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エコールドパリの巨匠、アンリファルジュ

2022.05.24 11:21

6月に、一年の開催延期を経て

ユトリロと現代モンパルナス展がようやく開催される。有名で人気の高いユトリロ作品とともに、現代に生きる作家の作品が計150点ほど並ぶようだが、その時にエコールドパリの巨匠であるアンリファルジュという画家の作品も飾れるそうだか、これは監修の先生の所蔵のコレクションからだという。


今回は初のお披露目で作品を間近で見れるよい機会でもあり、日本では無名だけど、近年評価が見直されているとかで、そのうち大規模な展覧会が開催されるかもしれない点で、意欲的な展覧会になりそうだ。



画材屋さんでも知らないこの方のことを調べてみました。



展覧会パンフより

アンリファルジュ

Henri Farge


これが代表作なのかな?


"AU HOTEL DROUOT"

OIL ON PANEL, SIGNED

FRANCE, C.1935

25.5 X 21.25 INCHES

まずはwikiから。正月に生まれてクリスマスイブになくなったみたいです。


アンリ・ファルジュ(Henri Farge、1884年1月1日-1970年12月24日)はフランスのエコール・ド・パリの画家。


アンリ・ファルジュ

Henri Farge

Henri Auguste Élysée Farge

生誕 1884年1月1日 フランス パリ

死没 1970年12月24日(86歳)

 フランス パリ

国籍 フランス

著名な実績

画家, エングレービング

フォーヴィスムやキュビスムなど、近代絵画の意識革命が行われた1900年代初期において、表現主義的画風を持ちながらパリの哀歓を描いた。労働者、物売り、夜店の野師や曲芸師、乞食や流しのシャンソン歌手を描いた。

1933年にはデュラン・リュエル画廊にて個展を開いた。ここはモネやルノワール、セザンヌ等の印象派が発表の場に選んだ画廊である。個展後にファルジュの支持者が現れ、ルーヴル美術館やニース美術館のコレクションにも加わった。


生涯

建築家の息子として生まれ、学歴も高くソルボンヌ大学へ進学した。両親の意思に逆らって画家の道へ進み、1911年には『楽屋』と題する絵が国立美術協会展のスキャンダルを起こし一躍有名となる。第一次世界大戦では歩兵中尉として300人の兵を率いてカルパトで戦うが、地獄の戦線を前に人生の矛盾を痛感することとなる。

画家としてはサロンでの金メダル受賞を機会にクローズアップされるが、パリで人気が高まったのは1968年に大々的な個展を開いて以降である。パリの各誌は<ゴヤ、ドーミエ、シャルダンの伝統を受けた一人の偉大なる画家の発見>として大きな紙面で報道した。1970年に世を去った際は、「ムッシュ。あなたが自ら暗闇に隠れていたことは赦すべからざることであり、しかし、時代があなたの存在を忘れていたことは、なお赦すべからざることである。」とパリ・テル誌が批評している。



Papillon galleryサイトより

アンリ・ファをルジュ

フランス、20世紀

1884年1月、パリに生まれる。画家、彫刻家、イラストレーターとして人物画や風俗画を描く。ベネチアとローマで5年間学ぶ。パリではサロン・デ・アーティスト・フランセに出品し、1966年に銀賞を受賞した。L'Homme qui assassina (The Man Who Killed), Devambez (1926), Pierre Lotiなどのクロード・ファレールの本の挿絵も手がけた。

ファルジュの絵画は、生き生きとした観察力を証明するもので、絵のような風景を描き、その時代と場所を証言しているのである。1925年のドーヴィル、1930年のパリ、1950年のローマでの聖年。また、音楽ホール、画廊、パリやヴェネツィアの風景、そして一般的には群衆を描いている。

ファージは1970年に死去した。

ファルジュはベネジットの芸術家辞典に掲載されており、1969年以降、彼の作品はオークションで販売されている。


当時のパリの風俗を克明に伝えていてかなりすごい方だと一目でわかります。


日本で知っていることは、世界の全てを知っていることでない。そんな気がします。


一方、監修の長谷川栄先生は美術評論家でありますが、アーティストでもあり、作品もこの展示会でお披露目されるとのこと。

作品は楽しみにとっておいて、著書の一つの写真を載せちゃいます。

私の作品はもちろん、ユトリロやアンリファルジュ作品もぜひみにきてくださいませ。