6番目のヤマ
先日出版されたアシュタンガヨガの教本に間違いが見つかりました。ご迷惑をおかけしたみなさま、大変申し訳ありません。
要訂正の箇所は二箇所。一つ目はスーリャナマスカーラBのヴィンヤサ数。ここでは9とありますが正確には17です。
もう一つはアパリグラハのページのタイトル部分です。ここでは「不貧」とありますが正しくは「不貪」です。
これでも何度もチェックをしてからの入稿だったため、とても恥ずかしいですが言い訳のしようもありません。改めて本を購入していただいた皆様にお詫びします。また、レビューをお願いした時点ではこれらの間違いはなかったため、レビュアーの方々には責任がないことをここに明記させていただきます。
大口でご注文いただいた方にはアシュタンガヨガ神戸から訂正用のシールが送付されます。個人の方はお手数ですがアシュタンガヨガ神戸に直接問い合わせるか、あつかましいお願いなのですが、ご自身で訂正いただけると助かります。よろしくお願いいたします。
一生ものの仕事でこんなケアレスミスが見つかってしまい、穴があったら入りたい心境です。ですが、冗談でごまかす訳ではないのですがこの「不貧」という言葉。こんな言葉は辞書に載ってすらないのですが、僕はこの言葉がとても気に入ってしまいました。「経済的にも精神的にも貧しく在らないようにする」っていうとなんかよい言葉じゃないですか?
日本では特に「清貧」という言葉もあるくらい、慎ましく暮らすことが美徳とされています。ですが、それなりに生活が保障されている中で控えめに生活することと、貧困に喘ぎながらやせ我慢をすることは違いますよね。
どうしたって僕らは霞を食って生きることはできず、税金だって納めなければなりません。ですから一部の極めて裕福な人を除いて、誰だって必要なお金は稼がなければいけません。どの程度のお金を必要とするのか、という点ではニヤマの「知足」の出番となるわけですが、浅ましくあらないようにする、溜め込まないようにするというヨガの教え「アパリグラハ=不貪」は決して「貧しさに耐えろ」という教えではありません。自分が好きなこと、僕だったら必要な人にヨガを伝えることで、自分も周囲もハッピーに暮らしていけるくらいの収入を得ることは決してヨガの教えに背くことではないはずです。
以前、僕に後屈とヴィンヤサヨガの基礎を叩き込んでくれた、大好きなインド人の先生が言っていました。「ナオキ、私たちヨガ講師が人並みに家を建てて周囲に施しができる程度に稼ぐことの何が悪い?」当時、自分のヨガシャラーを増築中だった彼は誇らしげにそう言いました。
インドではヨガ講師の社会的立場があまり高くないこと、世捨て人のように本当に着の身着のままでヨガや聖典の教えを説いて暮らす人々がいることや、彼自身幼少期はヨガ講師をしていたおじいさんと旅暮らしをしながらアーサナを人に披露して収入を得ていた、という体験からくるだいぶ深めの発言なのですが、今こうしてヨガを伝える身になって、彼が言わんとしていたことがよくわかります。
ヨガ講師とて浮世で生きていかなければならないのであれば、浮世の流儀でやるしかないこともあるのだと思います。特に、家族を養う責任がある人は。そんなわけで、この「不貧」を勝手に6番目のヤマにして胸に刻むことに決めました。半分冗談だけど半分本気(笑)これからは「不貪」と「不貧」、さらに「知足」をバランスよく練習していこうと思います。本はスタジオで販売中。まだ購入していない方はぜひどうぞ!※通販はしてません