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くるりん森

社会

2022.05.18 11:42

やる!を、自分できめるって、

その子のタイミング、時期があるんだなあということを、先日のうんどうかいを見て感じます。


昨年までは、「やりたくないよ~」といって周辺で見ながら参加していたけれど、


今年は、「まけないから!」と、競技に張り切って出ていました。


おとなが「やってみたら?」と声をかけたり、おともだちに「やろうよ」とさそわれても、

「じぶんはやりたくない。やろうとおもうけど、いろいろ考えたら・・・まだ、やりたくないんだよな」っていう、

じぶんなりの理由がちゃ~んとあるんですよね。


おとな側の気持ちのなかには、

「みんなとやれなくて、だいじょうぶかしら」「これって、いいのかしら?」とかいう気持ちも、もやもやしてくると思います。


そんなもやもやが出て来る時は、ちょっと、じぶんのこども時代をおもいだしてみると、いいんじゃないかなと思います。


たとえば、わたしなんかは、授業のときに「てをあげられない」こどもでした。


その時の心境は「こたえはこうだと思う。でも、わたしが、てをあげてこたえたら、みんなどうおもうかな・・ドキドキする。どうしよう。いつもせんせい、てをあげてないひとはだれ?って言ってるから、答えわかってるからあげようかなどうしよう」って、

じぶんとめっちゃむきあってたんですね~今、思うと。


こども時代ほど、こうやって、「今、じぶんは・・」とむきあっているんじゃないかな。


そうやって「じぶん」の気持ちを守って、「じぶん」の気持ちを見ている感じがします。


こどもは、じぶんの世界で生きているからかなあ。


おとなになると、社会に身を置くことで「じぶんとむきあう」ことより、「環境、まわり」へ、問題を投げちゃうとことが出てきます。


いろいろ知恵がついちゃうからかしら?(笑)


そう考えたら、おとなよりこどものほうが、おとな!じゃん。


だから、

児童文学者のケストナーは「かつてじぶんがこどもだったころをわすれないでください」って言っていたのかな。


まずは、じぶんとむきあう。


それが「社会」のなかで生きるときのちからになるのです。