末っ子とぽかぽかアイスクリーム
「にぃに、ボールー!」
「いいよ、いつでもおいで」
「ん〜、む…とぁ!」
「わぁ、上手上手」
青空眩しい日曜日。
朝から太陽が主張するよく晴れた今日、モリアーティ家の次男と三男は綺麗に整えられた庭で仲良くボール遊びをしていた。
広大な庭には様々な種類の花が美しく咲いており、少し進んだ先には庭師自慢の温室もあるのだから、天気を気にせずいつでも自然を感じることが出来る。
開いた広場には長男のアルバートが生まれたときに遊具を設置し、末のルイスが生まれる前には全て整備を済ませている。
ここはもはや庭というよりもいっそ一つの公園だ。
ルイスはその広々した空間で自分の頭ほどもある大きなボールを思い切り投げ、きちんと目当ての人物まで届いたことに両手を上げて喜んでいた。
「とどいた!」
「ボール投げが上手になって偉いねぇ、ルイス」
「わぁい」
ボールが弾まず一度でウィリアムの元に届いたのは初めてだ。
腕の力だけでなく体の使い方も上手になっていると、ウィリアムはにっこりと笑いかけながらルイスの元へとボールを転がしてあげる。
待ちきれずに小さな足でとことこと駆け寄りボールを掴んだルイスは、もう一度それを投げていく。
二人は特に代わり映えのない、ごくごく一般的なボール遊びを楽しんでいた。
「暑くなってきたね。ルイス、そろそろ休憩しようか」
「うん。ぽかぽかするの」
「そうだね、ぽかぽかして暑いね。だから今日のおやつはアイスクリームを頼んでいるよ」
「アイス!」
持っていたボールを抱きしめウィリアムを見上げるルイスの目は、途端にキラキラ輝いていく。
今日は朝早くから随分と暖かく、昼食を終えたタイミングでボール遊びをしていた二人の体にはうっすら汗が滲んでいる。
ウィリアムはルイスの額に浮かんだ水滴をハンカチで拭いながら、この気候の中で食べるアイスはさぞ美味しいだろうと考えた。
夕方にはにわか雨が降るようだし、その前に火照ったままアイスを食べて体を冷やせばきっと心地良いはずだ。
ルイスはきちんとボールを定位置に戻し、近くにある水場で手洗いをしていた。
「アイス、たのしみ!ぽかぽかしてるの、ひんやりするねぇ」
「そうだね、アイスは冷たくて美味しいから僕も楽しみだよ」
「にぃもアイスたべる?いっしょ?」
「まだ勉強が終わってないかもしれないから、聞いてみようか」
「あぃ!」
本当ならば、今日はアルバート含め三人で庭遊びをする予定だった。
随分と活発に動くようになったルイスの発散場として広い庭は都合が良く、部屋の中で絵本を読んだり絵を描いたりして過ごす時間と同じくらいに、最近は外に出たがることが多いのだ。
ルイスの中では今日、ウィリアムとアルバートと三人でボール遊びをしたり花々を鑑賞するつもりだった。
けれど、今日はどうしても外せない勉強があると言うので渋々アルバートを諦め、ウィリアムと二人で遊んでいたのである。
一緒に遊べずとも、おやつは一緒に食べられるかもしれない。
ルイスはそわそわした気持ちでウィリアムの手を握り、部屋にこもっているだろうアルバートの元へと向かっていった。
「アルにぃ、おべんきょうおわったかな。アイス、たべるかな」
「どうだろうね。大事な勉強だから、邪魔はしないように気をつけようね」
「なんのおべんきょうしてるの?すうがく?」
ウィリアムがよく「すうがく」の勉強をしているから、アルバートも同じ勉強をしているのだろうか。
ルイスがそう尋ねると、ウィリアムは首を振ってから少しだけ考える素振りをするかのように指を顎に持っていく。
「数学じゃないよ。小論文…そうだな、アルバート兄さんはお話を書いているんだよ」
「おはなし?すごいねぇ、アルにぃすごい。ルイにもよんでくれるかな?」
「どうかなぁ。兄さんにお願いしてみようか」
「にぃのえほん、ルイもほしいなー」
ルイスの歩幅に合わせてちょこちょこと小さく歩きながら他愛もないことを話していれば、いくら広い屋敷とはいえ目的の部屋にはすぐ辿り着く。
