結局は努力。
ツイッターのタイムラインを眺めていると、最近とても増えましたね、Sarahah(サラハ)。
タイムラインがSarahahで埋め尽くされている時間帯があって面白かったのですが、その中にこのようなツイートが。
トランペット奏者の高垣氏のアカウントです。すいません、ちょっと拝借させてもらいました。
こういったものを見ると、「やはりまだこんなバカバカしいことが部活では起こっているのか」と、とても残念になります。
僕も「ラッパの吹き方」ブログなどでいろいろと発信をしていますが、ツイッターなりフェイスブックなり、どんなジャンルでも調べるととても多くの情報(真偽のほどはわからないけど)がこぼれまくっています。
情報が散らかっているので、そのまま受け取ったところで単なる雑学王にしかなりませんが、上手に組み合わせられればとても有益なものになる可能性は高いです。
しかしそのためには探す努力、調べる努力、手に入れる努力、まとめる努力、そしてその情報が正しいか確かめる努力が必要です。
これは別にインターネットに限ったことではありません。図書館で調べたり、人に教わったり、その場所まで行ってみたり。
結局は時間を費やして努力を重ねなければ自分の血や肉にはならないわけです。方法が増えただけで今も昔も同じ。
それで最初に拝借したSarahahですが、こういった成長の止まった頭の悪い顧問は過去に(楽して)手に入れた情報をそのまま流用しているに過ぎません。 およそ、大昔自分が吹奏楽部やってたときにそうやって教わったとか、どっかの誰かが言ってたことを小耳に挟んだだけだったり、大昔見た吹奏楽コンクールの全国大会の映像とかでどこかの学校がみんなベルアップしていたから、「ああ、とらんぺっとのべるはみんなでたかくあげてよこいちれつにそろってきれいだなー」程度の理解であって、理由なんかは適当に後からこじつけてるとか、まあそんなレベルでしょうね。
金管楽器のベルを高くさせたり、横一列に揃えることが本当に必要なことかどうかなんて、ちょっと調べれば数分でわかるようなことだし、だいたい、プロのオーケストラや吹奏楽を見たことがないのでしょう(見ようとも思わないのでしょう)。
こういう完全に間違った情報を、さも正しいことであるように偉そうに言ってる人って(しかも教育の現場で!)本当に頭悪いと思うし、指導への情熱や音楽への愛情、部活に対するに愛情がまったくないんだな、と思うのです。
今の時代は情報に溢れているけれど、それを受け取る努力や探そうとする努力を怠れば、その人には何も起こらないし、逆に探して探して手に入れてその真偽を確かめている人はどんどん成長する、そんな世の中です。
昔は境遇というものが壁になっていて、努力だけでは手に入れられないものが沢山ありました。
それにかまけて努力もしてないのに上に自動的に登れる人もいたし、その逆の人もいました。
しかし今はそのくだらない壁がどんどんなくなってきています。誰にでもチャンスはある。
そのチャンスは自分の努力そのものです。
動かないで待っていたら埋もれてしまいます。
そんなことを感じました。
さて、今日も1日レッスン頑張ります!
荻原明(おぎわらあきら)