日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 21
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 21
霞町飯店の中では、宴たけなわという感じであった。大沢は、何か満足そうに食事をしながら、この日のテロの話は一切しなかった。昨今の政治課題や自慢話ばかりである。しかし、大沢三郎の部下ともいえる青山優子も、岩田智也も大沢のような満足そうな雰囲気ではなかった。
「大沢先生」
「何だ」
「本日のテロの事ですが」
「テロ」
大沢は、何か不思議なものを見る目で青山を見た。
「はい、先生。多くの国民が巻き込まれて傷ついています。」
青山は、真剣に言った。岩田もその隣で真剣なまなざしを大沢に向けている。政治的に民主自由党を倒すこと、または舌戦を交えることについては、大沢に関してこの二人は何の異論もなかった。しかし、今回のテロはさすがにやりすぎではないか。
「あれはテロではない」
「はい」
「あれは、攻撃である。いや、民自党のめちゃくちゃな政治に対する神の鉄槌ともいうべきであろうか。国民の怒りの声の集合体であろう」
「しかし、傷ついているのは国民です」
青山は、必死に食い下がった。
「コラテラルダメージという言葉を知っているかな」
大沢は、自分のグラスのビールを飲み干すと、瓶に残ったビールをグラスの中に手酌で注いだ。グラスの三分の二くらいで、白い泡が瓶の口からグラスの中に入り、そのまま瓶の中から物が出てこなくなった。
「コラテラルダメージ」
「そうだ。直訳すると副次的な被害という意味だが、基本的には政治的にやむを得ない犠牲とか、目的のために仕方なく生じる犠牲というような言葉になる。今回の内容はそのようなものだろう」
「ええっ」
青山も岩田も何を言っているのかよくわからなかった。大沢は、そのような部下が戸惑ている姿を見ると、悦に入って話してしまう癖がある。そのような姿を見ると、自分だけが理解していて、自分の能力に他の人がついてこれないというような優越感を感じるのである。まさに、大沢自身だけが、未来を予想し、そして社会だけではなく森羅万象をすべて動かしている神になったかのような錯覚を感じるのだ。
しかし、青山は、大沢と深く付き合いがあるために、そのようになっている大沢は、常に危険な思想になっていることを知っていた。大沢が「悦に入っている」ということは、他の人がついてこれないのではなく、社会通念上許されなかったり、そのようなことは良くないということから、絶対にしないというような内容なのである。犠牲が多かったり、あるいは国民に理解を得られないことを、非常に狭い視野で、自分の考えを押し通すということになってしまっている。
もちろん、そのような国民の反対を押し切って政治的な課題を解決してきた。そのことから「剛腕」の名をほしいままにしてきたのであるが、しかし、それは正義があり、そして、今までの日本的な慣習やしきたりを打ち破るということであったために受け入れられたのに過ぎない。しかし、そのような「剛腕」といわれるのことは、大沢三郎にとって麻薬のように心理を蝕み、そして常に意外性や常識を破るやり方をしなければならないような強迫観念になっている。そのことから、いつの間にか大沢は「日本的な慣習」を打ち破るのではなく、「人間としての尊厳」や「善人類共通の当然の感状や正義感」を打ち破るようになってしまっていたのである。
青山優子はそのことをかわいそうと思い、そして自分がそれを止めなければならないと使命感を感じていたのであるが、しかし、一度与党にいながら、野党に下野し、そして大沢自身が受け入れられなくなってしまうと、より一層過激な方に舵を切るようになってしまった。そして、今回はとうとう国民の命を奪ったのである。青山は、自分の力不足で、大沢がどこか遠い所に行ってしまったような気がしていた。まだ、社会的には大沢がそのようなことをしたとはわかっていない。いや、テロリストの松原がテロを行っているのであるから、そのまま松原に罪を着せて、大沢を救うことができるのではないか。そのように考えていたのである。
