「宇田川源流」 ロシア擁護をして特権をはく奪される元首相のいるドイツの複雑な事情
「宇田川源流」 ロシア擁護をして特権をはく奪される元首相のいるドイツの複雑な事情
まずは今回のニューを見る前にドイツの歴史を見てみなければならない。とはいえナチスドイツができて、それがヨーロッパ全土を巻き込んで第二次世界大戦となって多くの犠牲を出したということは、特にここで見直す必要もなのではないかもちろん、なぜワイマール憲法というような民主主義憲法を作りながら、なぜ独裁政権ができ、そしてその後戦争になったのかということは、研究に値するものと思われる。もっと言えば、「国家社会主義」という政治制度がもたらす国内的矛盾とその矛盾を覆い隠すための「一党独裁」という政治方式、そして社会主義を維持するための「拡大主義(覇権主義)」ということにん関しては、何もナチスドイツだけの事ではないのであり、その研究は、現在の世界情勢においても必要な内容であろうと考えられるのではないか。
さて、その辺を飛ばして、ドイツが分割されたあたりから話をしよう。いわゆるベルリンの壁ができたあたりである。
第二次世界大戦後、ヤルタ協定などの取り決めによってドイツの処分が行われた。ポーランドを再建設するに当たって、ドイツ領東部をポーランド領とし、オーデル・ナイセ線を暫定的な国境とすることにされた。また飛び地となっていた東プロイセン地方はポーランドとソビエト連邦が分割した。このため、かつてのポーランド分割以来、長く領有していた東部地域と、ドイツ帝国統一の立役者であるプロイセンを完全に失った。ドイツには中央政府が存在しないとされ(ベルリン宣言)、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦の4ヶ国によって分割占領され、更に首都ベルリン市内も4ヶ国で分割された。
やがて「冷戦」と呼ばれる対立状態になると、ドイツの占領統治にも大きな影響を与えた。1948年、米英仏占領地域(トライゾーン)が独自に通貨改革を行うと、対抗したソ連がベルリンの米英仏占領地区へ繋がる陸路を完全に遮断(ベルリン封鎖)。アメリカはこれに対して食料物資を空輸することで封鎖を崩し、ソ連もすぐに封鎖を解いたが、両者の溝は埋まることはなかった。1949年5月6日、米英仏占領地域に自由主義・資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)臨時政府が成立し(主権回復は1955年5月)、これを受けて10月7日には、ソ連占領地区に共産主義のドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、ドイツ国家と民族は東西に分断された。
冷戦が終結に向かい、1989年の東欧革命によって東ドイツも変容し、1989年11月9日にはベルリンの壁が崩壊した。そして、1990年10月3日には東ドイツが自壊し、東ドイツ地域の諸州がドイツ連邦共和国(西ドイツ)に編入される形で再統一が達成された。統一後の最大の懸案は、旧東ドイツ地域の北大西洋条約機構(NATO)加盟であったが、ソ連が譲歩する形でこれも認められた。そして、1991年12月25日には、冷戦の盟主国の一つであるソビエト連邦が崩壊し、その大部分がロシア連邦となった。1992年にはマーストリヒト条約が発効して欧州連合(EU)が発足、ドイツは欧州の中核国として存在感を増すこととなった。
独、シュレーダー元首相の特権剥奪 ロシアとの関係非難
【AFP=時事】ドイツ連邦議会は19日、ロシアのエネルギー大手との関係断絶を拒否するゲアハルト・シュレーダー(Gerhard Schroeder)元首相(78)から、特権として与えられていた事務所を剥奪すると発表した。
ドイツメディアによると、事務所には人件費を含め年間約40万ユーロ(約5400万円)の公費が使われていたとみられる。議会は、シュレーダー氏が「もはや事務所の継続的責務を果たしていない」と理由を説明した。
欧州議会(European Parliament)も同日、ロシア企業の役員職にとどまり続けるシュレーダー氏ら欧州の要人に対し制裁を科すよう欧州連合(EU)に呼び掛ける拘束力のない決議案を採択した。
シュレーダー氏は1998年~2005年に首相を務め、退任直前にはロシアからドイツに天然ガスを送るパイプライン計画「ノルド・ストリーム(Nord Stream)」を承認した。現在、ロシア国営石油会社ロスネフチ(Rosneft)で取締役会会長、国営ガス会社のガスプロム(Gazprom)では株主委員会の委員長を務めており、来月には同社の監査委員会に加わる予定だった。
