48年革命14-ハンガリー革命鎮圧
2022.05.26 12:01
ハンガリーでは革命は、民族問題が深刻となっていた。王国内ではマジャール人だけでなく、クロアチア人、セルビア人が居てスロヴァキア人も居、それぞれ独立を望んでいる。1848年12月、皇帝フェルディナンド1世は退位し、甥のフランツ・ヨーゼフ1世が即位、本国の革命は潰れていた。
新皇帝は首都ウィーンに戒厳令をひくと共に、軍をハンガリーに進軍させ、ブダペストを陥落させた。ところが革命軍は翌49年4月には首都を奪還し、帝国軍をウィーンに押し戻してしまう。新皇帝はこともあろうに、今度はロシアのニコライ1世に援軍を求めたのだ。
さらに帝国内ではセルビアとクロアチアが連合軍をハンガリーに進軍させた。なんと革命政府は3方から攻撃されることになったのである。それでもなんとか耐えしのぎ、取ったり奪回したりの攻防を繰り返した。しかし10月11日、首相コシュートは辞任し、ハンガリー革命も鎮圧された。
ハンガリーでは、革命政府の要人113人を粛清し、フランツ・ヨーゼフ1世は「血に染まった若き皇帝」としてハンガリー人に恐れられるようになる。勝利した新皇帝は、1849年3月に発布した憲法を勅令によって失効させ、「新絶対主義」と呼ばれる強権体制を作り出すことになった。