【神田②】神田八軒町
2017.12.31 12:56
町名:神田八軒町
読み方:かんだはちけんちょう Kanda-Hachikenchō
区分:町丁
起立:1698(元禄11)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「神田」
後身:神田亀住町 土地は秋葉の原火除地
現町名:千代田区神田花岡町
概要:筋違橋御門外、神田相生町に挟まれた町地。もと上野御門跡前の「下谷車坂町」といい、1698(元禄11)年6月、一部が下谷長者町通り御徒町に移された(長者町続車坂町)。同年9月の火災で8ヶ所に代地が分散。そのうち神田佐久間町二丁目の西に移されたものが当町。町名は前述のとおり、町が8ヶ所に分散されたという経緯から。1698(元禄11)年以降「神田八軒町」と改称。俗に「外神田大通」といった。『江戸町名里俗名集覧』の説明に「小柳町の脇」とあるが間違い。
1719(享保4)年、類焼して東西50間・南北20間の狭い片側町屋となる。1745(延享2)年町奉行支配となった(備考)(移転前、古くは代官支配だったが、1632(寛永9)年に寺社奉行支配となった)。北と南は神田相生町、西は柳原大門町と神田六軒町、東は上野町代地。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、柳原大門町、神田六軒町、上野町代地と合併し、神田亀住町を起立し消滅。しかし、後身の神田亀住町は同年12月の火災で焼失。跡地は秋葉の原火除地となり、小笠原邸上地跡の替地(現在の外神田五丁目3・4番)に移転。
撮影場所:神田八軒町