設置されているベルには手が届かないため、ルイスは小さな手をぎゅうと握りしめて扉をトントンとノックしては部屋の主へ呼びかけた。
「にぃーアルにぃー」
「ルイス、ウィリアム。外で遊んできたのかい?」
「そなの。ボール、じょうずになったんだよ」
「本当かい?今度、私にも見せておくれ」
「いっぱいみせてあげるね!」
「ありがとう、楽しみにしているよ」
「進歩はどうですか、兄さん」
「あぁ、まずまずと言ったところだな」
すぐに出てきたアルバートはウィリアムへと笑いかけ、そのままルイスの体を抱き上げる。
ボールを上手に投げられるようになったと報告してくれるルイスを抱きしめ、ご褒美のように頭を撫でてあげれば柔らかく笑ってくれた。
「確か夕方には雨が降る予報だったね。早めにボール遊びを切り上げてきたのかい?」
「それもあるのですが、思っていた以上に暑かったもので。もうおやつにしようと思ったんです」
「おやつ、アイス!」
「確かに今日は少し暑いからな。アイスは美味しいだろうね」
「にぃもいっしょ、アイスたべる?おそと、ぽかぽかできもちぃの」
「せっかくなので、兄さんもテラスでアイスを食べませんか?」
「そうだな…」
部屋の中へと足を進めながら、アルバートは先ほどまで使用していた机とその上に置かれたパソコンを見る。
弟達とのアイスクリームパーティーは魅力的だ。
だが進学先に提出する小論文に加え、今は学外に向けた企画の提出とモリアーティ家に任された案件をいくつか抱えている。
先延ばしにしても良いことはないし、集中すれば夕方には全ての目処が立つだろう。
ならばここは耐え忍び、夕方以降に二人との時間を作るのが正解だ。
アルバートは漏れ出そうになる溜息をなんとか飲み込み、ルイスの頬を指先で突いては柔らかさを堪能する。
鼻を寄せればミルクのような甘い香りに僅かに汗の匂いが混ざっていて、外の暑さを窺い知れた。
「残念だが、今は遠慮しておこう。ルイス、夜には一緒に遊ぼうか」
「にぃ、おはなしかくの?ルイにもよんでくれる?」
「お話?…あぁ、なるほど。そうだね、完成したら一番にルイスに読んであげよう。だから今はウィリアムと二人でアイスを食べておいで」
「ん、わかった」
「では、ナニーにお茶を頼んでおきますね」
「ありがとう、頼むよ」
「アルにぃ、おべんきょうがんばってね」
ルイスが一際強くアルバートに抱きついて力が弱まったのを確認してから、ゆっくりと絨毯の上に小さな体を下ろす。
両足で着地してすぐにウィリアムの手を握ったルイスはそのままアルバートに手を振って、アイスを求めて厨房へと向かっていった。
「アイス、たのしみねぇ。ルイ、アイスすち」
「ルイスは何のアイスを食べたいの?」
「んー、あかとみどり!」
「またいちごとピスタチオかい?ルイスはその二つがだいすきだね」
「すち〜」
赤はにぃにで、緑はにぃなの。
まだまだ舌足らずな口でそう言うルイスが可愛らしくて、ウィリアムは握っていた手に力を込める。
兄達の印象的な目の色を求めているのだと思うと堪らなく愛おしい。
込められた力に負けじとルイスからの手にも力がこもり、ウィリアムは小さな弟を見下ろしては足を止めて抱き上げた。
いきなりの浮遊感に驚いたように目を見開くルイスだが、慣れているので変に力を入れてバランスを崩すような真似はしない。
「だいすきだよ、ルイス」
「ルイもウィルにぃに、だいすち!」
「ありがとう」
いつもなら、抱っこしないの、自分で歩く、と暴れるルイスが、今日は大人しくウィリアムの腕の中に収まっている。
先ほどのボール遊びで疲れたのか、それともウィリアムの腕の中が心地良いのか。
きっとそのどちらもだろうと考えながら、ウィリアムはルイスを抱えたまま大きな冷蔵庫が存在する厨房へと入っていった。
「あら、ウィリアム様にルイス坊っちゃま。そろそろお呼びしようと思っていたところなんですよ」
「ありがとう、ナニー。今日はルイスと庭でアイスを食べようと思うんだ」
