磐城平城
1. 城のデータ
[所在地] 福島県いわき市平
[築城年] 1603年
[築城者] 鳥居忠政
[遺 構] 石垣、丹後沢堀
[別 称] 龍ヶ城
[形 状] 平山城
[登城年] 2014年5月3日
(※トップ写真:磐城平城・本丸塗師櫓石垣)
2. 城の歴史
磐城平城は1603年に10万石をもって入封した鳥居忠政によって築かれた近世城郭である。関ヶ原の戦い後に岩城氏の飯野平城を廃して飯野八幡宮が置かれた赤見物見ヶ丘に築かれた。かなりの大工事だったようで、完成までに12年を要したという。
鳥居忠政は1622年、出羽山形に移り、内藤政長が7万石で入城する。内藤氏6代のあと、井上氏を経て、美濃加納より安藤信成が5万石で移り7代続き幕末に至っている。1868年戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟に与した磐城平城は廃城となっている。
3. 城の見どころ
磐城平城はJR常磐線いわき駅のすぐ北側の高台になっている場所に位置する。なるほど、実際に城跡を巡ってみると、丘陵をうまく利用して築いた城だということがわかるだろう。江戸時代当時、譜代の中クラスの大名の居城としては、かなりの大城郭だったと思われるが、残念ながら現在城跡は市街地化により、ほとんどが住宅地となっており大半が消失してしまっている。
当時の縄張は本丸を中心に、北東に焔硝曲輪、水手曲輪、南西に大手曲輪があり、内堀で囲われていた。さらにその周囲にある二の丸、三の丸、杉平曲輪、大手外曲輪は外堀で囲われ、さらに西端に内記曲輪と呼ばれる馬出状の曲輪があった。天守は当時築かれなかったものの、本丸南西部に三重櫓が築かれ、これをもって天守の代用としていたようだ。
現存遺構としては、焔硝曲輪から本丸へ入るところの虎口である櫛形門と塗師櫓台の石垣が残っている。特に塗師櫓台の石垣は巨石を積上げた結構立派なものである(隅部は未発達ながら算木積の傾向がみられる)。だが、惜しいことに、訪れた時石垣の上部が失われていることに気付いた。おそらくは、2011年3月の東日本大震災の時の被災した跡かと思われる。
(下写真:櫛形門虎口の石垣)
(下写真:塗師櫓台の石垣)
この他に、本丸西側大手曲輪との間の中門・中門櫓の石垣が現存する。だが、こちらも震災の爪痕が生々しく一部崩壊していて補修工事がまだされていない状態だった。現在は丹後沢公園の入口になっている。
(下写真:中門櫓の石垣)
また、城の北側を大きく蛇行して取り囲んでいる丹後沢の大堀も現存遺構である。築城するときにもともとあった天然の沢をフルに利用して水堀にしたものであり、当時は北側の防備はこれで十分だっただろう。現在は沢沿いにデッキがつくられていて市民の憩いの場所となっている。
(下写真:丹後沢堀)
(下写真:丹後沢堀)
それにしても、貴重な現存遺構である石垣を探すのに結構苦労した。というのも駅に近い立地なのに城跡を示す案内板など、それらしきものが私が見かけたかぎりでは一切なかったからだ。遺構が分散してしまっているので、見つけにくい上に案内も無いとなかなか苦しいものがあった。市にとっても貴重な史跡だと思うので、その辺りの整備もぜひ行ってほしい。
4. 城のポイント
①鳥居忠政が築かせた近世城郭
②櫛形門、塗師櫓台の石垣、中門・中門櫓台の石垣
③城の北側を取り囲む丹後沢の大堀