懲りもせず再び…。
南国 虹の豆日記 その2
一回目のコラムを掲載して以来、チョビチョビとお客も入り、何かと忙しくなってきたので、コラムの続きをすっかりサボっていた。そんな頃、思いもよらぬ客が虹の豆を訪れた。かつて私がレギュラーを務めるTV番組で一年ほどお世話になった番組制作会社のスタッフが一人、泊まりに来たのだ。
ことの始まりは彼からのあるTV番組への出演依頼の電話からだった。これまでも幾つかTV番組への出演依頼があり、自戒とこれまでの報道への思いもあり、最近のTVへの出演依頼は全て断っているとの旨を伝えると「それでは僕が宿に泊まりに行くだけでもいいですか?」との申し出があり、断る理由も無いので、それならばと虹の豆のお客様として彼を迎えた。
かつての彼は当時、私の出演していた番組の企画で農村での自給自足に挑戦した事で30kg近いダイエットに成功していたのだが、久しぶりに会うとリバウンドどころか、更に大きくなった巨体を揺らしながら、あの頃と変わらない人懐っこい笑顔で虹の豆を訪れた。
久しぶりの再会を懐かしみながら、これまでの私の一連の事件と報道について、「あの時の報道は酷すぎる。ホントの沙耶さんを知っている人だったら...。」と、時に目を潤ませながら自分の気持ちを話してくれた。
そして直接、番組への出演を依頼してきたが、私はまだTVには出れない理由を幾つか説明して、その時は宿を後にした。
その後、またすぐに彼から連絡があり、今度は上司も連れて虹の豆に泊まりに来たいとの申し出があった。二度目の宿泊は上司も一緒に宿のエコガイドで皆で裸足で山に登ったり、海を案内したりしながら、短い時間ながら石垣島を楽しんで頂いた。ツアーを終え、宿で夕方、お話をしていたら再度、TV番組への出演を依頼をされた。
『幾つかの問題は解決するので、ぜひ番組に出演してほしい』
今年、ワイドショーを騒がせた事件・報道の当事者に直接、話を聞く機会を、との番組企画であった。出演依頼に2度も石垣島へ足を運んで来てくれた彼らの熱意に押され、悩みながらも私はこの出演を受ける事にした。
坂上忍さんが司会を務める『バイキング』の年末特番にだ。
事件当時はネット上でも私の件は“メディアリンチ”と評される程の報道をしてきたワイドショーに出演するなんて“なんて馬鹿なんだ、わたし...。”と落ち込んで、途中、何度か断ろうとかとも思ったが、こんな私でも心配して応援して頂けるファンがいた事と事実と違う報道がなされた私に弁解をする機会を与えてくれるという企画に多少なりとも大麻草への誤解を世間に知らせる役目がまだ私には残っているのだと自分に言い聞かせ、そして、同じ俳優という畑から出てきた坂上忍さんと話をするのであれば、気負わずに話を聞き出してくれるのではとの望みを持ち、悩みながらも収録の日を迎えた。
坂上さんが直接石垣島を訪れ、私が宿で出迎える所からカメラは回り始めた。2時間近く施設を移動しながら彼と対談したのだが、彼はカメラが回らない場所では一切、私とは段取りはおろか、話も打ち合わせもせず、ただカメラの前でのみ、話をした。役者という住み慣れた場所から畑違いのワイドショーという厳しい世界に出て行き、今、生き残る彼なりの流儀であり、やらせに思われる事はしないという私への誠意だとも感じた。
私のほうと言えば、久しぶりのTV出演とその上、今の自分の置かれた状況への負い目もあり、かなり緊張していて言いたい事の半分も言えたか?という感じだ。
何処かで怖がりながら発言している自分を坂上さんには見透かされた感じだ。
まぁ、でもこれが今の私の姿だ。“落ちぶれたな”でも“意外と元気そうだな”でも、後はTVを見る視聴者それぞれの受け取り方次第だ。
かつて大麻草の啓蒙活動を始めた頃、ブログでの発言がもとでメディアの大バッシングにあった事があり、落ち込んでいた頃、友人に私の本名「益戸育江(マスド イクエ)という名前にはマス(メディア)の戸を行く(育)との意味があるので、これからも人前に出て叩かれるのは貴女の宿命だ。貴女は皆に攻撃されながらも先陣を突き進む赤槍だ。それが貴女の役目だ!!」なんて事を言われ、その頃はそんな無理やりの言葉合わせに“何を言ってるんだ、この人は⁉”と思ったもんだが、今回の件で少しはその意味を理解できた様な気がした。
こんな私との対談が大麻草という法律規制にある植物の存在を、皆に少しでも考えてもらうきっかけになれれば、多少の意味もあるのかもしれない。
そして、これまでご心配をおかけした方々に“私はまだ生きていますよ”とのメッセージにはなったのかなと、自分に言い聞かせている。
ネットでは番組の宣伝も始まり恐る恐るチェックしてみたが、驚いた事に私との対談がのっけから始まり、番組の目玉の一つになっている様な告知だ。
この番組の出演を承諾した事でこれから、どんな事態に巻き込まれるかと考えると恐ろしくなったり、不安になったりする。正直、これまでは断れば良かったと後悔する気持ちになる事もあった。
だけど、今はどのような形であれ私を必要として頂ける場面があるのであれば、できる限り正直に自分の気持ちを話していこうと考えている。私なりに。また、私を必要としてくださる場がまた与えられるならば、そして、それが私に与えられ役目ならば今後は自身と周囲の許す限りその役を全うしたいと思っている。
どんな番組になっているかは私も放送があるまでは分からないが、今の私が、今言える事を懸命に伝えようとした姿は間違いなく映っているはずだから、私を知る多くの方に是非、これを見て頂きたい。そして、それを見ての批判も共感も哀情も全て受け止めようと思う。これはきっと私のなりの年の瀬の“みそぎ”になるんだろう。
ワイドショーに吊るし上げられ、ワイドショーに救いの手を差し伸ばされた。
こんな私に釈明の場を与えてくれたフジテレビとバイキングスタッフには感謝をしたい。