「グラスを冷やしておりますよ。お好きなアイスをお選びくださいな」
渡されたグラスはとても冷えており、すぐそばには生クリームやカラースプレー、いくつかのソースとフルーツも用意されている。
これならば豪華なアイスクリームパフェが出来ることだろう。
ウィリアムはルイスを下ろし、冷凍庫の扉を開けてアイスクリームの入った容器をトレイごと取り出した。
そこにはバニラやチョコ、キャラメルといった定番のフレーバーから、ルイスが所望しているストロベリーやピスタチオ、チーズケーキやレモンなど様々なアイスクリームとシャーベットが用意されている。
どれも幼いルイスに合わせて素材の味を活かした、モリアーティ家御用達の特製アイスだ。
ウィリアムは右手にアイスクリーム用のディッシャー、左手に大きなグラスを持ち、ルイスに笑って問いかける。
「ルイス、どのアイスが良い?すきなものを用意してあげるよ」
「ルイ、あかとみどりと、ミルクもほしい!」
「いちごミルクとピスタチオクッキー、フレンチバニラだね。チョコレートはいる?りんごは?」
「ましまろのチョコもたべる!りんごもおいちいねぇ」
「じゃあこの二つも追加して…あ、新しい味がある。ルイス、桃のアイスがあるよ。一緒に食べようか」
「ももーももおいちいねぇ、すち」
「ウィリアム様、少し多いのではないですか?」
「大丈夫、ルイスが食べきれない分は僕が食べるから」
「ですが…」
楽しそうにアイスを選ぶルイスのため、ウィリアムは色々な味を楽しんでほしいとあれもこれもと手を付ける。
小さなディッシャーとはいえ、パイナップルシャーベットを追加した合計七種のアイスが入ったグラスは中々壮観だ。
生クリームを少しだけ絞り、ルイスが満足するまでカラースプレーをかけ、カットされていたいちごとキウイを盛り付けたそれはとても美味しそうな見栄えである。
「すごいねぇ、おいちいねぇ」
美味しそう、と言いたいのだろうルイスは、グラスに盛られたアイスを見て両手をふくふくした頬に当てている。
少しずつ、けれどたくさんの種類のアイスはかなりのボリュームだ。
食べ切るのはきっと大変だろう。
ナニーが心配するのも知らずにルイスは見事なアイスの出来栄えに喜んでおり、そんなルイスを見たウィリアムも満足そうに微笑んでいる。
もう何も言うまいとナニーは口をつぐみ、アルバートのためにアイスティーとラムレーズンのアイスをグラスに用意していた。
「これ、アルにぃにもみせたい。すごいねぇっていってくれるの」
「そうだね。兄さんに見せてから食べようか」
「では私もご一緒しましょう」
「はやくにぃのとこいこ!」
ルイスが両手に器を持ち、そのまま歩いて転んでしまっては大変だからと言い聞かせたウィリアムが器を持つルイスを抱き上げる。
軽く器にも手を添えて、万一にでも落としてしまわないよう配慮しながら集中しているだろうアルバートの元へ行った。
ルイスは向かう最中にも、にぃすごいっていってくれるかな、ひとくちたべるかな、そしたらルイのいちごあげるの、と好物であるはずのいちごをアルバートに分けるのだと楽しそうにしている。
優しい姿にウィリアムとナニーが心を温めていると、ルイスが思っていた通りの反応をしたアルバートが出迎えてくれた。
「これは凄いな。全部ルイスが選んだのかい?」
「いちごと、ぴーすちおと、バニラと、チョコと…あとたくさん!」
「良いね。たくさんお食べ」
「にぃ、いちごあげる」
「おや、良いのかい?ではいただこうか」
「あー…おいち?」
「美味しいよ、ありがとう」
フォークで差し出したいちごを食べてもらえて嬉しそうに笑うルイスの頬を撫で、アルバートはルイスに見えないよう少しだけ困惑した表情を浮かべてウィリアムを見る。
「流石に多すぎるんじゃないか?食べ切れるのかい?」
「大丈夫ですよ。ルイスが食べきれなくても、残りは僕が食べるので」
「それにしても多いだろう。全く、悪い癖が出たね、ウィリアム」
アルバートの指摘に少しだけ苦笑しながら、ウィリアムは腕の中にいるルイスを縋るように抱きしめた。
