年甲斐もなく
年甲斐もないことをすると、人はあんな歳してと言いますよね。
しかし、よく考えるとその人は、とても楽しいことをやっている。
ということがわかります。
年甲斐もなくよく働く人を見れば、立派だとか、すごい人だと人は言うでしょう。
でもそれって本人の楽しみであって普通のことなのではないかというふうに考えられます。
年甲斐もないことをして楽しんでいるわけですよね。
楽しめる能力がなければきっとできません。
そういう能力ということでしょう。
走るのが速い人もいれば遅い人もいる。
絵の上手い人もいれば下手な人もいる。
これって年齢に関係ないわけですよ。
絵の上手い人にとっては、絵を描くことは普通のことです。
だからうまいのは当たり前です。
上手いのが当たり前になると、違うことをしたくなる。
つまり違うことに憧れたい理由がそこにあります。
一生懸命働いてる人から見れば、遊んで暮らしてる人って羨ましく思うんですよ。
そんな風になりたいなーって。
だから年甲斐もなく働ける人は、働かない人を見て羨んでいるわけです。
言葉では虐げるような言葉を言ったりしますよね。
あれって羨ましいという気持ちのあらわれです。
そう思っていないなら、そんな言葉はでてきません。
その人はその人で楽しんでるわけですからね。そんなこと言う必要はないんですよね。
年甲斐のないことをする人は、その人なりに楽しめばいいし、それをとやかく言う必要もない。
もったいないのは比較することです。
自分と他人、過去と現在。
これらの比較は何の意味もありません。
きっと遊んで暮らしている人は、あんなふうに年甲斐もなく働いてみたいなって思っていたりします。
どちらも一緒なんだと思います。
絵の上手い人が走るのが速い人を羨むのと同じですよね。
それじゃあよく働く人は、遊んで暮らしてみればいいんじゃないでしょうか?
きっとできないことはないんだと思います。
でもその人はそんなことはしません。
だって働いているのが楽しいんですからね。
だったら働くことにだけ集中していたら良いので、人のことをとやかく言う必要はありません。
年甲斐もないことをして遊んでいる人を見ると「年甲斐もなく」という言葉の裏には妬みが入ってるように思えませんか?
妬みは自分を小さくしてしまいます。
良い悪いの話しではなく、もったいない話です。
生きていられる時間は限られている訳ですからね。
人のことをとやかくいう時間は勿体ないし、考えるだけエネルギーの無駄ですよね。
年をとった人は若い人のことを羨ましいと思ったりする訳ですよね。
でも年をとらなければ味わえないことが山ほどある。
だから若いとか年を取ってるとかも全く関係ないわけです。
今を楽しめば良いということになります。
ギターを弾いていて思うのですが、私にはギターの才能がない。
リズム感が全くない。
楽譜も読めないし、よく間違える。
間違える程度にもよりますが、ライブの途中でわけがわからなくなって、途中で止めてしまったことがあります。
今考えるとよくもあんなところで間違えたものだと、とてもおかしい。
バンドのメンバーは、お酒を飲んだ時にその話になって盛り上がります。
まあその後にリベンジすることはできましたので良かったのですが・・・。
過去の恥ずかしい思い出でしたが、今となってはとても楽しかったことです。
間違えた事や人の前で恥をかいた事って、年を取ると自慢できるんですよ。
これってね。若くて経験のない人には味わえない醍醐味なんです。
そして不思議なことにものすごくよく覚えているんです。
きっと一生忘れないと思います。
とても素敵なことではないですか?
恥ずかしい思いと、楽しかった思いを年をとると同時にできるわけです。
2回も楽しめるなんて年をとらないとできない。
素敵なことではないでしょうか?
でもよく考えてください。
もし私が才能がないからということでライブに参加しなかったら、恥もかかなかった代わりに楽しめることもなかったわけです。
それはそうとうもったいない。
だから年甲斐もなく、またライブしたいな~。
難しい曲にチャレンジしたいな~。
なんて思ったりします。
年甲斐もないってもの凄く素敵なことですよね。
大抵のことは時間が解決してくれます。
時間が解決してくれないのは、過去の悔しい思いのままでいるからです。
つまり居ついている訳ですよね。
いつまでも居ついていたら体が歪んで楽しむことはできません。
だから一日一日年をとることはとても素晴らしいことだとわかります。
テーマは今です。
若くても年をとっていても今、どう感じるか?
それが一番大事です。
だから年をとった人が若い時のことを思い出して比較する必要なんてありません。
今、それが楽しいと感じる訳ですから、それが一番大事なことです。