変える良いチャンスだと思うのです。
海外では、岸田首相もノーマスクですから、今やマスクの意味はほんとありませんよね。
これは、もちろん提案です。皆さん好きなように自分らしい愛を選べると思うのです。
社会の多数が恐れを選んでしまうと、生きづらく、歪が多い社会になってしまうでしょう。
自分の中のパワー(愛)に気づいて、それを選べると良いですね。
※もちろんマスクが必要だと思っている方の気持ちも尊重しますよ〜。マスクしている=恐れを選択しているという意味ではありません。マスクしたくないのにしている場合です。
みんな自由に選べ、違う選択を尊重し合えれば良いと思うのです。押し付け合わずに♪
Facebook船木 威徳さん投稿記事【 次に選ぶ「仕事」 】
この何ヶ月かの外出自粛による経済の停滞は明らかで、私のまわりでも、すでに、
お店を閉めなければならない、あるいは、会社の規模を縮小し、社員のみなさんに辞めてもらうことを考える経営者も出てきています。
個人的に話す方々のなかには今月の給与が出ないかもしれない住宅ローンを払えないので引越しを検討している、と言う人も何人も出てきています。
「医療崩壊」うんぬんと言う作られた話の流れに沿わない話題はマスコミでも一切報道しませんが(患者さんたちが押し寄せて「大変」と言うことにしなければならないので)
実際には、最新の病院・診療所経営者を対象にしたアンケートでも9割弱の人たちが、この数ヶ月売り上げが、「大幅に減った」「減った」と回答しているのです。
よく話す医療機関専門の税理士さんは、今年3-4月の平均的な診療所の売り上げは30%以上落ちていると言っていました。
日本の社会は、いま大変です。なんとかしなければ一人ひとりが食べていけない。
「どうしたらいいのか?」と言う相談をたびたびいただきますが、私の答えは、コロナの前から全く変わっていません。
本来、「仕事」とはすぐそばにいる人の困りごとを聞き、それを解決してあげて、(ここからが一番大切ですが)「ああ、よかった、安心した、昨日より今日が良くなっている」
「あらためて考えたら、あなたのおかげで、安心して楽しんで、明日を期待して生きてゆけそうだ」と、「実感」していただけること、だと私は考えています。
と、すれば、人の悩みなど、絶対にこの世から消えてなくなることはないのだし いまのような「不安、恐怖、怒り」だらけの社会には、解決しなくてはならない「仕事」にあふれているのだから「仕事」をすればするほど、今までよりも、むしろ、はるかにお客様にも喜んでいただける機会が増えている、つまりは、これまでにない、チャンスだと、感じます。
私は、最近、自分でもわからないワクワク感や武者震いを感じることが増えました。
それでも、いわゆる、BEACH、すなわち、booking 予約関連 entertainment エンタメ業界
air 航空業界 casino cruise カジノ、クルーズ hotel 宿泊業界 は、世界全体の企業を合わせると時価総額がすでに40兆円以上落ちていると言う統計もあります。
さらに、BEACH以外にも飲食業 外国語学校 ブライダル関連 タクシー 従来の学習塾
マッサージ、エステ 学校給食 店舗での洋服、書籍販売などが、かなり厳しいと聞いていて欧米の実情を調べても、早々に撤退する企業が増えています。
一方で、大勢が集まるスタイルをとらない あるいは、店舗で販売しない 教育関連、セミナー、さらにPCの関連機器や動画編集など伸びつつある仕事もあるようです。
外出自粛が完全になくなっても人々の漠然とした将来の不安がなくならない限り、コロナ前の社会に戻ることはないでしょう。
どんな業種なら、どんな会社ならこれからも安定しているのか?