ウィリアムはどうにもルイスにたくさん食べてほしいという気持ちが抑えきれないらしく、いつになっても多くの食べ物をルイスに与えようとする。
無理矢理に食べさせるのを止めただけでも成長したと思えば良いのだろうか。
食べ物を無駄にしているわけではないし、今のところのルイスは過度な体重増加や虫歯もない。
ウィリアムがルイスの健康を害するような真似をしないことは確かなので、あまり過度に咎めることも出来ないのだ。
アルバートは多種多様なアイスクリームのパフェを目に、同じく苦笑したナニーへ一言声をかけた。
「お茶をありがとう。すまないが、一時間後にホットミルクをピッチャーに入れて用意してきてもらえるかい?」
「ホットミルクですか?…えぇ、かしこまりました」
アルバートの指示に疑問を抱いたけれど、それでも言及することなくナニーは了承する。
けれどルイスとウィリアムは素直に疑問を口にした。
「ぽかぽかのミルク?にぃ、きょうぽかぽかだよ。あったかいの」
「空調が効いていて寒いのですか?アイスティーの代わりにホットティーを持ってきましょうか」
「いや、これはすぐに飲んでしまうから大丈夫だよ。ホットミルクは一時間後に必要になるだろうからね」
「ぅん?」
「はぁ…」
アルバートの返答ではルイスどころかウィリアムすらも明確な答えが出なかった。
どういう意味だろうかと更に追求しようとしても、ほらアイスが溶けてしまうよ、と言われてしまえばこの場を去るしかない。
今日は夕立が来る前に暖かな日差しの下でアイスを食べると決めているのだ。
とけちゃう、とオロオロし出したルイスを連れてテラスへ行こうとするウィリアムを見て、アルバートは穏やかな笑みを浮かべてアイスティーを口にする。
そして今日の勉強に使えるのはあと一時間しかないことを覚悟した。
「アイス、おいちいねぇ。ルイ、いちごすち」
「美味しいね。はい、ルイス。ピスタチオのアイスだよ、あーん」
「あー…んむ、んん。おいちいねぇ、ぴーすちお」
「ふふ。ピスタチオ、だよ。ピ・ス・タ・チ・オ」
「ぴ、ぴー?ぴ、す…ちお!」
「あはは、まぁ良いか。可愛いね、ピースチオ」
先ほどまで遊んでいた庭を見ながら、ウィリアムとルイスは設置されている椅子に座ってのんびりアイスを堪能する。
二人で一つの大きいグラスを用意したため、ルイスは一口一口をウィリアムに食べさせてもらっている最中だ。
練乳の優しい甘さが美味しいいちごミルク、ナッツのまろやかな風味が美味しいピスタチオクッキー。
だいすきな兄の瞳とよく似た色味のこの二つは、ルイスが特に気に入っているアイスである。
「はい、バニラのアイスだよ」
「あーん」
口に入れた瞬間にとろけるミルクの美味しさは嫌いな人の方が少なくて、ルイスも勿論だいすきだ。
暑いくらいの気温とひんやりしたアイスは相性ぴったりである。
一口食べれば、上がった体温がすぐに落ち着いていくようだった。
「ルイス、次はりんごのシャーベットを食べようか」
「たべるー」
ウィリアムはアイスを順に一口ずつルイスへと食べさせながら、合間に自分も食べていく。
急いで食べなければ、この陽気なのだからあっという間に溶けてしまうだろう。
だがあまり急がせても良くないし、そもそも幼いルイスでは食べられるアイスにも限界がある。
七種類のアイスを全て一口ずつ、お気に入りのいちごミルクとピスタチオクッキーを二口食べたルイスは、もういっぱいだと両手をお腹に当ててしまった。
「ルイス、お腹いっぱいかな?」
「ん…いっぱい。もういらない」
「そう。また食べたくなったら教えてね」
ルイスは地面に付かない足を前後に揺らしながら風に揺れている花を見た。
毎日遊んでいて見ているはずなのに、なんだか昨日と違って見えるのはどうしてだろうか。
ぽかぽか暖かで気持ちが良いなと、ルイスは瞳を閉じて頬を撫でていく空気を感じていた。
隣を見れば、ウィリアムがアイスを食べながらこちらを見て笑ってくれる。
冷たいアイスを食べたばかりなのに、心がぽかぽかするようだった。
