部員ブログ「Easy come, easy go」古賀尭人
テーマが「サッカーに関連する話」ということなので、なんとなくサッカーに対する私の思いや考えを中心に、自分の中で整理する意味も込めて書いてみる。
私には常に頭の中で意識している言葉があり、それがこのブログのタイトルに据えている、 “Easy come, easy go” という言葉である。日本語でいうと、「悪銭身に付かず」ということわざがイメージに近いだろうか。この2つの同義語は欧州人の楽観的な性格と日本人の悲観的な性格の相違を反映している面白い例の1つだと思うが、今はその話は伏せておく。私がこの言葉に出会ったのは、 B'z というバンドの曲からである。その曲をよく聴いていた中学生のとき、自分における確固たるもの、つまり “Easy come” ではないものは何なのかと考えたことがあるが、その時に出した答えの1つはすでにサッカーであり、今思えばこのころからサッカーに魅了されていたのだと思う。そこから時を経て、大学でもサッカー部に入部することを決めたわけだが、その決定へ至るまでに、勉強、サークル、ゲーム、と高校時代までとは一味違う、様々な大学生活の恰好が私の頭の中を駆け巡り、大学でもサッカーをするべきか非常に苦慮した覚えがある。
さて、それらを踏まえたうえでここからは九州大学サッカー部に入部してから感じた事を書く。私が1年間大学でサッカーをして感じたことは、自分の生活の中心にサッカーがあるだけで、生活の充実度が跳ね上がるということだ。習慣的にサッカーをすることや同じサッカー好きの友人ができたこと、学校に行く動機になることなど、生活が堕落しないための重要な要素を多く得られたと感じている。まあこれらは多少無意識的に美化している点があると思うので、さらに自分の思考を深堀りしてみようと思う。私は常に “Easy come, easy go” 、つまり容易に手にしたものは容易に離れていくことを意識していると説いたが、この一年間を通して、これは逆説的に、苦労して、そして時間をかけて手に入れたものは、なかなか手放すことができないこと(手放さない、ではなく)を示すのではないか、と気づいた(今読んで頂いているあなたも、自分に例えて一度考えてみてほしい)。つまるところ、私がサッカー部に入部するまでに苦慮していたことは机上の空論のようなものであり、サッカーをやらない、という選択肢は潜在的に私の中にはなかったのであろう。
サッカーを通して、残されたあと三年間で何を残し、何を手に入れることができるのか。それがとても楽しみではあるが、私がサッカーに対して持っているこの思いが、プライドという言葉に帰着するような浅いものではないと信じて、これからも日々を過ごしていきたい。