ロシアのウクライナ侵攻については、不当だと非難する声明を出したが、ロシアとの対話を続けなければいけないとも述べていた。
【翻訳編集】AFPBB News
2022年5月20日 1時9分 AFPBB News
https://news.livedoor.com/article/detail/22191597/
さてもう一つ解説しなけれならないのは、この「ゲアハルト・シュレーダー」という人物である。ゲアハルト・フリッツ・クルト・シュレーダーは、第二次世界大戦中の1944年ナチス政権下のドイツ国のリッペ自由州(現在はノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)のモッセンベルク(現在のブロムベルク)に、労働者階級の一家に生まれる。1966年にゲッティンゲン大学に入学し法学を専攻。後に弁護士となる。弁護士としては、ドイツ赤軍テロリストの弁護を担当したこともある。1963年、ドイツ社会民主党(SPD)に入党。1978年にSPDの下部組織・社会主義青年団(ユーゾー)の連邦代表に就任し、1980年までその役職を務める。旧西ドイツ側にありながら、生粋の「リベラル主義者」であるということがよくわかる。これは、彼の死んでいた地域がいずれも「東ドイツからの脱出組」が多く、旧東ドイツ労働者が多くいたことから、そのような道になったのであろう。日本で言うところの「人権派」というようなところや「在日外国人保護活動補弁護士」というところに、なんとなく似ていると思えばよいのかもしれない。
1998年、「新しい中道」をキャッチフレーズに、SPDの連邦首相候補として連邦議会選挙に再出馬して当選。この選挙で社会民主党が議会第一党を獲得、同盟90/緑の党との連立で16年ぶりの政権交代を実現し、ドイツ連邦共和国第7代首相に就任。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受け、「アメリカ合衆国との無制限の連帯」を表明。ドイツ連邦軍の「不朽の自由作戦」参加を決定する一面を見せながらも、ロシアからバルト海を通ってドイツに天然ガスを送るという、物議があったノルド・ストリーム建設についてロシアとパイプライン計画に合意した。パイプラインによりドイツのエネルギー供給は、ロシア国営企業への依存を強めることになる。
そして首相退任後、2006年3月、ロシア国営天然ガス会社ガスプロムの子会社「ノルド・ストリームAG」の役員に就任。バルト海底を経由してロシア・ドイツ間をつないだ天然ガスのパイプラインであるノルド・ストリームやノルド・ストリーム2の取締役を2017年時点でも長期にわたって利益を得ていることに批判の声がある。2007年5月、中華人民共和国外交部顧問に任命。伝統的中国医学を世界に宣伝する役割を負う。2014年4月28日にウクライナのクリミア危機でロシアがクリミア半島併合した中、ロシアのかつての首都であったサンクトペテルブルクの宮殿で70歳の誕生日をウラジーミル・プーチン露大統領と抱擁して祝った。
シュレーダーは侵攻発生後もロシアとの関わりを断つべきではないとSNSへの投稿を行っており、またロシア国営企業の役員も辞さなかった。
日本にもいるが、潜在的な自分の国の敵でありながら、経済関係を優先し、国家の尊厳を失い、そして、潜在的な敵対国の傀儡であるかのような外交を、首相退任後もし続けて国民全体の非難を受けるような、シュレーダー首相はそんな政治家なのである。
一応ブログなので、両論併記という意味でちょっとだけ擁護をしておけば、常に対話の窓口を持っておくことは、外交として重要な事であり、なおかつ、経済的な観点を重視すれば資源の茂大は大きな問題になるのであろうから、国家の経済的な発展を見据えて考えれれば、その立場は理解できないでもない。しかし、児国間だけで考えればそのような形になるのかもしれないが、これが「多くの国」というようなことになれば、他の国からの信用を失う行為になってしまい、そのことは大きく国益を損なうことになるのであろう。そのようなことをしっかりと見るべきではないのか。
もちろん、これ以上の擁護をするつもりはない。まあ、少なくとも国家としての尊厳を髷、国際法に違反する侵略を肯定するようなことをしては、国家としての品格が問われることになろう。
当然にドイツという国家も、その観点からシュレーダー元首相の特権をはく奪したのであるが、ある意味で当然のことと思う。