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Elysium

記憶の中の 女の子

2022.05.31 00:00


 

私は尊子を部屋へと連れて行った

ふすまを開け

部屋に入る


女達は

尊子を物珍しそうに眺めた

新参者に好意的な者もいれば 


あからさまでないとしても

否好意的な者もいる


舐める様に眺める視線には

幾つかの意味合いが込められているものだ


尊子はゆっくりと辺りを見渡して

自分に注がれている

視線を確認した様に見えた


私は黙って彼女の行動を眺めた

 

「尊子と申します

ここへ置いて頂く事になりました

どうか

宜しくお願い致します」 

 

尊子は

廊下で見せた姿を一切感じさせないほど

整った口調で言った


これがさっき

私に食らいついた娘だとは思えねえ

 

そして

跪いて頭を深く下げた

 

多くの女達は無視した

怯え泣く姿が見られない

そう

分かると関心を失っていた


哀れさが食いもんだ


「尊子ちゃん 宜しくね」 

何人かの女達は

好意的な言葉を投げかけた

言葉は体を現す


好意的な言葉を投げかける 

そんな 女達は皆目元が優しく 

口元は上がっている


尊子はそんな言葉を耳にしても顔を上げない


時間をかけて頭を下げ続けている 

 

皆が尊子から視線を外す頃

尊子はゆっくりと顔を上げた


そして私の方を見た

下がった眉のまま

お礼のつもりか私に小さな笑顔を見せた 

「これで間違っていない?」 

彼女の視線は

そう私に尋ねているように感じた

 

私も小さく唇をほころばせて見せる

「間違えていねえ」 

私も視線で返した

 

賢い娘だ


 

この娘は賢い娘だ

賢いが故

きっとここへ来ることを誰かのためにと 

選択したに違いない

ここに来た娘達と同じだ


姿形は違っても

この娘


いつかの私と同じに映る


 

「名をお尋ねしても良いでしょうか?」 

尊子は

私に歩み寄ると 控えめに聞いた

「久子だ

あんたより五つばかし上だ」 

「五つ上のねえさんね」 

「あんたは 十そこそこだろう」 

「はい 十になったばかりです」 

娘は嬉しそうな顔を見せた


懐いた子犬の様だ


あどけない娘だ

 

笑顔を見た瞬間

噛まれた右腕が急に痛みだした

何もしてやれない罪悪感がうずく


罪悪感なんていう言葉を使うには

尊子に申し訳ない


いつだって罪悪感っつうもんは

正義の振りをして

己を満足させるためにあるようなもんだ

 

はき違えてはいけねえ

ここでは

心を添わせたら


相手は駄目になっちまう

 

そして 

いずれ


自分自身を殺すことになる

 

「久子ねえちゃん」 

尊子が私を呼ぶ

小さな声が聞こえた

私は聞こえてない振りをした


そうしないと


記憶の中に居る 

二人の幼い女の子と

勘違いしてしまいそうだからだった

 

この娘の嬉しそうな顔

ススキ林で見たかったなあ

ふと思った

こんなどうしようもねえ場所じゃなくて 

狐のしっぽみたいなススキ原でさ

 

右に揺れて 左に揺れて 

自由に揺らされる


放ってやりたいな


こんな娘

金魚鉢みたいな こんなせまっこい場所に入れとくなんてな

 

この娘には

こんな場所似つかわしくねえ

 

尊子の姿 声 仕草 身の丈は 

私がまだ

お父とお母と妹と一緒に居た頃 

近くに住んでいた女の子と似ていた

 

その女の子は小さいのに売られてきた

買われた家で朝から晩まで働かされていた


お父もお母もいない所で一生懸命働いていた


小さな手は年中あかぎれで

手入れされていない髪はぎっちりと 

ただ縛られていた

ほっぺはカサカサで割れていた 

笑うと皮膚に亀裂が入る

 

私はよく

その女の子を見ていた


水を運んでる姿を見れば


少しばかり声かけた

名は知らなかった


細っこい足を出して

身振り構わず働いていた

 

