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蠕虫舞手

2022.05.17 12:08

 第1回ぶりに、夙川公民館で行われているポラン堂古書店の店主の「宮沢賢治の世界」の受付の席に座らせて頂きました。

 受講された方から良い評判が広がっているようで、お知り合いを連れてこられる方もいらっしゃったり、慎ましいながらも順調に、先生(店主)の講座の素敵さは伝わっているようです。


 「宮沢賢治の世界」第4回の内容は「宮沢賢治と映像文化」でした。

 講座中、「いまマニアックな話してますからね」「相当マニアックですよ」と先生がたびたび口にし、笑いが起きるほどマニアックな回となります。映像化した宮沢賢治作品の話をしようというのではないのです。宮沢賢治が生前鑑賞した映画などの映像文化について学ぶ回、それをどう作品世界、心象スケッチに生かしたのかを考える回ということになります。

 宮沢賢治が映画を嗜んでいた、というのはどうでしょう。皆さまご存知なのでしょうか。わかりやすく繋がるところでいうと「セロ弾きのゴーシュ」を先生は提示されます。

「セロ弾きのゴーシュ」とは賢治の晩年の、未発表作品の一つです。


ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。


 冒頭からこのようになっています。活動写真というのは明治・大正期の映画の呼称ですね。「motion picture」の直訳からきています。その頃は無声映画ですから、フィルムが流れる傍らで楽士が音楽を演奏していたり、弁士が語っていたりしたのでした(最近だと2019年には周防正行監督『カツベン!』という映画がその題材で作られています。私は自分の知識上その映画の光景を重ねながら先生の話を聴いていました)。ともかくゴーシュはただ音楽団として演奏していたのではなく、フィルム上映の傍らで弾いていたのでした。

 また、「雪渡り」という作品には「幻燈会」が出てきます。「幻燈(幻灯)」とはスライド映写機の原型となる幻灯機によってされる映画以前のフィルム上映のことを言います。


 先生は、宮沢賢治の映画への熱心さを裏付けるものとして、宮沢賢治の弟、宮沢清六さんの「映画についての断章」(『兄のトランク』/ちくま文庫)を取り上げます。そこでは、幼い頃から何度か映画を見に行く兄弟の様子が回想されているのですが、第一回アカデミー賞男優賞を受賞した俳優「エミール・ヤニングス」の名前なども出てきます。「エミ・ヤンはなかなかいいもんだよ。一しょに見に行こう。」なんて、中々はいからなようで日本的な光景に思えますよね。賢治が観たとされる無声映画の中でもエミ・ヤンの『最後の人』『肉体の道』が代表として挙がるようです。

 また清六さんの文章では、兄の賢治が「説明したり昂奮したりしなかったことの重要性」についてが強調されていて、「兄がだまって沈黙して何も言わなかった時は、必ず彼が何かの点で感動し、或いは深い意味のあるときだった」とあります。八つ離れた弟が、後から回顧しそのことに思い当たるというのもとても趣深いですけれど、先生の授業は次に、そうして映画を眺めていた賢治が、映画をどう自身の表現にどう生かそうとしたかというところに入っていきます。


 宮沢賢治が最初に作品を発表したのは盛岡高等農林学校時代、友人たちと発刊した同人誌『アザリア』の中でした。二十一、二歳の頃だといいます。『アザリア』の仲間として、賢治の親友として有名な保阪嘉内(ほさかかない)の名前も紹介されます。

 『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルとなった説もあるほど、賢治に大きな影響を与えた人物であることは確かで、彼が天皇制批判によって退学した後は73通の手紙を贈ったといいます。先生のスライドには、嘉内氏の息子によってテレビ東京の『開運! なんでも鑑定団』でその手紙が鑑定されたことが紹介され、その画像もあいまって、切ないながらに皆さんの笑いが起きる場面でした。しかし金額は1億8000万円。73通あるとしても、手紙が、その値段というのは驚きです。もちろん売りに出されることはなく、保阪嘉内の出身、山梨の県立文学館に展示されたとのこと。(「どうせなら賢治記念館に欲しいですけどね、でも1億8000万も出せませんから」と小言のように先生が仰るのも可笑しく、笑ってしまいました)

 少々脇道にそれてしまいましたが、『アザリア』にて賢治が最初に発表したのは同郷の先輩の石川啄木を思わせる三行分かち書きの短歌でした。


岩鐘のまくろき脚にあらはれて
稗のはた来る
郵便脚夫


 初めて世に出た賢治作品ということになります。しかし、すごいでしょう、なんてことは受講される皆さんに押し付けないのが先生です。反応という反応がないのを受け、まぁへえって感じですよね、と笑いを誘います。

 しかし、この歌にある映像的試みは順を追って解説されます。こちらのブログではその解説をかいつまんで伝えるのみで、皆さまの気を引くまでにはならないかもしれませんが、要は「岩鐘(大きな岩場を思い浮かべてください)から影が表れて、それは稗(穀物)の畑をひた走り、よく見ると郵便脚夫だった」と、三つの段階に分けたズームアップがされているのです。最初の「まくろき」から不穏な緊張感を与えるあたりでも、観客をひきつける映画のような試みが感じられます。

 後の『アザリア』二号に掲載される「みふゆのひのき」は、一本の木を窓から見つめたような十二首の連作短歌となっています。ここでも先生は教室の窓をスクリーンに模している賢治の表現技法に触れ、幻想的に動くスクリーンの向こうと止まったままの自分を表すことで思春期の葛藤を見ることができると解説なされます。


 このように賢治が試みたもの、やがて心象スケッチと呼ばれるものは映画に影響を受けているよう考えることができます。心の裡というよりは見た景色を表現しており、ただし写実というにはあまりにも見た者の心境による為に、ズームのような映像的動きをもった試みが彼の技法としてしっくりいったということかもしれません。文芸評論家、高橋世織さんの「映像記号論からみた《心象スケッチ》」(『宮沢賢治の世界』展図録、1995)には「文字(活字)を載せた紙媒体を用いて『文字映画』を創出しようとしたのだ」とあります。

 文字映画……現代小説でいうと何が思い当たるでしょうか。実際、高橋世織さんの文章にも触れられている通り、今となると映像体験にさらされ過ぎているので、映像的描写だけでいうとそれほど珍しくはないと思います。逆に映像化できない小説、も注目を集めているわけで。ただ、宮沢賢治の領域は、単純に映像的なものというくくりには収まっていない。現代における「文字映画」を考える際、そういう領域や立ち位置的なものも考えてみたくなります。



 とまぁ、マニアックな回でした。

 ところでタイトルの『蠕虫舞手』、皆さま読めましたでしょうか。

 アンネリダタンツェーリンと読みます。『春と修羅』に収録されている、蠕虫(ぼうふら)が踊っているように見える、という賢治の、これもまた映像的な詩の一つです。

 先生なら一発で「アンネリダタンツェーリン」と読むでしょうし、本日受講された方もぱっと読める方がいるかもしれません(私は再三ググっています)。

 ミステリーのネタに使えそうだなと勝手に思ってしまいます。「あの人はこの字をアンネリダタンツェーリンと一発で読んだ、ということはまさか……」みたいな。「あなた今、迷いなくアンネリダタンツェーリンと言いましたね?」みたいな。

 うん、はい、最後くだらない話でお茶を濁しましたけれど、宮沢賢治講座の次回は5月30日(月)です。「宮沢賢治と鉱物・宝石」というまたマニアックなものになりそうですが、初めての方も親しみやすく、楽しめる内容になると思います。

 お時間と場所に都合があいそうな方はぜひ。