臨床の現場
東洋医学と西洋医学の大きな相違点は、基準による違いと言えるかも分かりません。
西洋医学による測定は同じ機械またはそれと同等の機能がある検査機器によって調べます。
これは簡単に言えば定規で物を測るのと同じです。
1 mm の単位がまちまちの定規であれば、正しく測定することはできません。
1 mm の長さを同じに揃えた定規で計るからこそ同じ結果が出るということです。
もちろん同じ定規であったとしてもごくわずかな誤差というのは出てきます。
これが根拠という風になっているわけです。
いかにも正しいことをしているように思いませんか?
私もそう思っています。
しかし、実際の臨床の現場では、このような方法でどれだけ調べても分からない症状というのがこの世の中にはたくさんあるということに気づかされます。
一つの病気に対しても複数の要因があるので、これこれが原因とは言い難いのです。
人間の体は明らかに機械で測った数値では推し量れない部分がたくさんあるということです。
その点を補うために東洋医学があると言っても過言ではないのですが、実際にはそういう見方をする医療関係者は少ないのかもしれません。
辞典で調べてみると科学的という意味はこうです。
「考え方や行動のしかたが、論理的、実証的で、系統立っているさま」
論理的かつ実証的でなければならないということです。
科学的という言葉が誤解をうんでいるように思えるのですが、何かの実験道具や化学的処理を行ったものだけが科学的な方法だと思っていませんか?
科学的な意味を理解している人は、そんなふうには思っていませんが一般的には機械で計測した結果が科学的な検査法だと思っていると思います。
画像診断や血液検査等々です。
多分医療関係者も大多数の人がそう思っていると思いますが、これは大きな間違いです。
科学的という言葉からすればこの動画で紹介している現象も科学的です。
以前も紹介した動画ですが、自然な位置で足を台に置いた場合、足関節の位置がある一定の角度で保たれてしまうことによって起こる足関節の痛み。
いわゆる癖があることです。
それによって筋肉の緊張(張力)に片寄りが起こり下腿内側の緊張が起こったということです。
その証拠に位置を僅かに変化させただけで緊張がなくなる。
ということを実証した動画です。
面白いのは僅かに変化させた時だけであって大きく変化させるとまた緊張してしまうということです。
まあその話しは横においておいて・・・。
これは筋肉の長さから考えて片寄った状態であれば外側の筋肉が引っぱられ、内側の筋肉が縮む状態になっていることを意味しています。
そしてその位置を正常な位置に変化させることで緊張がなくなるという現象です。
これは論理的に考えられることなので科学的な手法を用いています。
そして患者さんに実証することができますし、再現性もあります。
またこの状態を保持する方法を用いることで痛みも改善する訳です。
これはどこからどう考えても辞典に載っている科学的手法と同じです。
ただ、これを発表しようと思ったら論文の書き方が重要になるそうです。
どんな作法で書かれるのかは全くわかりませんし、全く興味はありませんが、書き方の手順を覚えなければならないということらしいです。
この現象は動画を見ればあきらかであり、患者さんの満足度まで満たしてくれています。
論理的な思考をした結果、実証して実感しなければ本当の臨床ではありません。
臨床家の行うことは、患者さんの満足度をあげる方法です。
もちろん、これが解剖学的にも生理的にも論理的に正しいだろうと予測した結果行った手技によって結果を出しています。
学者さんと臨床家の大きな隔たりはここにあります。
そして世間で言われているエビデンスや科学的根拠というのは、学者の発表しているものです。
だからかなり平面的な考えからしか導き出されていないということがよくわかります。
エビデンスをとる場合、一つの対照群を決めます。
例えばたばこを吸う人、吸わない人というような対象を決める訳です。
それと寿命との関係を数値化するということをします。
しかし、寿命とたばこを吸う吸わないが関係あると思いますか?
たばこを吸って長生きだった人を私は知っています。
たばこ吸わないで短命だった人も知ってます。
何か現実と合わない例が個人的な目から見ていると沢山ある訳です。
そこで違和感を感じるのが臨床家の意見だと思うのです。
他に何か要素があるはずと考えるのが臨床家ですよね。
複数の原因が重なってその人の寿命に影響を与えたと考える方が自然だなと考えるのが臨床家の意見だと思います。
もし、そんなふうに考えないのなら、それは臨床家ではありません。
この動画での科学的条件は全て揃っているはずですが、学者の問題にするところは患者さんの満足度ではありません。
そこにいく過程のプロセスだけです。
こんなことは日常で普通に起こる現象であり再現性もあるのですが、この現象についてどこから突っ込まれてもその理論が正しいとされる根拠を作り上げることに情熱を燃やしているようです。
まあそれはそれで重要なことだとは思いますが、臨床の現場ではそんなこと何の役にもたちません。
実証され、なおかつ患者さんが喜んでくれることが焦点になっています。
ここで大きな隔たりがある訳です。
ただこの現象は面倒くさいのでそうなった経緯に関しては完全に省略していますが、紛れもなく科学的な手法を用いて行われた実証実験と言える訳です。
どちらが患者のためになるでしょうか?
私達医療関係者は誰のために仕事をさせてもらっているのでしょうか?
現象があるのに科学的根拠が患者さんに必要でしょうか?
そこをよくよく考えて科学的根拠という言葉を出していないと臨床家は大きなズレを生じることになります。
誰の為の医療なのか?
学者のための医療ですか?