泣かねえんだ この女の子は

文句さえ言わねえ


私はそんな姿を

ずっと見ていた


ある夕方

女の子は家の外に居た

壁に背中を付けてむくれている

私は声をかけた 

「何かあったのか?」

女の子は

口を堅く閉じたまま首を振る


頬には時が経った涙の痕が白く残っている


「そうか」

私はそう言って横に並んだ

 

「散歩 行くか?」

 

そう声をかけると

女の子は驚いた様子で私を見上げた

その様子を見て私は 慌てた

大きな期待を持たせちゃいけねえ


「そんな遠くじゃない

ちょっとだけそこの空き地に行くだけだ」


女の子は大きく頷いた

 

嬉しさが溢れていたのが分かった 

私達は夕日に向かって黙って歩いた

 

空き地に着いた

そこにはススキがめいっぱい生えていた

ゆらりゆらりと風の思うままに 

揺らされている


「わあ・・・綺麗ね」


女の子は

好き勝手に揺れているススキを見ながら

言った

思わず口から飛び出た言葉の様だった

子供らしい言葉だ


私は横に居る女の子を見ていた

女の子は私に見られている事に

気が付いていない


誰かに見てもらうことなんて

無かったんだろうな

視線に気づかない女の子は 

夕日に照らされた

ススキに心が


ずっと奪われている様子だった 

 

そうなんだ


女の子という小さい生き物は

こういう表情をしているもんなんだ


歯を食いしばって

口を横に結んでる姿なんてしない

 

女の子という小さな生き物は

めいっぱい綺麗なものを

その瞳に映しこんで 

感嘆とすることが好きな生き物なんだ


笑顔だけで作られるべきものなんだ

 

女の子も夕陽に照らされていた

大きな瞳が精一杯輝いている

 

「ねえちゃん」


女の子は私を見上げた

そして


「お狐さんのおっぽみたいね」 


弾ける様な笑顔を見せた

 

「うん

そうだな 狐のおっぽみたいだな」 

 

弾けた笑顔が私の胸を覆う


「私の名前ね とこ っていうの」 

「とこちゃんか」 

 

とこは

頷くと再びキツネの尻尾を眺めた

そして


そっと私の手を握った


秋風が冷たい


小さな手だ

私の手でもその全部を包み込めてしまう

私はギュッと力を込めた 

 

西日が女の子の影を背伸びさせている

同じだ

私の影をも背伸びさせる

 

大人にならなきゃいけない

早く大人にならなきゃならない

 

そんな急く思いを忘れた気がした 

影が私達の

焦らなければならない成長を

引き受けてくれたようだ

 

背伸びをして生きなければならない 


そんな私達を今だけ 子供 として在ることを

許してくれている様だった 


忘れない様にしよう

この時を


この背伸びを

引き受けてくれた時間を

忘れないようにしよう

 

私たちは手つなぎのまま帰った

 

それから

とこは私を見かけると笑顔を見せ

気づかれない様に

小さく手を振って見せた 

私も手を振り返す

言葉はない


だけど

 

‘いるよ’ 

‘いるね’ 

 

‘いるよ’ 

‘いるね’ 

 

とこ 居るね 

姉ちゃん居るよ

 

存在を確認し合うようにしていた 

 

お互いには気に掛ける人がいる 


見えない信頼の中


その確認を誰にも

気づかれない中で行っていた


それが私達の心の拠り所だった 

 

次の秋が来る頃 

とこは 

いつ間にかいなくなった


一つも姿が見られなくなった 


どこに行ったのか

誰も教えてはくれなかった 

 

後に風伝いに聞いた


とこはな 


女の住処へと売り飛ばされたって

 

教えてくれたのは

去年吹いていた秋風だった

 

私はその知らせを聞くと

夕方

空地へと向かった 

たった一度だけ

とこと訪れた場所だ

 

ススキが地一杯に揺れている

あの時と同じだ

 

‘ねえちゃん


おきつねさんのおっぽみたいね’ 


無邪気に笑うあの子が私の記憶の中に居る

弾けた笑顔が

私の胸の中で散らばって

あちこちへと


突き刺さる 

 

西日が

今伸ばせる影は私だけだ

 

知った名だけを残して

あの子は行先も告げる事無く 


売られて行った

 

