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「宇田川源流」 「調査なき視察」で何がわかるのか?と思う国連人権高等弁務官のウイグル視察

2022.05.30 22:00

「宇田川源流」 「調査なき視察」で何がわかるのか?と思う国連人権高等弁務官のウイグル視察


人権問題というのは様々な話が出てくる。人権問題がおかしくなれば、その国(政府)は国際的な信用を失い、そのことによって様々な不利益を生じることになる。そのことから各国政府は「人権」ということに関して非常に重要な問題と位置づけ、その問題に取り組んでいる姿を見せている。逆に反政府団体や与野党の攻防をしている非主流派の人々は、些細なことを見つけて、「人権に違反している」などという主張を行うようになっている。つまり最近の「人権問題」は、いつの間にか「政争の具」になってしまい、その攻防を行っている双方が人権そのものが理解せずに極端な解釈とごまかしの中に入ってきている状況になる。

まあ、正直に言って「政争の具」というのは、そのようなものであり人権を政治的な課題にしてしまえば、必ず「賛成派と反対派」が生まれてくることになるので、そもそも政治の題材として使ってはいけないということが、どうも当事者にはわかりはしない。本来であれば、人権は、賛成派も反対派もこぞって守らなければならないものであるが、それが政争の具になった瞬間に、そのようなことではなく「自分の主張以外の主張を駆逐する道具」になってしまうのである。

しかしこのように買うと、「何故反対派が出てくるのか」という疑問が出てくる人がいるのではないか。単純に「全ての人間が守るべきもの」であるのに、それに対して反対派が出てくるということは、矛盾するという考え方である。これに関しては「そもそも人権というものに関しての考え方」の問題であろうと答える。つまり「人権は個人のわがままを無条件に聞き入れること」ではないのであり、「全体のバランスの中で、多くの人を平等にあつかう」ということが基本である。しかし、なぜか「弱者を健常者(正常者)よりも優遇することを基本とする」というような要求を行い、そのことを至極当然であるかのごとき話をする人権主義者がいることにあまりにも驚きを感じる。そのようにして社会資源を失ってゆけば、当然に、社会全体が停滞し、多くの人が不幸になる。弱者のために「多くの人を不幸にする」という選択肢をわからずバランスを欠いた主張をする人々が少なくないこともあるのだ。

バランスをかくことなく、全体の平等を考えて、「できる範囲で保護する」ことが本来の人権の考え方であり、そのことができない人がやたらと人権を振り回すのは大きな間違いであろう。

そして、そのような現状であるから、「人権」を国家的に使い、そして、政治的な利用を行う国が出てくるのである。

ウイグル族人権問題で国連高官訪中も「調査なき視察」 記者同行はなし

【北京=三塚聖平、ロンドン=板東和正】人権侵害が懸念されている中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区視察のため訪中していたバチェレ国連人権高等弁務官は日程最終日の28日、オンラインで記者会見した。バチェレ氏は、訪問目的について「調査ではない」との考えを示した。一方で、同自治区で行方不明になっている人々に関し、家族に情報提供を行うよう中国当局に要請したことを明らかにした。

 中国政府は、バチェレ氏の訪問について「目的は双方の交流と協力の促進」だと強調してきており、中国側の意向に沿う形で視察が行われたとみられる。今後、国連が中国側と対話をしていく考えも示した。

 国連の人権高等弁務官が中国を訪問するのは2005年以来だった。バチェレ氏の現地視察は、新型コロナウイルスの感染対策を理由に外部との接触を遮断した「バブル方式」がとられ、記者団の同行もなかったため不透明感が残る結果となった。バチェレ氏は記者会見で、新疆滞在中に「監視はされなかった」とも述べた。

 6日間の滞在中の24日には、少数民族のウイグル族らが強制収容されている問題で、17年に同自治区トップが「拘束者が逃げれば射殺せよ」などと指示していたとする内部資料の流出が判明。現地調査の重要性を主張する声がさらに高まった。だが、独立した現地調査が制限される今回の訪問は、同自治区の人権侵害を否定しようとする中国側のプロパガンダ(政治宣伝)に悪用されかねないと懸念されていた。

5/28(土) 産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/a1b7d3923937ae143af70115eca2928f9e9b0567

 さて、その「人権」を利用して自らの政府の主張をうまく使おうとしている国の一つが中国である。そもそも共産主義・全体主義の国々やその考え方を持っている人々が人権を大事にしているなどという、完全に誤った幻想を持っている人が、日本人には少なくない。人権派であるから社会主義・共産主義であるなどという人は、そもそも「人権を否定し全体を優先する」という本来の共産主義の定義をどのように解釈しているのであろうか。全くよくわからない。中国などと異なり、日本のそれらの思想の持ち主は、自らのしゅちぃおうが二重基準に基づくものであり、自己矛盾しているということに気づかないという、あまりにもお梶な話になっている。

一方、矛盾に気づきながらそれを強引に力で押し切ろうとしているのが中国共産党であろう。

中国は基本的には「人権を無視する」ということを行っている。ウイグルやチベットや内モンゴルの話は、もちろん、日本に伝わってきている被害者の人々の言葉が、全て真実で会うとか脚色がないとは言わないが、しかし、一方でそれらが全てうそであるというように斬り捨てることもおかしな話になる。では実際にどのように考えるのが筋なのであろうか。

そのように考えた場合、中国が「どのように自分たちの人権保護を主張するのか」ということが課題になっていた。その時にちゅごくが行うのが「個人的な買収」ということになる。

中国政府は、バチェレ氏の訪問について「目的は双方の交流と協力の促進」だと強調してきており、中国側の意向に沿う形で視察が行われたとみられる。今後、国連が中国側と対話をしていく考えも示した。<上記より抜粋>

さて、現代にナチスドイツがあったとして、そのナチスドイツの手引きによって国連の人権高等弁務官がドイツ国内に人権の話をしに行ったとして、そのことを信用する人がどれくらいいるであろうか。単純い「権力をもって虐げている側と汲んで調査をする」などということを行っても何の意味もないのが普通の考え方であり、この国連の弁務官は、何をしに行ったのかよくわからない。もっと単純に「中国に買収されに行った」ということを疑われても仕方がないのである。もちろん国連が「弱者の味方である」というような幻想を抱いているとは思わない。基本的に、国家権力の集合体で動いているのであり、有力な国があればそこに従う形でしか存続ができない。人権委員会は、先日ロシアを理事国から排除してしまっていることから、有力国が一つなくなってしまっている状態である。そのうえで、中国を敵に回して大丈夫かということは確かにそのとおりである。

しかし、だかあといって、逆に「中国政府と協力を確認する」などといって、虐げている人々と連携をするなどということが会ってよいのかということは、非常に疑問であろう。実際に、コロナウイルスの時も、当初、WHOが調査に行ったが中国と共に行ったことによって、その原因の追及は全くできなかったことは、記憶に新しい。テドロス事務局長の解任を求める署名が世界中から集まった。今度は国連が同じように信用を失うのであろうか。その瀬戸際にあることを国連自身が自覚すべき時ではないのか。