「宇田川源流」【日本万歳!】 日本では悪名高いODAが世界で感謝される理由
「宇田川源流」【日本万歳!】 日本では悪名高いODAが世界で感謝される理由
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや日本人の考え方、日本の慣習や何気ない気づかいなど、日本特有の事が世界でどれくらい役立っているのかということをしっかりと考え、そして何よりも、我々すべての日本人がその同じようなすばらしさを持っているのであるということをしっかりと認識し、そして、その認識を改めて自認することによって、自分たちの仕事に自信を持っていただきたいと考えての連載である。
ある意味で、この連載は、「日本人」ということを見直し、そして日本人の考え方や自分の考え方を見直すということをする内容ではないかと考えている。もちろん、日本人のすべてが良いことばかりではない。一つの特徴が良い方向にも悪い方向にも作用する場合があるし、常に両面性を持っている可能性も少なくないのであるが、その内容に関してもそのままここに記載し、基本的には良いことにスポットライトを当てながら、たまにはよくないことを指摘するというような感じであってる。
日本のマスコミは自分たちの良くないことを、批判的に書くことだけをしているのである。何かを報じる時は問題意識を持ち、そのうえで批判的に物事を書く方が「楽」なのである。しかし、その「楽」中事ばかりを戦後70年以上続けてきたことによって、日本人は常に批判を恐れ、自分の行っていることに自信が無くなり、そして日本人とは何かということを見失ってしまっているのではないか。その為に、あえて、この連載では批判的なことを全て外し、常に日本人が自信を持つことができるようにすることだけを考えて、みてゆくことを中心に連載しているということになる。
さて、今回はODAについてである。
政府開発援助という内容で、日本の高度経済成長以降、日本の資金で世界のインフラや、世界の生活の支援を行っているというものであり、その日本の支援は「借款型」と「無償援助」との二種類がある。もちろん、政治、外交の手段として行っているのであるが、一方で、その内容をに関しては「日本の生活を優先すべきである」というような批判も少なくないことは事実だ。
南スーダンに「自由の橋」が開通 日本が支援、全長560メートル
南スーダンの首都ジュバで19日、日本の無償資金協力による新たな橋「フリーダム・ブリッジ」の開通式が開かれた。
交通インフラが脆弱(ぜいじゃく)な南スーダンの物流を支える礎となることが期待されている。キール大統領は式典で、「この重要な贈り物をくれた日本の政府と国民に感謝したい」と話した。
国際協力機構(JICA)南スーダン事務所によると、フリーダム・ブリッジは南スーダンを南北に流れる白ナイル川に架かり、全長は約560メートルに及ぶ。これまで国内で白ナイル川に架かる橋は、1972年にジュバに架けられた一つしかなかった。その橋も2010年に一度は落橋するなど老朽化が激しかったことから、新たな橋の開通は同国の悲願となっていた。
2022年5月21日 12時30分 朝日新聞デジタル
https://news.livedoor.com/article/detail/22201320/
そもそも政府開発援助を行ったのは、日本だけではない。世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす事が政府開発援助の始まりである。
DAC(開発援助委員会)諸国によるODAの実施状況を純額ベースでみると、長らくアメリカが世界の1位であったが、冷戦の終結を背景に、1989年に日本がアメリカを追い抜き、その後も1990年を除き、2000年までの10年間、世界最大の援助国となった。しかし、2001年には再びアメリカが首位に立ち、2006年にはイギリスが第2位となり、2007年には、ドイツが第3位、フランスが第4位となり、日本は2009年まで第5位の位置にある。この間、日本はODAの予算を削減し続けたが、欧米諸国は「貧困がテロの温床になっている」との認識に基づき、ODAの予算を増額させてきている。
その、日本のODAであるが、まずは「ひも付き援助」といわれるように、日本の業者限定となってしまって、現地に金銭的な支援が落ちないということが一つの問題点とされる。橋やダムをつくるのだが、それらはすべて日本の企業が落札してしまい、現鎮ゼネコンにはその下請けや孫請けの身になってしまっているということになる。また、そこに全ての仕事をさせてしまうためにODAが現地の「富の格差」の温床となってしまう場合が少なくない。そのほかにも不正流用もの問題など貧困国に多額の資金を与えるということはそのような問題が発生するという事が少なくないのである。
ましてや、そのような内容が中国などに援助を出さされ、その金が兵器や軍事施設に使われるという現状はなかなか大きな問題になっているのではないか。
しかし、そのような批判点にばかり目を向けるのではなく、今回の「自由の橋」のように本当に役に立ち、現地に感謝されるものも少なくないのである。そのように考えた場合に、日本のODAは開発援助だけが悪いわけではなく、そのやり方に一部の不正者がいることが大きな問題になる。
逆に、日本の場合は宗教的な問題もなく、また、政治的な問題も「少なく」そのことによって援助を受ける側が、「経済的な問題や不正以外の問題点がない状態で受けることができる」という、純粋な援助ということができるのではないか。これは日本なら出羽であり、多神教で、一つの宗教や文化に携行しない、その上「郷に入れば郷に従う」という日本人の文化がしっかりと生かされている援助形態なのではないか。
このような意味で「アメリカや中国の援助はいらないが日本の援助は欲しい」という国は少なくない。特に、今回のようなもともと係争地域で、何らかの対立の芽があるような場所は、日本のように「宗教的にも政治的にもニュートラル」な国からの援助を欲しがるのである。政治的な観点からすれば物足りないものなのかもしれないが、その内容が「功」もあるということなのではないか。
日本のすばらしさ、日本の文化的特徴が世界の貢献の中心に存在しているという点にも注目すべきなのかもしれない。