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Hello world!!!congrats to 3rd season[6/1]

2022.06.01 01:09

肌の色は、白、黒、黄色に大別される。赤いマネキンや青いアバターはいても生身の人間の肌の色は白か黒か黄色である。


人間の限界は体が示唆している。右脳と左脳、右手と左手、右目と左目、二元論的な考え方は実に人間らしさだと感じさせられる。

自然界は四元素でなりたっている、火・土・風・水。それぞれが化学反応すると別のものができあがるという意味では人間の多様性につながっているから、自然というものも人間らしいと言えるのかもしれない。

それなのに、人間の肌の色は3色に分類されるのはなぜだろう。キリスト教は三位一体の神と言われているし、日本庭園のバランスは天・地・人という配置が好まれる。二次元は厨二病でも三次元はリアルであるし、男とに大別されていた時代も今は昔となり、現代ではカラフルな性の多様性こそ文明的であるというのが一般常識になってきている。

原始的な二元論の中には太陽と月というような比喩もあり、陰陽もまた、昼と夜もまた、対比対象として様々な比喩に使われてきた。

残念ながら三元論の比喩は複雑すぎるのかぱっと思いつくものが少ない。

毛利元就の三本の矢はすべての事柄の比喩として用いるには注釈がまず必要だし、三羽烏という表現はどこかをおろそかにしたらどこかに義理がたたなくなる使いにくいものでもある。


昔から3人いれば派閥ができると言われている。派閥は疑惑の温床となり、歴史の中で常に体勢の崩壊のきっかけになってきたことは言うまでもないだろう。しかしこのスクラップ&ビルドが地球を文明化させてきたことも事実である。


二元論は判断しやすい。3つあると真ん中を選びたがる心理を鑑みれば、二元論は選択肢として有無を言わせず選択を急かす意味合いをも含んでいる。


人間の肌の色は3色だとすれば、なぜ性別はいまだ2種類なのだろうか。

「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか、太陽・酸素・海・風、もう十分だったはずでしょう」という椎名林檎さんの歌詞を思い出す。

歌詞を読んで私たちは想像した。言葉が登場したことによって急に二元論化としたのではないかと。

エデンの園で食べてはならないと言われていたりんごをエバは蛇に唆されて食べてしまった。

アダムにもりんごをすすめた。

この時点でもすでに二元論の悪魔が降臨している。二元論は仲介者の悪魔の存在を忘れやすい。

構図としてはリンゴをすすめるエバと食べるか否かの選択肢を与えられたアダムである。

ここに神が登場する。

単純に「どうして裸が恥ずかしいのか?」と聞いただけなのだが、疑問を投げかけた神の登場によって三元論が成り立った。三元論には悪魔のみならず天使もその場におられる。双方の意見を聞くために仲介するものが2人必要だからだ。

りんごをすすめたエバと、食べただけのアダムと、疑問に思った神と。

言いつけを思い出したアダムはエバのせいにした、エバは蛇のせいにした。蛇は逃げた。しかし天使は逃げなかった。

ここではアダム、エバ、蛇、神という四元素が成り立っている。

その後はといえば、アダム、エバ、神、天使という4人での話し合いになってしまっていることにも気づくだろう。

神は赤いリンゴは食べるなとの約束を破ったふたりに制裁を与えた、園からの追放である。

これもまた二元論であるように見えるかもしれないが、多様な選択肢のうちのひとつであったことを忘れてはならない。神は許すことも、蛇だけを打ち砕くことも、エバだけを追放することもできたのだから。


二元論は実に人間の狭い思考範疇の選択肢だということを今一度覚えるべきだ。

リンゴは三元論への切符であったといえる。二元論しか考えられない人類にはまだ早い木の実であったのだ。

神もかけたのだろう「人間は三元論を考えられるようになったのだろうか」と試したのだと思う。

しかし人間はいまだに、イエスキリストが生まれてから2000年の時を経てもなお二元論から前進できないでいる。


二元論は事件が起きた時に単純に犯人探しをする。いいか悪いかを選択する。罰するかどうかである。仲介者が悪魔の化身だったら冤罪が起きてしまう可能性を孕んでいる。

三元論は事件が起きた時に犯人探しと、被害者の気持ちと、これからの対策とを総合的に考えていく。双方の事情と未来を創造していくのである。


真っ赤なリンゴを食べて眠った白雪姫は賢かったと思う。沈黙して自分の人生について熟考したのだから。女は左を意味し、生理があるから赤を連想させられる。女が感情的だといわれるのはそのためであろう。生理中の女は体の仕組みとしてとかくヒステリックになりがちだ。

男は逆に右を意味する、最初の人類であるから単純に解決策だけを考える合理的であると同時に短絡的であると考えられる。


そろそろ男とか女とか言ってる場合ではない。二元論から三元論へ、思考の深みを味わう時代に来ている。


第一次世界大戦で世界は他民族が存在することを思い知った。

第二次世界大戦で世界は相容れない多様性の世界を思い知った。

今ロシアとウクライナの戦争で世界は何を思い知ったのだろうか。

私たちMT SECONDは信じている、他民族と多様性の存在を思い知ったのだから今度こそはひとつになれることを。日本の希望や祖国だけが繁栄することなど正直どうでもいい、私たちは世界の希望を描いている。


we need more hope to world than Japanese hope.

we need think about 3rd season.

we need more think and talk about diversity.

It is not Red ,also Blue not.

Black White and Yellow they are.Because it is our skin color.