白洲次郎 占領を背負った男 (上)(下)
白洲 次郎と言っても知らない方が多いかもしれません。実際私もこの本を読むまでは、どんな人か知りませんでした。白洲さんは、1902年(明治35年)今の兵庫県芦屋市生まれ。父の白洲文平は、貿易商として成功し相当な資産を築き、本人はケンブリッジ大学へ入学。卒業後も、大学院へ進学しますが、1928年(昭和3年)、父の経営していた貿易商が、昭和金融恐慌の煽りを受け倒産。留学を断念し、日本へ帰国します。帰国後、伯爵・樺山愛輔の娘、正子と知り合って結婚します。その後、就職しますが、吉田茂と知り合い、彼の要請で、1945年(昭和20年)終戦連絡中央事務局(終連)の参与に就任します。
その後も吉田 茂の側近として活躍し、戦後の憲法改正時には、改正の主導権を握っていたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に対しても主張すべきところははっきりと主張しGHQスタッフからは「従順ならざる唯一の日本人」という評価を受けるようになります。商工省の外局として設立された貿易庁の長官に1949年(昭和24年)12月1日就任。それまでの商工省を改革し、通商産業省(のち経済産業省)を設立します。彼はまた、1951年のサンフランシスコ講和条約にも裏舞台で活躍。吉田首相の退陣後は、民間に復帰し、東北電力など大企業の役員として活躍しました。
白洲さんという人は、当時日本人には珍しく、長身で、目鼻立ちのしっかりした彫りの深い顔立ち。おまけに、祖父の白洲退蔵がキリスト教系の神戸女学院の創立に関わったことで、外国人英語教師が白洲家に寄宿していたことからネイティブ英語にも親しむことができました。前述したイギリス留学もあり、当時には珍しく、堂々と国際人たちと渡り合える素地・能力があった日本人です。おそらく当時の敗戦国であった日本では 同じ日本人である白洲さんのような人物を見て、男性は「こうありたい」という羨望、女性にとっては一種の憧れをもって見つめていたのかと想像します。適切かどうかは分かりませんが、簡単に言ってしまえば、イギリスのスパイ小説の主人公のジェームズ・ボンドの日本人の実業家版、というところでしょか。おそらく当時の日本人は、モノもなく、インフラも整っていない、プライドも傷つけられた日本にとって、当時のGHQを始めとする先進国(やその代表機関)を相手に互角に渡り合う、という一種のヒーロー像を白洲さんに投影していたのだと想像します。忌憚なく言うと、それも当時の日本人の劣等感の裏返しような気がしますが、そうった思いを白洲さんに代弁してもらっていた、と感じがするのは自分だけでしょうか。。。今の先進国の仲間入りを果たした日本人(特に若者世代)が、白洲さんという人物をどのように再評価するのか、とても興味があります。
個人的に面白かったのは、戦後の電気事業の再編成における白洲さんと電力業界の大物、松永安左ヱ門(まつながやすざえもん)とのエピソードです。松永という人は、戦前、東邦電力を創立し、同社を五大電力会社の一つに成長させた大実業家で、当時すでに73歳で風流三昧の隠居生活を送っていて、政界、業界に影響を持つ人物です。この人の記述が本書 P94にあります。「松永は顔に特徴があった。口はいつもへの字で、普段から起こっているような顔をしている。耳が並外れて大きい。白い眉毛が庇のように長く垂れ、その下の眼光が異様に鋭い。(中略)人間の顔というのは人生が刻んだ年齢のようなものだが、松永の場合、それは常在戦場の思いで戦い続けた男の顔であった。」 この松永さんは、電気事業編成審議会の委員長に就任し、GHQの後押しを受け、自案を基本にした電気事業再編成令と公益事業令を通すことに成功します。しかし、何事につけ独断でやり過ぎる松永の影響力を疎む吉田首相と白洲さんは次に発足する、公益事業委員会の委員長から松永あさんを引きずり降ろそうと画策し、別の大物を委員長に持ってきて、松永さんをヒラの委員にしようとします。そうすれば、松永さんの性格からして怒りまくった挙句、松永が自分から辞めるという意思表示をすると考えたのです。
白洲さんは次の委員長を憲法改正時の国務大臣・松本丞治にお願いし、日本発送電総裁に就任したての小坂順造に松永さんへの引導渡し役を依頼します。委員長からヒラの委員への降格を告げる直前、小坂は、松永さんからの激しい怒号と叱責を覚悟しましたが、ところが予想に反し、松永さんの口から出た言葉は意外にも「承知した。それでいいから協力させていただこう。」というものでした。この時、小坂は一瞬「この人は何か企んでいるのか。。」と思いを巡らしますが、松永さんは間髪を入れず、「では、松本さんとは面識がないから、この際ご紹介して頂こうかな。」と夜の10時に松本邸へ挨拶へ出向きます。
この報告を受けた白洲さんは、松永さんを強引に引きずり降ろすわけにもいかなくなり、公益事業委員会は予想外の形でスタートします。まわりからは、実績のある松永さんをヒラの委員にしておくのはおかしいという声が上がり、彼には「委員長代理」のポストが用意されます。そして、委員長の松本は、電力業界のシロウトであることから、松永さんは懇切丁寧に松本に業界をイロハから教授していき、松本は彼をしっかり信頼するようになります。つまり、こうやって松永さんは公益事業委員会の実権を握ることに成功し、白洲さんの作戦は完全に失敗します。
本書は、近代日本の基礎をつくった人物の評伝を得意とする 北 康利さん。簡潔な表現で白洲さんの生き方を小気味よく活写して行きます。憲法改正についてのエピソードについては、半藤一利さんの「昭和史」でも描かれていますが、GHQは、日本の憲法学の権威者方の意見を受け付けず、また、改正までの時間もなく相当な ”やっつけ” で進められたことがわかります。その結果、現代まで、日本人にとってアメリカから「押し付けられた」憲法として議論が続いているのは周知の通りです。また、白洲さんの奥さん、白洲正子さんは、有名なエッセイストです。