「ふぅ…ご馳走様」
しばらく待っているとウィリアムがアイスを全て食べたようで、空になったグラスを横に置いていた。
ルイスはそれを見て、ふっくらしたお腹に手をやって笑顔を見せる。
「アイス、おいちいねぇ」
「美味しいね」
瞬間、一際大きな風が吹いた。
直に夕立が来るのだろう、先ほどよりも少しだけ冷たい空気が周りを覆っていく。
ボール遊びをして上がった二人の体温はアイスのおかげで元通り、どころか普段よりも低いくらいになっている。
たくさんのアイスを食べたそんな体に強い風が吹きつけると、一体何が起こるか。
「……」
「……」
隣り合って座っていたウィリアムとルイスは軽く身震いし、遠くの空が暗くなるのをじっと見た。
「にぃに、ちゃむい。だっこ」
「そうだね。ルイス、おいで」
アイスを食べた体はあっという間に冷えてしまった。
特にルイスは体が小さく、ほぼ一口ずつしか食べていないにしろ、合わせればそこそこの量のアイスを食べている。
寒くなるのも道理だった。
「ぽかぽかだったのに、いまはさむいねぇ。アイス、おいちかったのに」
「もうすぐ雨が降るからね。アイス、食べすぎちゃったかな」
もぞもぞと移動してきたルイスを膝の上に乗せたウィリアムは、その体を後ろからぎゅうと抱きしめる。
小さな体は確かにいつもよりひんやりしていて、冷えてしまったことがよく分かる。
アイスを食べさせすぎてしまったかと反省するけれど、お腹を壊した様子はないからひとまず良しとしよう。
冷えたルイスの体を温めてあげるのはずっとずっと昔からの、ウィリアムの役目なのだ。
懐かしいなと昔を思い出しながらその体を抱きしめていると、全身の力を抜いたルイスがウィリアムへともたれてきた。
それでも尚まだまだ軽いのだから、早く大きくなってほしいと思う。
そんな気持ちと同じくらいに、今のこの時間が長く続けば良いのにと願う気持ちも存在していた。
「…にぃに、さむい?」
「え?どうして?」
「ぷるぷるしてるの。さむい…?」
「…大丈夫だよ。ルイスが温かいから、僕も温かいよ」
しんみりとルイスを抱きしめていたウィリアムだが、ルイスの指摘通りにその腕はほんの少しだけ震えていた。
抱きしめられているルイスが気付かないはずもなく、不安げな表情を隠さず兄を見上げている。
ウィリアムは寒いから震えているのだ。
もうすぐ雨が降るここはさっきまでとは違い少しだけ寒くて、アイスも食べたから余計に寒くなってしまったに違いない。
ルイスはウィリアムにすっぽり覆われながら抱きしめられているからもう寒くない。
けれど、ウィリアムはそうではないのだろう。
「ルイ、もうさむくないの。でも、にぃにはさむい?ルイがだっこしてもさむい?」
「寒くないよ、大丈夫」
「でも…」
ルイスが振り返ってウィリアムを抱きしめたところで、小さな体では震える兄の体を全て抱きしめることは出来ない。
ウィリアムの首元に腕を伸ばしても両手は届かなくて、代わりに背中へ伸ばしてみてもやっぱり届かない。
寒い思いをしている兄を温めてあげたいのに、ルイスの体では間に合わないことが悲しかった。
「ルイがもっと、おおきかったらいいのに…そしたらにぃに、さむくないの」
「ルイス…」
しょんぼりと抱きついてくるルイスの体は温かくて、抱いているだけで十分ぽかぽかしてくるようだ。
自分のことを案じてくれているルイスの優しさがとても嬉しい。
あぁ、この子がとても愛おしい。
ルイスが腕の中にいるだけでウィリアムの心は満たされるのだ。
「ありがとう、ルイス。大丈夫だよ、とても温かい」
抱きしめようとしてくれているルイスを逆に抱きしめて、ウィリアムはこれ以上ないほどの笑顔でルイスの名前を呼ぶ。
幸せだと実感する。
けれどルイスはそれで満足できなかったようで、心配そうな顔でたくさんたくさん考え込む。
そうして閃いたのは、自分よりもウィリアムよりも大きな体を持つだいすきな兄の顔だった。
「ウィルにぃに、アルにぃのとこいこ!」
