48年革命8-チャーティスト大集会と失敗
2022.05.18 10:44
ジャガイモ飢饉は、もちろんイングランドにも影響を与え、労働運動が再び活発になった。英首相ジョン・ラッセルは、1847年に工場法を改正し、若年と女性労働者の労働時間を10時間に制限した。しかしフランス2月革命で、国民は普通選挙を獲得した。チャーティスト達は三度目の普通選挙誓願運動を行う。
この請願目標は500万人で、期限は4月10日とされ、イギリス各地で大運動が展開された。アーネスト・チャールズ・ジョーンズは「組織がないと人民はモブでしかない、組織を持てば軍隊になる」と運動を鼓舞した。急進派は暴力革命も辞さずと言い出し、15万人の特別警官が募集されて運動を監視した。
4月10日、ケニントン・コモン広場で請願集会が開催され、2万人が集まった。街路には警官が並び、警視総監は政府に通ずるテムズ川の橋は渡らせないと言った。直接ヴィクトリア女王に指導者は署名を渡そうとしたが、女王一家は避難しており、乗り合い馬車に乗って内務大臣に署名を渡した。
署名数は、198万人あったが、その内容は杜撰で、ヴィクトリア女王という署名もあったり、その1割が立派な人間と認められていない女性だった。それを理由に議会は審議を拒否し、暴力革命を扇動したという理由で、急進派の指導者を逮捕し、今回も運動はつぶれてしまう。