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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

48年革命15-ルイのクーデター準備

2022.05.31 13:16

フランスでは、ルイ・ナポレオンのローマ進攻に反対して8000人の集会が行われた。が、ルイはこれを軍隊で鎮圧してしまう。実は大統領選挙に続いて行われた議会選挙で、穏健共和派が大敗し、右派の秩序党が大勝、左派の山岳党も議席を伸ばしていた。ルイは、左派を追い詰めずに、左右の調停者となる。

教皇の戻ったローマに対し、ナポレオン法典の施行と自由な政府を要求する手紙を送り、秩序党を驚かせて対立を高める。すると彼は内閣を解散させ、自分が首相を兼ねて事務官僚を集めた内閣を組閣した。彼は1850年の鉄道除幕式で「私の友は宮廷の中にはおらずあばら家や畑に居る」と述べた。

しかし秩序党の議会は、選挙法を変えて、選挙権の条件に3年以上同一住居に居住することを加えた。これで季節労働者など300万人が選挙法を奪われた。ルイはこれに反対する提案をして、普通選挙法の擁護者というイメージを身に着け、後のクーデターの口実にした。

彼は、俸給を上げてもらい、その金で退役軍人らを自分のシンパとして組織した。議会が終わると、大統領の地方遊説に帯同し、ナポレオン人気をもりあげた。さらに閲兵式を頻繁に行って、軍人にも大盤振る舞いをして人気をあげる。そして51年1月パリの軍事総督を解任、クーデターの準備は着々とすすんでいた。