【プロサッカー選手の坪井慶介さん】「湘南ベルマーレ」と「茅ヶ崎」という環境に助けられた
▼坪井慶介さんのご経歴
1979年生まれ、東京都多摩市出身。2002年から2014年まで浦和レッドダイヤモンズに所属し、その間に日本代表にも選ばれる。2015年から湘南ベルマーレに移籍し、茅ヶ崎で住み始める。2018年からレノファ山口FCに移籍となるため、茅ヶ崎を離れることに。
――― 本日はよろしくお願いいたします。
坪井 こちらこそ、よろしくお願いします。
――― 湘南ベルマーレから、レノファ山口FCへの移籍が決まりましたね。
坪井 はい。2018年の1月に茅ヶ崎を離れることになりました。
ですので、そんな私が「エキウミ」さんのインタビューを受けても良いものかどうか心配だったのですが…大丈夫ですか?
――― もちろんです。サッカー日本代表も務めたことのある坪井さんから、そのようにお気遣いをいただくと余計に恐縮してしまいます(笑)それでは、茅ヶ崎に住み始めたきっかけから伺えますか。
坪井 2015年から湘南ベルマーレに移籍が決まり、妻と「せっかくだから海の近くに住もう」という話をしていました。
湘南エリアの物件を色々と見てまわったのですが、この辺りは馴染みがなかったので当時はよくわからず、最終的に茅ヶ崎に決めたのも、たまたまだったと思います。
――― 実際に住み始めてみて、いかがでしたか。
坪井 茅ヶ崎がこんなに良いところだったのかと気づかされました。
もちろんレッズにいた頃のさいたま市も気に入っていましたが、何というか茅ヶ崎の人たちは…良い意味で、ユルいというか(笑)
茅ヶ崎に住んで3年になりますが、私にとっても家族にとっても、すべてにおいて良い影響しかなかったと思います。
――― そこまで良かったですか(笑)
坪井 もうジャストフィットという感じで(笑)
Jリーグは毎年2~11月の10ヶ月間がオンシーズンですが、その間はサッカー中心の生活になります。
ただそのオンシーズンであっても、週1日の休みを茅ヶ崎で過ごすことでフッと気の休まる時間を作れたので、それが私にとってはとても良かったです。
↓茅ヶ崎の海辺で長男と走る様子(引用元:tomo_baby3 Instagram投稿)
――― サッカー選手として過ごす環境としても良かったのですね。
坪井 はい。「選手として成長するための努力を続ける」上で、非常に助けられました。
私自身、もともとサッカーの才能があったタイプではないと思っていて、その中で勝ち抜くためには、人よりも成長するための努力を続ける必要がありました。
それでも年齢を重ねるにつれ出場機会が減ったり、色々なことが重なったりしますが、その中で曺監督率いる湘南ベルマーレにいられたこと、そして茅ヶ崎で過ごせたということは大きかったのかなと思います。
――― その湘南ベルマーレから移籍が決まり、ちょうどいまがオフシーズンですよね。どのように過ごされていますか。
坪井 いつもオフシーズンであっても茅ヶ崎の居心地が良くて、ほとんど市外に出なくなったのですが、いまも同じですね。
家族でお出かけをして、「今日は遠出したなー!」と思うときでせいぜい鎌倉ぐらいの距離です(笑)
ここ数日は、1月上旬に山口に引っ越すのでその準備をしたり、なかなか会えてなかった方々に会ったり、お世話になったお店に挨拶をしに行ったりして過ごしています。
――― これから茅ヶ崎を離れるわけですが、どのようなご心境でしょうか。
坪井 そうですね、茅ヶ崎の仲間には、「これからも茅ヶ崎で過ごせていいなぁ」って言っています(笑)
いまになって思うことは、縁もゆかりもないサッカー選手が移住してきたときに、選手どうこうではなくただ一人の住人として受け入れてくれた皆さんに心から感謝しています。
私は自分の好きなサッカーを続けていくためにこの茅ヶ崎を離れますが、皆にはこの街での暮らしを引き続き目いっぱい楽しんで欲しいですね。
――― インタビューの後半では、ご家族とのお話について詳しく伺っていきたいと思います。
(次回につづく→妻に花を贈り、子どもの母に花を贈る )
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【プロサッカー選手の坪井慶介さん】
・第1話 「湘南ベルマーレ」と「茅ヶ崎」という環境に助けられた
・第2話 妻に花を贈り、子どもの母に花を贈る
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Blog / Facebook / Twitter)
2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。