とこ


涙が落ちた 

 

売り飛ばされて 

買われていくだけが 

あの子の人生なのか 

 


なにしたっていうのか 

あの子は

ただ


生まれ来ただけじゃねえか 

 

あの子の元には神の欠片さえ 

落ちてやしないじゃないか 

 

平等さを謳えない神が

命なんて 

扱うもんじゃねえ 

 

泣いた 

私は泣いた

地に突っ伏して泣いた

 

声を聞かない

神を罵倒した



小さな子供の様に私はしゃくりあげていた 

 

とこ 

ごめんな 

 

その手を離さなければ良かった 

ごめんな 



ここでは 

誰も邪魔はしない

湿った土の匂いが鼻につく

 

どれくらいこうしていただろうか

日はもう落ちていた

遠くに見える山の裏側が 

赤い空気を背負っている 


私は地べたから立ち上がった


いつか見たお稲荷さんを思い出した


稲荷神社はここいらには無い 

小さい頃

お母と遠出の用事で

行った場所に稲荷神社があったんだ

 

「ちょっと寄らせてもらおうか」 

 

お母は私にそう言った

私達は小さな神社に一つお辞儀をしてお邪魔させて頂いた

 

私は記憶を見ていた

 

そうだった 

確か

向かって左のお狐さんは

口に巻物を咥えていた

 

「久子 狐さんは賢い

口にくわえている巻物は 知恵の証だ」 

お母はそう言った


どこか笑っている様にも見える

お狐さんは

何でも知っている様に見えた


私達のこれから

進む未来さえも見えていたのかもしれない

 

私は揺れるススキの前で

右手の人差し指を横にし


唇に挟んだ

 

そしたら 

どうにかしてくれそうで 

そしたら 

何か教えてくれそうで 

 

あの時見たお稲荷さんの真似っこだ

 

お狐さん 

 

どうかあの子が元気で居ますように 

お狐さん 

どうか 

あの女の子が幸せでありますように 

 

心弾ませられる日を 

一日でも持てていますように

 

揺れる沢山の狐のしっぽを眺めながら 

胸の中でそう願った

 

巻物に例え咥えた人差し指は湿った 

 

「久子姉ちゃん」

呼び声で我に返った 

私は昔の事を思い出していた

木蓮格子が目に飛び込み

私は自分の今いる場所を 


思い出す 



尊子が私を見上げ呼びかけている

似ている

私が手を離してしまった女の子と

この目の前に居る尊子は


そっくりに思えちまう 

 

「あんま 馴れ馴れしくすんな」 

 

私はぶっきらぼうに突き放す 

久子姉ちゃん

なんて馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ


心が境界線を引く

どちらにも偏っちゃならねえ

 

胸に飛び込ませたもんなら両者破滅する

この場所じゃあ 

決して成り立ってはならないもの

っつうもんがある


成りたてが許されねえもの



 

お狐の尾っぽみたいね 

言葉が頭を掛けめぐる 

 

 

ここに来ての三つの季節は廻った

お父お母妹を

思い浮かべる事も少なくなった


少なくなったと言ったら噓になる

年月と共に感情が濾過され

薄い蝋引き紙越しに 

お父とお母妹を眺めている様だ

 

存在していたのかさえ

分からなくなる時が在る


たった三つ巡りの季節が

私から鮮やかさを奪った

涙を流す事はもうない

感情が肉体を覆うこともない


ただ

とこの事は別だ

いつまでも空地で

咥えた人差し指の湿り気は忘れられない


あの娘の声は時折私の鼓膜を揺らす 

 

 

安易に 

懐にいれんじゃねえ

 

姉さんが良く言っていた 

 

酔った客なんてえ

懐に入れても痛くも痒くもねえもんだ

覚えちゃいねえ

久子

うまい具合にお前の懐は 

使い分けなきゃなんねえんだ

 

情を持ったら自滅する

だからといって

薄情で在れば男は寄らねえ

薄情は男女問わず 鼻につくもんだ

 

尊子が挨拶した本物の女

男を煙の様に巻き

黙らす女

 

それが私が姉さんと呼ぶ女だ