そうした疑問に、自身で答えを出す前に、もう一度、思い返して欲しいと感じます。
「『仕事』とはすぐそばにいる人の困りごとを聞き、それを解決してあげて、
「ああ、よかった、安心した、昨日より今日が良くなっている」
「あらためて考えたら、あなたのおかげで、安心して楽しんで、明日を期待して生きてゆけそうだ」と、『実感』していただけること」
例えば、レストランや居酒屋を考えても、私に限らず、ただ、お腹が空いたから、酒を飲みたいから行くわけではないはずです。
家族や仲間と、あるいは、気のおけない友達であるお店の人々と話し合い、触れ合い、涙したりして気持ちを新たにしたり、具体的に課題解決のアドバイスをもらったりと、かけがえのない大切な場所として訪ねているはず。
美味しい料理、うまい酒はもちろん自分にとって素晴らしい人々がいて素晴らしい場所で過ごす時間がそこにあると思えるなら、絶対にお客様はまた帰ってきます。
どんなに(作為的なものであれ)人間関係を分断されようが、人々が、「よかった」と思える場所、空間、時間を作るなら業種を問わず、人はまた、人を求めて帰ってくる、と
私は信じています。
とりあえずは、過度の接触は避けるしかないとしても、人々がいま抱える不安や恐怖、
寂しさや孤独、渇望と言った悩みを満たしてあげられる仕事をしながら みんながうれしくなる場所、時間を作る努力をすることが大事でしょう。
話せば長くなりますが、さらにこの先、確実に国と国の間の関係も分断されていき、最初に
起きるのは日本なら、食糧不足です。
食糧の生産に、直接関わることを並行して考えていきながら、 あなたや私にできる「仕事」とはなんなのかを考え続け、失敗してもいいので具体的に行動すること。
「これからどうしたらいいのか?」「どんな仕事だと食べていけるか?」の問いに対する、私の答えは以上の通りです。
私も医療機関の経営者として、必死です。病院や診療所が、国から特別な援助をもらっているかのような誤解をされることがありますが冗談じゃありません。
1円ももらっていませんから。
患者さんも減り、売り上げや利益も落ちていて、繰り返しますが本気で必死です。不安や恐怖がいつもかたわらに付いてきます。
だからこそ、仕事についての想いを同じくする人たちと、力を合わせて、このまだ出口の見えないトンネルを歩いて行きたいのです。
私は、このトンネルに必ず出口があることを信じていますから。そしてその先には、今までと違う、でももっと素晴らしい世界があると信じていますので。
〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
Facebook山地 弘純さん投稿記事 お葬式もマスク姿。
この姿の時のことも、ちゃんと残しておきたいなと思いました。
前を向いてからマスクを外して読経し、全て終了後にまたマスクをかけ直してから後ろを向きます。そんな一連の流れも、もはや習慣化された動作になりつつあります。
今日も家族葬でした。とても人当たりのよいおばあちゃん。
多分コロナの時期に亡くならなければ、もっと大勢の友や仲間たちに見送られたでしょう。
僕にとっても、すごく心やすく接して下さり、たくさんおしゃべりもした大切な方でした。
毎週お寺で御詠歌のお稽古やお茶時間を楽しんだものでした。
残念な時に亡くなったという言葉をやはり周りの皆さん方からお聞きしたので、逆にそのコロナの時だからこそ気づけたことを戒名にしたためました。
未知のウイルスが感染拡大し始めて以来、いろいろな気持ちを皆さんが味わったことと思います。
感染への不安。そして経済への不安。自分の意思表示することへの不安。そしていろんな反応を示す周囲への苛立ち。
ニュースを見るだけで、どこか心が闇へと引き込まれる感じは僕にもありました。
そんな折にも不安を包み込んでくれる存在がありました。
山々を見上げると、新緑が美しく芽吹き始める姿が目に入ってきました。
冬を越えて枝先寂しい木々からポツリポツリと芽が立ち、瑞々しい黄緑色の葉が広がっていく様子が、今まで以上に入ってきたのです。
それはシンキングではなく、フィーリングに働きかけてきました。
それは、「生きよう!生きよう!」とでもいうかのように、僕の心の色を光へと変えていくのです。
大自然からの無言のメッセージはすごいですね。
そんな僕の想いが、あの人のもう一つの名前へと降りてきました。
翠(みどり)の山をみてごらんなさい。
大いなる一つのいのち(ワンネス)からの「そこにとどまらないで」というメッセージが明かされていますよ。
新緑芽吹く山を見るたびに、故人の姿を思い出し、新生する自分を感じていただければ幸いです。
そんなことを遺族の皆さんに語りました。
棺桶の中に、うちの100歳のおばあちゃんから託された散華を入れました。
かわいいお地蔵さんの合掌した姿が表面で、裏面にはメッセージが書かれていました。
うちのおばあちゃんとは長い長い月日を共にした、かけがえのない仲間でもありましたから。
寂しいでしょうね。
皆が寂しさと悲しさを味わいました。
そして真のいのちへの帰還を引導しました。
皆で故人の人生を讃えました。
皆でかけがえのない体験を与えてくださった故人に、ありがとうを言いました。