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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

48年革命9-イタリア鎮圧ラデツキー行進曲

2022.05.19 09:47

革命の火ぶたを切ったイタリアだが、そんなに簡単に事はすすまない。4月29日、イタリア統一の旗頭だったはずのピウス9世が、同じカトリックとの戦争は望まない、という声明を発表した。教皇はオーストリア皇帝にも平和を呼び掛けたが、この声明は共和主義者にブーイングされ、教皇は裏切者と罵られた。

またサルディーニャ王国は、住民投票でロンバルディアを併合したが、サルディーニャによって統一されるのに共和主義者も反対し、両シチリア王国のフェルディナンド2世も軍隊を撤退させてしまう。サルディーニャに反対する共和主義者は、フランスの介入を画策して分裂してしまうのだ。

そして7月24日、クストーザの戦いでサルディーニャはオーストリアに大敗を喫して、ミラノまで制圧される。この勝利はオーストリアの貴族達を活気づけ、ウィーンからインスブルックに避難していた皇帝フェルディナンド1世も8月12日に帰還する。そして8月31日に大勝利感謝祭が開催される。

その祝典の曲を書いたのは言うまでもなく、ヨハンシュトラウスであり、北イタリアを鎮圧した将軍を記念して行進曲は「ラデツキー行進曲」と呼ばれた。この曲によって、兵士や士官の士気はおおいに高揚し、貴族側の反撃が始まる。後に政府側からは「ウィーンを革命から救ったのはシュトラウスだ」と言われた。