「え、どうして?」
「にぃならギュッてしてくれるの。ぽかぽかなの!」
「…う〜ん…」
我ながらいい考えだと、ルイスがウィリアムの腕の中で今にもぴょんと跳ねそうな勢いで言う。
アルバートならばウィリアムの体を抱きしめて温めてくれると考えたのだ。
自分に出来ずとも、アルバートならばきっと出来る。
実際それは正しくて、今に限らず以前生きた世界でも、ルイスに出来ないことでアルバートが成し遂げたことはいくつもあった。
それに彼の体は温もりに満ちていて、ルイスは何度もアルバートに抱きしめられてはぬくぬく温まってきた。
ウィリアムもそうなれば良いと思ったのに、ルイスの名案に対してウィリアムの反応はどこか乏しい。
「にぃに?」
「…アルバート兄さんの忠告を無視しておいて、アイスの食べすぎで体が冷えましたとはいくら僕でも言えないんだよ、ルイス」
「あぅ?…にぃに、もういっかい」
「あぁ何でもないよ、ルイス」
難しいことを言われて理解しきれなかったルイスの催促を無視して、ウィリアムはにっこり爽やかな笑みを浮かべる。
大丈夫だと大見栄を切っておいてこの体たらくはあまりにも恥ずかしいけれど、ルイスにその辺りの機微は分からない。
何とかルイスを抱きしめることで体温を取り戻したいところではあるが、それを待とうにもルイスは既にアルバートのところへ行く気満々だ。
ウィリアムの腕の中を抜け出してはその手を取り、早く行こうと引っ張り出した。
「にぃのとこいこ!にぃならぽかぽかしてくれるの。ルイ、アルにぃにあいたい!」
「…そうだね、兄さんに会いたいね」
「ね、あいにいこ」
温まりかけていたルイスが冷えないよう抱き上げて、少しばかり気まずい気持ちを抱えたままウィリアムは歩き出した。
アルバートに会いたいのだとルイスに言われてしまえば、ウィリアムがそれを拒否することは出来ない。
怒られるかなぁと若干気落ちするウィリアムとは対照的に、ルイスは嬉しそうに足をパタパタさせていた。
今日はあまりアルバートと過ごす時間が取れなかったのだから、会いたい気持ちが募るのも無理はないだろう。
ウィリアムはルイスを抱えたまま極力ゆっくり歩いたけれど、それでもあっという間にアルバートの部屋へ辿り着いてしまった。
そうして訪ねた時間は、先ほど別れてから丁度一時間後のことである。
「ようこそ、ルイス、ウィリアム」
「にぃーおべんきょうおわった?」
「今日の分は終わったよ。一緒に遊べなくてすまなかったね、今から遊ぼうか」
「わぁい」
ノックをするよりも前にアルバートが出迎えてくれたかと思えば、そのまま部屋の中に招かれる。
座った席の前にある机には二つのカップが並んでいて、ウィリアムとルイスが愛用しているそれにはホットミルクが入っていた。
「にぃ、このミルク、ルイの?」
「そうだよ。アイスを食べて冷えただろう?少し飲んで温まると良い」
アルバートの言葉に目を輝かせたルイスはこくりと一口ミルクを飲む。
おいちい、とため息を吐くように言ったかと思えば、この部屋に入ってからまだ何も言葉を発していなかったウィリアムについて話し出す。
「あのね、にぃにがぷるぷるなの。さむいの。にぃ、ぽかぽかしてほしいの」
「へぇ、ウィリアムが寒くて震えているのかい。それで、私にウィリアムを温めてほしいんだね?」
「ルイだとちいさくて、にぃにをぽかぽかできないの」
「そうか。ルイスは優しいね」
「……」
しょんぼりと言うルイスが健気で可愛くて、力及ばない自分のことを悲しむ必要はないと励ますように髪を撫でる。
独特の語彙を持つ幼児特有の言語を的確に汲んでいるアルバートは、心優しいルイスを撫でながら視線では呆れたようにウィリアムを見た。
「さぁウィリアム。何か言うことは?」
「…あれくらいのアイス、大丈夫だと思ったのですが」
「ルイスがまだあまり食べられないことを忘れるでないよ。ほぼ君が食べることは間違いなかっただろうに、見通しが甘すぎる」
しょんぼりと気まずそうに苦笑するウィリアムを見て、まぁそれなりに反省しているかとアルバートは判断する。
