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夕焼けにみたもの

2015.01.03 15:00

私が学生の時からは想像できなかったような、

バンドの再結成・来日公演が続いている。 

・・・しかし、時は無情なり、か、

私は 興味のある件はなるべく聴きに行っているが、

歴史的価値はあれども、音楽的価値は?マーク、 

という感想を抱いてしまうものが多い。 

そんな中、昨年(2014)のタイ・フォンの初来日公演は、

私個人の感性の潮流を辿るような、 

(つまり、あくまで私的な志向性の話だが)とても感慨深いものだった。


私が音楽を聴き出した時代は、LPからCDの移行期。

現役のバンドと同時に、60~70年代の名盤復刻も始まった。

ある程度音楽を聴き込むと、自分の好みが分かってくる。

「欧州叙情派」(?)というキーワードが、

自分の感性が求めているものだと分かってきた。

当時はインターネットなどなく、また、 直接の知り合いに同好の士はいなく、

主に紙媒体(雑誌、同人誌等)をひたすら漁っていた。

そんな中、どうしても巡り合うバンド名の一つが “タイ・フォン”。

「・・・フランスのバンドだか中心メンバーはアジア人、

比較しようのない繊細なサウンドと美旋律に溢れている・・・」

しかし、彼らのレコードは廃盤のまま中々CD化されなかった。


待ち望むほどウン年、ようやく彼らのアルバムを手に出来た。

彼らの代表曲は“Sister Jane”、大甘のロックバラード。

サウンドの特徴は上記のような小曲以外の、

アルバムの大曲で聴ける、繊細かつ構築美に富んだ叙情性にもあるだろう。

しかし、私の心を鷲掴みにしたのは、

元はアルバム未収録でCD化のボーナストラックとして

追加で収められたシングル曲(“Dance” 等 )だった。


これらの曲は、大人になることと引換えに

手放さなければならないような、 子どもの心が抱く淡い憧憬で出来ている。

・・・何と例えられようか、それは、 ふてくされて歩く帰り道に、

ふと見上げた夕焼けに 感じた素朴な美しさ、だったり、 

幼さ故に息詰まる心が、雨上がりの空に包まれるだけで

全てが解決したように錯覚してしまう楽天性、だったり。。。 


1980年代には実質的にバンドは解体していた模様だが、

以後、断続的な再編でシングルやアルバムが単発的に出る中、

昨年(2014)、新譜とまさかの来日公演のニュースが。 

今やオリジナルメンバーはKhanh Mai(カーン・マイ) 一人だが、

正確には、断続的ではなく継続的に活動が続いていた模様。

ただ、最新アルバムは「美旋律度」(笑)で言うと過去最高かも、

と思うものの、私が彼らに惹かれていた最大の要因である

淡い憧憬は、か細い叙情性は、もう聴こえてこなかった。


そんなワケで、あまり期待せずに臨んだ来日公演。

演奏は、練習を積み重ねればある程度は解決出来る。

作曲・編曲も、勉強することで技術は身に付けられる。

しかし、叙情性は、努力や学習では現れない。

何故ならば、それは、その人の心の風景だからだ。

そして、今のタイ・フォンが、カーンが、求めているサウンドは

より屈強で普遍性のある世界なのだろう、と私は思っていた。


・・・驚いた。 まさか“Dance”を演るとは!

しかも、レコードで聴けるのと寸分違わないカーンの声。

還暦近いであろうオッサン(失礼!)とは思えない素朴な歌声。

あの会場にいた多くのリスナーが、ある意味、

度肝を抜かれたはず(重ね重ね失礼:汗)。

あんな、少年性の発露を堂々と行うとは・・・。

そして、“LISA”。

2000年の再編アルバム“Sun”収録の、

個人的に、タイ・フォン史上一番好きな曲。

この曲がセットリストにあること自体驚いたが、

この曲のギターソロを凄腕ギタリストを二人引き連れた中で、

ヨレヨレの(もう、ゴメンンサイ:涙)カーンが一人で弾くとは。

しかし、この判断は正しいと思った。

きっとこの曲が求めているギターの音色は、

期待と不安、夢と現実・・・色んな想いが ごちゃまぜになって、

にじんだ少年の瞳に映った

鮮やかだけど不確かな夕焼けの色のようなものだから。


音楽をする理由って何だろう、と思う。

生活費を捻出する手段であるならば、もし他にもっと効率よい方法があれば

それは音楽でなくても構わないのかも知れない。

趣味や気晴らしならば、それに費やす時間が無くなったり、

或いは、そういう気晴らしをする必要そのものが無くなれば

もうしなくてもよいことなのかも知れない。

しかし、生きることそのものと音楽が結びついている場合、

それは、する・しない、という選択の話ではなく、

あたかも呼吸をするように自然と音を紡いでゆくのだろう。

カーンにとって、音楽に触れ合うことは、 忘れられない心の風景を描くことは、

きっと、生きることそのものなのだと思った。

自分が何を大切に思っているか・信じているか、を

確認し表現する為に音楽があり、

その必要性は、あくまで本人の中に存在する。

自分の外の他の何かに理由を必要としないもの。

そんな潔さを感じた一夜だった。 


(2015年1/4記)