「JINRIKI」ウクライナ支援プロジェクト2日目(5/28)
日本(成田空港)を5/27(金)22:30に出発し、エミレーツ航空319便で11時間20分、5/28(土)4:50にドバイに到着。
約7時間の乗り継ぎ時間を経て、フライドバイ1787便で6時間、日本を出発して約24時間後にクラクフ(ポーランド)に到着した。
着陸前、機内から見える景色は果てしなく広がる穀倉地帯の緑豊かな風景。
あの雲の向こう(東側)300km先はウクライナとの国境、その向こうで戦争が行われていて、そこから多くの避難者が眼下に広がるクラクフの街にも逃れてきているということが想像できない景色だ。
新型コロナウィルスの検査や検査証明、ワクチン接種証明等はなく、入国審査(出入国書類はなく、パスポートの提示のみ)を通過し、ターンテーブルで荷物を受け取ると、税関も特に申告するものがなければ、そのまま出口へ。
出口を出たところで、我々3人を迎えてくれたのは、木村正人(国際ジャーナリスト)木村史子(元TV局ロンドン報道局プロデューサー)ご夫妻。今回のウクライナ支援プロジェクトで尽力いただいていて、サポートのためにわざわざロンドンからクラクフ入りしてくださった。
なんとも心強いサポート。
早速空港の外に向かうと、空港のすぐ脇に中村さんが事前に送っていた「JINRIKI」100セットが届いており、今日からの活動て使用するレンタカー(バン)もすぐに届けられた。
JINRIKIをバンに移し替え、空港から約10kmクラクフ市内へ移動。
ホテルのチェックインだけ済ませて、明日からの活動スケジュールの打合せと夕食のため、旧市街へ。
ここクラクフにもウクライナから大勢の人が避難していて、街のレストランの多くは店先にポーランドとウクライナの国旗が掲げられている。
木村夫妻からの新たな情報なども集約し、スケジュールに落とし込んで、2日目(長い1日目)が終了した。
簡単にクラクフの紹介。
ポーランド南部に位置するクラクフは、14〜16世紀に王国として繁栄し、第二次世界大戦の戦禍を免れた。
「クラクフの歴史地区」として、1978年、世界で最初に世界遺産の12件のうちの1つとして登録された。
(街のシンボル聖マリア教会)
(旧市街の南を流れるヴィスワ河畔に建つヴァヴェル城)