「叱って伸ばす」スパルタと「褒めて伸ばす」コーチングはどっちがいい指導法なのか
厳しく「叱って伸ばす」のがいいのか。やさしく「褒めて伸ばす」のがいいのか。どっちのやり方がいいのかと、教育や指導の場でも度々議論になる議題でもあります。
ここでは想像しやすいように、「叱って伸ばす」=スパルタ指導、「褒めて伸ばす」=コーチングとしています。
「悪いところに注目し詰める」指導か「良いところに注目し褒める」指導か、はたまた「厳しい指導」か「やさしい指導」かといったイメージ分けでもいいですね。
最近は「コーチング」という考えの台頭によって、「褒めて伸ばす」派が多い印象でしょうか。
私たちが子どもの頃はスパルタ教育なんて呼ばれるような、「叱って伸ばす」派の考えを持った指導者が多かった気がします。
スパルタ指導の強み
先日、私が定期購読している大好きなメルマガ『未来習慣』で、あるお話が共有されていました。
それは人を育てる上で危険な言葉が「good job」だというもの。
例として出されていた、映画「セッション」の鬼コーチも、昨年キレキレの「バブリーダンス」で有名になった登美丘高ダンス部のコーチも、生徒から最高のパフォーマンスを引き出すために、最後の最後の、最後まで厳しく追い込み続けるといいます。
その中で「good job」という言葉は、現状に満足してしまう怖い言葉だと指摘されています。私もその映画やリンクを貼った動画を見て、「たしかになぁ」と感じました。
求道者のように、一つの道を突き詰めようとする者にとって、「褒めて伸ばす」指導は、時間的にも精神的にも、不要なものになるのでしょう。
より早くより高みへ昇るためには、課題を見つけそれを指摘しすぐ改善させるという、「叱って伸ばす」指導が無駄がなく、効果的なのかもしれません。
コーチングの強み
しかし、ここで少し違った例を見てみましょう。
これが例えば、勉強嫌いの生徒への指導であればどうでしょうか。
私にも経験がありますが、そういう子に正論で課題を指摘しても、一向に高みへ昇っていってくれません。
いくらこっちが高みへ連れて行ってあげようと強い気持ちで接していても、本人に道半ばで「もういいや」なんて投げ出されてしまえば、元も子もありません。
こういった生徒には「褒めて伸ばす」指導で、「自分にもできるかも」というセルフ・エフィカシー(自己効力感)を高めて、スモールステップで成功体験を積ませ、「もっとできるようになりたい」という気持ちを引き出す必要があります。
誰でも、できないことはつまらない、つまらないことはやりたくない、ですからね。それを「できそう」「やりたい」に変えてあげるのです。STAR勉強法でいう「SET」、心の準備のことですね。
「できない子へは厳しい指導で恐怖からやらせればいいじゃないか」という方もいますが、現代は超情報化社会で選択肢が多い時代。良くも悪くも、すぐに他の道に逃げることができます。
極論、「ニート」なんて言葉がある働かなくても生きていける時代ですからね。現代においては、やらなければならないことを指導する場合にその方法は少々危険かもしれません。
スパルタvsコーチングまとめ
さぁ、ここまで様々な例を見ていくと、なんとなく答えが掴めてきたような気がしますね。それっぽくまとめて言ってみましょう。
自己効力感が低い人への指導は「褒めて伸ばす」指導が効果的。
自己効力感がある程度あり高みを目指す人への指導は「叱って伸ばす」指導が効果的。
あとはここに個々人の性格や目的、特性、タイミングなどが相まって、ベストな指導法が生まれてくるのだと思います。ですから、こう言ってしまえば元も子もない、だけど最も大切な一言を付け加えておきましょう。
ただし、最適な指導法は人やタイミングによって変わってくる。
この「人」には、指導される側はもちろん、指導する側も含まれていそうです。その組み合わせによって、無限大の指導法があるわけですね。
指導者には、相手によってその指導法を変える引き出しも必要かもしれません。同じ人相手に指導する時にも、今は「褒めて伸ばす」、今は「叱って伸ばす」等という使い分けをすることもあるでしょう。
そして、場合によっては、得意な指導法が違う指導者へ引き継ぎをすることもあるかもしれません。
人はみんな違うから、指導法だってもちろん違う。時には異端な方法がセオリーを超えることもある。
私自身ももっと色んなことを学んで知って、個々人になるべくベストな指導法で指導ができるように、精進していきたいと思います。
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