「青山君、いいか、今回の事はまだ始まりに過ぎない。この日本という国を治すためには、一度すべて壊して清算し、そののちに新たなものを作り出さなければならないのだ。今までの日本の上には成り立たない。時代はそのように変わっているのだ。古いままの日本はもういらないのだ。」
「それならば、日本の人を、何の罪もない人を殺してよいのでしょうか」
「何を言う。犠牲が無ければわからない。日本人は戦後の長期の平和によってぼけてしまったのだから、その平和を打ち破らなければならないのだ。いいか、陳文敏にたのんで、中国にやらせれば戦争になってしまう。それではもっと多くの犠牲が出るのだ。」
大沢は、新たなビールを頼み、そしてそれをコップに入れた。先ほどまでぐつぐつと煮立って泡が出ていた麻婆豆腐が、いつの間にか静かになってしまっている。
「先生、それでは」
「いや、戦争にしてはいけないのだ、だから、自分たちで破壊し、そして日本人の手で新たな物を生み出す。それが重要なことではないか。その為ののろしを上げることは、何も問題ではない。もちろん、のろしであるから少しの犠牲は必要だ。しかし、その犠牲は、もっと多くの日本人を活かすための尊い犠牲ではないのか。逆に、岩田君。君ならばどうする。」
急に話を振られた岩田は、戸惑って青山と大沢の顔を見比べた。そして目の前にある酢豚をいきなり口の中に入れた。食べているからすぐには答えられないというようなつもりなのであろう。飲みこむまでに答えを考えればよい。岩田は焦った。
「岩田君、それくらいは答えられるから、ここで私のやり方に反対をしに来たのではないkの仮名」
「い、いや、反対をするなんてとんでもない」
まだ若い岩田は、青山と二人の時は能弁に話すにもかかわらず、大沢の前に出てしまうと、まったく口を開けなくなってしまう。若手の議員などはそのようなものなのかもしれない。そんな岩田の姿を見て、大沢は鼻で笑った。
「では反対しているのは青山君だけか」
青山も岩田も黙るしかなかった。
「いいか、明確に言えることは、我々は、古い日本に宣戦布告をしたのだ。古い日本を守ろうとする勢力と戦わなければならないのだ。君たちは、まだ若いからそのことが見えていないのかもしれない。もしかしたらまだまだ時間があると思っているのかもしれない。しかし、2700年かけてこの形を作り出した日本を変えるためには、とても時間が足りないのだ。そして世界を見れば、急がなければならないのだ。わかるな」
「はい」
返事をしたのは岩田だけであった。青山は、明確な反論はできないものの、何も言葉が出なかった。
「では、岩田君、もう少し勉強してくれたまえ」
「はい」
岩田はそのまま返した。大沢と青山が、深い関係であることは岩田も知っていた。その為に、そろそろ帰れといわれれば、岩田はそこに従うしかない。大沢と青山の情事に関わるつもりはないのである。
大沢は岩田を送り出すと、青山とともに車に乗った。二人が向かった先は、「時の里」である。
「先生。お待ちでしたよ」
佐原歩美は、和服に少しきつめの香水を付けて、大沢を迎えた。
「来てるか」
「はい」
奥の座敷を開けると、そこには松原一人で酒を飲んでいた。
「おう、大沢先生じゃないの。それに、美人のネエチャン先生も一緒か」
「ああ、まだこの娘は、我々の志がわかってないみたいだから、教えてやろうと思ってな。」
そういうと、大沢は戸惑って足がすくんでいる青山優子の背中を強く押した。
「そんなところで止まってないでこっちにこいよ。もう知らない中じゃないんだから」
松原は立ち上がると、青山の手を取って引っ張った。
「や、やめてください」
「何言ってんのよ。カワイコぶってないで、はやく中に入りなさい」
佐原は、女同士であるから大沢よりも残酷である。
青山優子は、涙を流した。これが恐怖の涙なのか、あるいは悔し涙なのか、自分でもわからなかった。