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猫ちゃんに学ぶ「いのち」とは

2017.12.25 10:10


どうも、みのしまです(^-^)ニッコリ


人間の世界では「死」について語ることは最大のタブーとされます。


それは人間が「死」という概念を知ってしまったが故の悲劇であり、

それを完全に享受することのできない心の弱さが、タブーたらしめる要因であります。


人間はその図抜けた頭脳の高さから「生きる意味」のようなものを模索する旅に出ます。

その航路では実に様々なポジティブなエネルギーによって支えられ、成長し、答えを導きだそうともがき続けるわけですが、


その光る先にある「死」についてはなんら心構えを講じることをしません。


頭の良すぎる人間は、いずれ訪れるその宿命を「考えない」ことで

人生の荒波を泳ぐ術を覚えます。

ポジとネガは決して交わることがなく、相反するエネルギーだからです。


「生」について夢中になるとき

影に潜む「死」の存在は見えません。


そしてそれを天寿であると人々は言うのです。



果たして本当にそうでしょうか。



猫ちゃんはこの世の生を受け、いずれ死するその時まで、

「生きる意味」や「死への過剰な恐怖」を意識しますでしょうか。


少なくとも、僕の目からは

そういった妄執めいたものは感じません。


食べて、出して、寝る。

この繰り返しの人生(猫生?)になんら疑問をもたず

生も死もとっくに受け入れている


そんな「悟り」を感じるのです。


この境地は人間ごときが到達するのは不可能でしょう。


猫ちゃんの見える世界はこの世界の「本質」の投影です。

そこには、固執した生への執着。実体のない死への恐怖。


なにもない世界。


己もない世界。


生まれて死ぬ連続のみを本能的に悟っているのです。


自分は決して特別な存在ではない。

自然のサイクルの小さな一部であると。



生への妄執は

近年活発に議論される再生医療や老化研究、など

顕著にその動向が伺えます。

ワシントン大学の研究チームはNMNという若返り薬を開発したことで話題になっていました。



我々は何の使命を受け、終わったあとには何があるのか

そんなことを考えている時点で猫ちゃんの域からは程遠いのかもしれませんね。



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追伸。

ちゃちゃ。6年間本当にありがとう。

そしておつかれさまでした。

どうか。どうか安らかに眠ってください。