青白くなったウィリアムの顔は見ているだけで良いしれない不安が煽られてくるようだ。
今後はルイス可愛さに己の体を壊してしまうことのないよう、十分に気を付けてもらわねば困ってしまう。
アルバートにとってはルイスだけでなく、ウィリアムも大事な弟の一人なのだから。
「まずはホットミルクを飲みなさい。そのために用意させたのだから」
「用意が良いですね、兄さん」
「もう長く一緒にいるからな。大体の予想は付くさ」
「それは頼もしい」
ルイスのカップの隣に置いてある己のカップを手に取り、丁度飲み頃の温度になっているミルクを口に含む。
砂糖も蜂蜜も入れていない、ただ温めただけのホットミルク。
アイスで甘ったるくなっていた口の中がリセットされるようで、同時に冷えていた体がゆっくりとほぐれていく心地がした。
指定した時間もチョイスした飲み物も正しくベストだ。
アイスを食べすぎて体を冷やし、助けを求めてくることを予想されていたのかと思うと何とも言えない気持ちになるが、それほどまでに理解されているのかと考えれば悪い気はしない。
さすがアルバートだと感心していれば、ルイスは「すごいねぇアルにぃ」と素直に感動していた。
「にぃ、ミルクありがとう。おいちかったよ」
「あぁ良かった。もう体は温まったかな?」
「ぽかぽか!でも、にぃにはまださむいはずなの」
「任せなさい。私がぽかぽかにしてあげるから」
そう言ったアルバートはルイスをウィリアムの膝の上に乗せ、そのウィリアムの後ろに回ってその背中を抱きしめた。
「に、兄さん?」
幼いルイスと、少年のウィリアムと、青年期に入りかかったアルバート。
それぞれの体格差は明白で、三人揃っているとまるで一つのマトリョーシカのようだった。
腕に抱いたルイスが温かいし、背中もアルバートの温もりで包まれている。
何となく慣れない感覚にウィリアムが声を出せば、ルイスもアルバートも気にした様子はなく彼を間に挟んだ状態で会話をしていた。
「にぃ、おおきいねー。ルイもはやくおおきくなりたいな」
「たくさん食べてたくさん寝れば、ルイスもすぐに大きくなるさ」
「ほんとう?そしたら、ルイもにぃにをギュッてできる?」
「あぁ勿論さ」
「にぃもギュッてしたいな」
「それは楽しみだ。早くルイスに抱きしめてもらいたいものだな」
「はやくおおきくなりたいなー」
お腹に回っているウィリアムの腕をぺちぺちと撫でつつ、ルイスはすっぽりとウィリアムに覆い被さっているアルバートの頼もしさににっこり笑っている。
楽しいボール遊びをして、美味しいアイスを食べて、だいすきな兄達に構われて、ルイスは幸せいっぱいである。
ウィリアムはそんなルイスがいれば何より幸せなのに、アルバートがいることでますますその幸せが大きくなっていくようだった。
こんなにも幸せを感じてしまって良いのだろうかと、答えのない問いかけが頭を過ぎる。
けれどルイスもアルバートも満たされたように笑っていて、これで良いのだと理屈ではなく本能で察してしまった。
「…温かいね、ルイス。アルバート兄さん」
「ね、ぽかぽか!」
「たまにはこういう時間も良いだろう」
「えぇ、そうですね」
冷えてしまった体があっという間に温かくなった。
ウィリアムはルイスをお腹に乗せるようにもたれさせ、そのままアルバートを背もたれにするように体重をかける。
それでも揺らがない兄に頼もしさを覚えつつ、前と後ろから感じる温もりに目を閉じては残りの時間を微睡んで過ごすことにした。
(アイスは美味しかったかい?)
(おいちかった!にぃのアイス、なんのアイス?)
(ラムレーズンのアイスだよ。ルイスにはまだ早いかな)
(らむれーずん…にぃにはなんのアイス、すち?)
(僕はルイスがすきなアイスがすきだよ)
(いちごと、ぴーすちお?)
(そうそう、いちごとピスタチオがすき。ルイスのお目々に似てるから、ブルーベリーもだいすきだよ)
(ぶるーべりー…ルイもたべたい)
(今度、一緒に食べようね)