「宇田川源流」【日本万歳!】 日本という国の根源である「天皇による田植え」
「宇田川源流」【日本万歳!】 日本という国の根源である「天皇による田植え」
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本の伝統文化などを紹介し、そして日本人というものを考え、その日本人の中に我々も一緒であるということを再確認して、毎日の元気をいただこうという連載である。にほんというくには一人の英雄がいるわけではなく、日本人の国民性や、日本の文化、伝統、そして日本人の環境というようなことが、素晴らしく、その集合体で世界を凌駕しているものであると考える。その為に、「日本人」というだけで、我々も、その素晴らしさを体験劇るという部分が少なくないのであるが、それでも、日本人はあまりそのようなすばらしさをあまり感じていていないのではないか。
もちろん、満足してしまって停滞してはいけないので、向上心を失うような自身の持ち方をしてはいけない。しかし、一方で全く幸福感がないというのは、それもよくないのではないか。そのように考えると、日本のすばらしさは、やはり日本人が考える必要があるのではないか。
さて、その「日本」とは何かということになる。
その日本の根源を「神話」に求めるのであれば、当然に「稲作」ということが中心になる。天照大御神の血筋から「瓊瓊杵尊」がでて、地上に降りることになる。この瓊瓊杵尊こそ、稲作の神ということになるのである。太陽の神、そして稲作の神の子孫が天皇ということになり、大和朝廷の中心ということになるのであるから、当然に、現在の天皇も「天」から認められ、そして、稲作をするということになるのであろう。
もちろん、「神話」は、歴史ではないということを言う人がいる。科学的ではないということであろう。しかし、「そうではない」という証明もできないのである。実際に神話そのものが全て「実証」できるとは思えない。しかし、実際の所「多くの人にそのように信じられている」ということが重要であり、それが真実であるかどうかということではない。国民性などは、「信じる心」が作るものであり、実証された事実が作るものではない。なぜならば「歴史」を踏まえたうえでの「現代人の心や習慣」が国民性につながるからである。
歴史の史実を議論するつもりなのか、そうではなく、「現代人の慣習や心理や魂」ということを語ろうとしているのかによって、議論の観点が異なって構わないのではないか。その意味において、「史実ではないから神話を信じるのはおかしい」という学者自体が、何か固定観念で縛られていて、実態に即していないということになるのではないか。
陛下が皇居で恒例の田植え
天皇陛下は、皇居の水田で毎年恒例の田植えをされました。
陛下は長靴姿で水田に入り、先月にまいた種もみから20センチほどに育ったうるち米のニホンマサリと、もち米のマンゲツモチの苗、合わせて20株を1株ずつ丁寧に植えられました。皇居の稲作は昭和天皇から代々引き継がれたもので、陛下が携わられるのは4回目です。
9月には稲刈りをされ、収穫された米は11月に行われる新嘗祭などに使われます。
2022年05月18日 18時31分 TBS NEWS DIG
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-1639620/
さて、まずはこの件に関して、宮内庁のホームページを拝借する。ちなみに宮内庁は、この田植えに関してだけ独立しているのではなく「伝統文化の継承」という項目になる。
<宮内庁ホームページより抜粋>
和歌は長く皇室の伝統として重んぜられ,両陛下は行幸啓などの折に触れ,歌をお詠みになります。宮中では,鎌倉時代中期に始められたと言われる歌会始の儀が毎年1月に行われ,ここでは,全国から詠進された和歌の中から選ばれた十首が,両陛下の御製(ぎょせい)・御歌(みうた)などとともに,伝統に則り披講されます。
毎年1月,両陛下は明治2年に遡る講書始の儀に臨まれ,人文科学,社会科学,自然科学の各分野における学問の権威者からご進講をお受けになります。
その他,正倉院や京都東山御文庫などに収蔵されている宝物や御物は勅封によって保存されており,また,雅楽,古式馬術などが宮内庁によって継承されています。
天皇陛下は,我が国の農耕文化の中心である稲作について,昭和天皇のお始めになった行事を上皇陛下からお引継ぎになりました。春には種籾をおまきになり,初夏に田植えをなさり,秋には稲刈りをなさいます。
皇后陛下は,昭憲皇太后が明治4年にお始めになったご養蚕を上皇后陛下からお引継ぎになりました。皇居内の紅葉山御養蚕所で,春から初夏にかけて,掃立て・給桑(きゅうそう)・上蔟(じょうぞく),繭かきなど養蚕の各段階の作業が行われます。長年飼育されて来た日本在来品種「小石丸」は,正倉院宝物の絹織物の復元に最もふさわしい糸であることが確認され,この品種を増産し,上皇后陛下は平成6年(1994年)から平成21年(2009年)まで,正倉院にお贈りになり,貴重な古代裂の あしぎぬや羅ら,綾あや,錦にしき等の復元がなされてきました。また,平成17年(2005年)には,鎌倉時代の絵巻「春日権現験記絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の表紙裂と巻緒の修復のためにもお贈りになりました。
なお,家蚕のほかにも天蚕を野外天蚕室で飼育されています。
<以上抜粋 https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02.html#H2-04>
天皇の稲作と皇后の養蚕の歴史を振り返ると、皇后が皇居で蚕を育て始めたことの方が、半世紀以上古い。しかし、いずれも近代になってからのことだ。
宮中養蚕は1871年(明治4年)に、明治天皇の皇后美子 (昭憲皇太后)が要望し、「その道の知識経験のあるものに聞くように」と促して、渋沢栄一が回答したことに始まるという。明治政府の高官には下級武士出身者が多く、養蚕にかんする知識があるのは、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)生まれで当時大蔵大丞を務めていた渋沢栄一しかいなかったためだと考えられている。
宮中養蚕が始まると、大蔵省はこれを記事にした新聞を買い上げ、各府県に配布した。これも渋沢の発案だった可能性がある。
「天皇の稲作」は、皇后の養蚕より新しく、1927年(昭和2年)に昭和天皇が、内大臣秘書官長や侍従次長兼皇后宮太夫などを務めた河井弥八の発案により始められたものだった。河井は、1926年7月23日、内大臣府秘書官長に就任。官長としての最初の大きな仕事は、同年12月25日に崩御した大正天皇の大喪と昭和天皇の皇位継承の儀式だった。1927年3月3日、侍従次長兼皇后宮大夫になった河井は即位したばかりの昭和天皇に、皇居での稲作を提案した。この提案を受け入れ、赤坂離宮内苑菖蒲池のほとりの水田で、昭和天皇はお田植えをされたのである。天皇の稲作は、農業奨励や農民の苦労をしのぶために始められたといわれる。しかし河井が、新天皇にも、皇后の養蚕のような日本産業を体現するシンボリックなふるまいが必要だ、と考えていたとしても不思議ではない。
その伝統が現在にもつながっている。ある意味で「日本人の原点」がここにあるのではないか。