アンティークの家具のように
今月は、結婚記念日を迎えていました。
都合で、当日ではない別の日に
出かけて静かにお祝いしました。
それにしても
本当によくここまで持ったなぁ、、
決壊せずにここまで続くなんて
キセキでしかない(笑)
いや、本当に、笑いごっちゃないような
修羅場をくぐりぬけて
ここまでなんとかたどり着いた、、
という表現がちょうどいい感じ。
わたしと相方は、
まるで、アンティーク家具のように
ええ味を出し始めているような気さえします。
錯覚かな(笑)
ええように言いすぎかな(笑)
若かったあの頃、
一時の甘く楽しい時代には
想像もつかないような
苦しく辛い破壊的な戦いをし、
がらりと環境を変える荒業で
冷戦状態を保ち
互いに自分の内側を見つめ直し
またぶつかっては角が取れ
次第に丸みを帯びて
しっくりくる道具のような
据わり心地のいいソファのような
渋い飴色の箪笥のような
でも、
よく見たら傷だらけのわたしたちです。
”家族の暮らし”を保つ手をとめずに
手探りで
妥協点を見つけつつ
時にはお互い放牧しつつ
それでもあきらめないで
やってこれたなぁ。。
この先どうなるかは
未知数で、
分かったつもりが、本当の分かったは
終わってみなけりゃわからないけど
まぁ、それも楽しみつつ
やっていこうかなと思えるなら
きっとこれは、ひとつの
幸せの形なんだろう。
巷のご夫婦にも、みなさん
色々な歴史があるのだろうなぁ。
それに、
離婚したらそれまで、ってことは
ないと思う。
離れたとて、お互いそのときのことを
何らかの瞬間で思いだして
その都度、反省したり
懐かしく思ったり、ふとさみしくなったり
別のひととの人生に
教訓として生かしたりしながら
別の場所で
それぞれの道を生きていくのだと思う。
歴史の一部を共有しながら。
結婚している、していない、離婚した。。
ステイタスは違えど
実はどれも同じなのかもしれない。
いかに自分を生きるか、だけ。
最近、あるひとと話していて
自分が大きな思い違いをしていたことに
心底、愕然とした。
帰りの電車で泣けてきて
仕方なかった。
ワタシハナニモワカッテイナカッタトシッタ
過ぎた時間は戻ってこないし
その時は、そうすることでしか
生きていられなかったことも思いだし、
お互いのこれまでの労をそっとねぎらって
今、また元気に顔を合わせられることを
喜んでいようと思った。
あの経験があったから学べた。
ただそれだけ。
学んで、気づくために
わたしが、
一連のデキゴトを用意した。
愛ってやつは、
本当に様々形を変えて
姿を現すから
ドキッっとさせられる。
突如気づかせて、驚かせて
泣かせてくる。
愛は、サプライズが好きなのだ♡
この先も、相方と肩を並べて
歩いていけるといいなぁ。
アンティーク家具のように
使い込んだ感じの
ええ味を醸し出しながら。
音声配信↓
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Sofie KT.