相馬中村城
1. 城のデータ
[所在地] 福島県相馬中村市中村馬陵公園
[築城年] 1521年~1528年
[築城者] 中村氏、相馬利胤
[遺 構] 曲輪、石垣、土塁、堀、大手一ノ門
[別 称] なし
[形 状] 平山城
[登城年] 2014年5月4日
(※トップ写真:相馬中村城・大手一ノ門)
2. 城の歴史
相馬中村城は、大永年間に中村氏によって築かれたという。その後、相馬氏の所領となり城代を置いていたが、1600年の関ヶ原の戦いにおいて相馬義胤は中立の立場をとったため、徳川家より西軍と見なされて改易となってしまった。
1611年、相馬義胤・利胤父子の徳川家康への再興の嘆願が伊達政宗の取りなしもあって受け入れられ、嫡男・利胤が6万石でもって相馬家の再興を果たした。このときに相馬中村城の大改修が行われ、近世城郭へと変貌を遂げることになる。以後、相馬氏は13代続き、明治まで世襲することになる。
3. 城の見どころ
相馬中村城は福島県の北東に位置する相馬中村市内にあり、現在は馬陵公園となっている。公園内には相馬神社や相馬中村神社、グラウンド、野球場などの施設となっている。天守や櫓などは残っていないが、堀、土塁、石垣など、よく往時の遺構が残っており、それほど知名度のある城ではないものの、実際に訪れてみると、見どころのある城郭であることがわかるだろう。
縄張は現在相馬神社が鎮座している本丸を中心として、東二の丸、南二の丸、西二の丸、、北二の丸が取り囲み、さらに東三の丸、西三の丸が設けられた輪郭式に近い構造である。南側に流れる宇多川を外堀とし、この水を城内に引いて北から東側にかけて二重の堀に囲まれていた。6万石の大名の城にしては、実に巧妙に考えられた縄張であり、かなり堅固な城郭であった。
(下写真:東三の丸堀)
まず、一番の見どころは東三の丸に入る部分に設けられた大手一ノ門である。城内で唯一現存する高麗門形式の城門である。相馬利胤が武蔵川越城の城番の時にその城門の堅固さに感心し、1649年にそれを模してつくらせたといわれている。
次に東二の丸から本丸に至る堀切部分に架けられた朱橋付近である。この付近には要所に石垣が築かれており、部分的に現存している。朱塗りの橋は現存のものではないが、城のシンボルとなっている。
(下写真:朱橋)
本丸を取り囲む急傾斜の切岸にもこれも部分的だが、鉢巻石垣が見られる。相馬氏が再興した時に本丸の防御機能を高めるために補強したもののようだ。
(下写真:本丸鉢巻石垣)
それから、おそらくなかなか訪れる人は少ないだろうが、西二の丸から西三の丸にかけての土塁・虎口跡も良好に残っているのでぜひとも見ておきたいポイントだ。特に西三の丸の虎口は何度も折れ曲がる構造となっており、実に注目に値する。
(下写真:西二の丸搦手虎口)
(下写真:西三の丸虎口)
また、城を北側から東側にかけて取り囲む堀もよく残っており、特に北側については、天然の池を堀とした蓮池は実に広大で、当時城の北側の守りはこれで十分だっただろうと思う。
城内には相馬だけに神社の境内などに馬がたくさん飼育されており、人懐こい馬をみていると、なかなか楽しかった。
4. 城のポイント
①江戸時代を通じて支配した相馬氏の居城 ⇒明治まで相馬氏が世襲した
②城内唯一現存遺構である大手一ノ門
③本丸鉢巻石垣、城を取り囲む堀、虎口跡