町名:神田鍋町西横町
読み方:かんだなべちょうにしよこちょう Kanda-Nabechō-Nishi-Yokochō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「神田」
後身:神田鍛冶町、神田鍋町
現町名:千代田区内神田三丁目21番、神田鍛冶町三丁目7番地
概要:北は神田鍋町北横町、東は神田鍋町と神田鍛冶町二丁目、南も神田鍛冶町二丁目。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、南部が神田鍛冶町に、1872(明治5)、北部が神田鍋町に編入となり消滅。
撮影場所:神田鍋町西横町
撮影地:千代田区神田鍛冶町三丁目7番地(大衆割烹浜貞)
←神田鍋町東横町 神田東鍋町→