【日本橋②】本町三丁目裏河岸
2018.01.03 08:49
町名:本町三丁目裏河岸
読み方:ほんちょうさんちょうめうらがし Honchō-Sanchōme-Uragashi
区分:俗称→河岸(町丁扱い)
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋本町二丁目5番
概要:江戸期から西堀留川沿いにあった河岸名。伊勢町堀(伊勢堀)と呼ばれた部分にあった塩河岸(北塩河岸)の北側の町。『備考』に記載はあるが、江戸図には見えない。安政版『日本橋北神田両国浜町絵図』によって、伊勢町と瀬戸物町の間で、西堀留川が堀留となり、この堀留辺りを「本町三丁目裏河岸」と俗称したと思われる。『府内沿革図書』には雲母橋を挟んだ西堀留の東に伊勢町河岸、西に本町三丁目河岸が見える。「山王御祭礼番附」では十番として、室町三町(一~三丁目)や本船町、安針町とともに加茂能人形山車を出していた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、西部は室町三丁目に、東部は伊勢町に編入となり消滅。
なお、1931(昭和6)年から翌年にかけての帝都復興計画の一環として、その際に1869(明治2)年まで本町三丁目裏河岸だった地域は全域が本町二丁目に編入となった。
※『角川日本地名大辞典』では「現行の日本橋本町1丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:本町三丁目裏河岸