戌年と聞いて思い出す彼女が、僕に教えてくれた大切なこと
「あけましておめでとうございます」
あれは僕が大学生の頃のお正月のこと。家に大勢の親戚がやってきて、玄関前で新年の挨拶を交わしていた。すると、リビングから「なんだ、なんだ、騒がしいぞ」と言わんばかりに、のそのそと彼女が現れた。
彼女の名前は、ピース。
ラブラドールレトリーバーの、ピースだ。
玄関前に出てきた彼女は外への扉に隙間を見つけると、一目散に人の群れをかいくぐって庭へ駆け出て、「散歩連れてってよ」という目でこちらを振り返り見た。
僕は大した用もなかったのに(お雑煮に餅を突っ込むぐらい)、「ホラ、戻るよ」とピースに首輪をつけて家へ引き戻した。彼女はなんだかふてくされたようにして、乗っちゃいけないって言われているソファに飛び乗って、寝た。
あの時、なんで僕は散歩に行ってあげなかったんだろう。
きっとそんなことが何度もあった。僕が何かの拍子にピースを思い出す時、いつも決まって最初に出てくるのは、少ししゅんとしたような彼女の顔だ。
彼女の14年の生涯は、きっとそんなに悪いものではなかったように思うけれど、もっとああしてやれたらよかったなとか、こうしてあげたら嬉しかっただろうなということが、すごく多い。
いくら後悔をしても、過ぎた時間が戻ってくることはないし、今の一秒は、今逃したらもう二度と手に入らない。そんなことは、僕も大人だ、もう十二分にわかっている。
でも、いつかたまたま出会った神様に、「一回だけ時間戻してあげるよ。でもちょっとの間だけね」って言われたら、ね、ピース。またさ、二人でぶらぶらその辺を散歩しようね。
君を思い出す時、最初に出てくる顔はそのしゅんとした顔なんだけど、その後に洪水のように次々と溢れ出てくる思い出は、全部楽しくて愉快で素敵な思い出ばっかり。
はしゃいで机に頭をぶつける君。
たまに脱走する君。
一度散歩に出ると「帰りたくない」ってリードを引っ張る君。
ボールを追いかけるのに途中で飽きる君。
撫でると嬉しそうにくねくねする君。
誰かと誰かが喧嘩していると仲裁をするみたいにして間に入る君。
帰ると尻尾をブンブン振りながら玄関で僕を迎えてくれる君。
君が居てくれた日々は、今も僕らの大切な宝物だ。君に出会えて、本当に良かった。
そして、君は教えてくれる。
「人生一回だからやりたいときにやりたいことをやっておけよ」
そんな当たり前のことを、思い出す度に何度も、何度でも。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
今は今しかないからね、それは僕も彼女も大人も子どもたちも一緒。
さぁ、最高の年にしよう。あけましておめでとうございます。