Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

【社長通信】「ひまわり」と「悶え神」

2022.05.20 06:29

3年ぶりに緊急事態宣言のないゴールデンウィーク(GW)だったが好天にも恵まれ、全国各地の人出は昨年を上回ったと伝えられる。足元ではコロナの新規感染者が再び増加する傾向もみられ、その推移が注視される。

TV等のメディアではロシアによるウクライナへの侵攻、残虐化する戦場の惨禍が絶え間なく伝えられる日々、視聴者への精神面での悪影響が心配だ。いずれにしろ早期の停戦を祈るばかりである。


ところで後期高齢の域に達した私にとってかつて理想としていた晴耕雨読という生き方がいつの間にか自然に身についているようだ。つまり晴れの日には畑を耕したり、芝(草)を刈ったり、雨の日は読書などで精神を耕す。このGWはその二つをそれぞれに実施できた充実した期間であった。

自らの生きてきたそれぞれの時代のそれぞれの歩みをふりかえりつつの読書や、人の世の不条理、人間の業を問いかける映画等で脳が痺れた。そして百姓のDNAが流れる血がそうさせるのか趣味の域を超えて取り組む畑仕事などで汗を流し、心身をリフレッシュできたのである。


ロシアとウクライナの現実を眼の当りにして鑑賞した映画「ひまわり」は50年前の記憶がよみがえり胸が痛く、苦しくなった。果てしなく咲き誇るひまわり畑と切ない別離、ひまわりの下には数えきれないほどの戦争犠牲者が眠っていることを改めて知らされたからである。

そして原一男監督(山口市出身)が372分で物語る、20年の時と場所の「水俣曼荼羅」である。以前読んだ石牟礼道子の名著「苦海浄土」を思い起こしながら苦悶、煩悶するリアルな人間模様に没入した6時間、心身ともに芯から疲れた。


―悶え神、悶えて加勢する。自分は何もできないから せめて水俣の人々と嘆き、悲しみを共にしよう。― 石牟礼道子


この言葉の意味を今も考え続けている。


そして農業、連休の3週間前に冬野菜の後片付け、雑草の根を取り除いては耕運機にて耕した。苦土石灰と牛糞や鶏糞を混ぜ込んだ堆肥を施し、丁寧に繰り返しては耕した。

そしていよいよ連休、初日は雨上がりで土が適度に湿り気を帯びていて、畝立てもきれいに仕上がった。10坪の広さの畑に畝(幅120㎝×長さ330㎝、畝間30㎝)を鍬1本で8本も仕立てる作業は結構きつい。

最後に除草用のマルチをかけて、準備は完了。事前に購入していた苗は病気や連作障害を避けるために全て接木苗で、かなりの出費となった。


3日午後から本格的に苗の植え付けを開始。

前もって準備していた柵の下を目印に猫ではなく孫たちの手を借りながら、先ずはキュウリを植えた。2列、16本である。次にトウモロコシを2列30本も植えた。1本から2つとして60ケほどの収穫が期待出来る。なにしろコーン大好き人間の私である。

4日にはトマト、ナス、ピーマンと各2種類ずつ30株とカボチャの苗を4本植えた。小松菜やホウレン草の種も播き、最後にサツマイモの蔓を30本植えた。芋掘りは孫たちの収穫祭で近所の子供たちにとっての楽しみでもある。


これから夏に向け日々の管理が大変ではあるが、これが楽しいのだ。水遣りや除草など野菜との対話である。野菜の生育状況を見て、その声にじっくりと耳を傾ける。喉が渇いたといえば水をやり、元気がないと見たら追肥を施し、トマトの脇芽欠きや摘果は豊かな実りに欠かせない。

先日水遣りしていたらマルチの下からカエルが顔をのぞかせていた。水をかけるとピョンと飛びだしてきた。どうしてそこにいるのと聞くと、帰る(カエル)ところがないの、というようにピョンと飛んでは元に戻った。

命輝く五月である。

代表取締役 加藤慶昭(5月18日記す)