明けましておめでとうございますm( _ _ )m
こんばんは。
遅ればせながら、新年のご挨拶でブログ更新しました。
1年も早いですね。
2017年は何をしようかなーって考えている間に、2018年になってしまいました。
年をとったせいなのか、最近は1年がとてもはやく過ぎ去っていきます。
新年の挨拶と書いておきながら、去年を振り返るのですが、
私、すぐろにとって2017年は挑戦の年になりました。
昔から構想していた勉強会が形になった年です。
KYの会を2017年の1月8日からスタートさせました。
それから月に3回くらいのペースで無事に1年、途切れずに運営ができました。
開始当初はメンバー3名だったのが、今では約6名。
1年で倍増です(*´▽`*)
その他にも中国歴史発表会ができました。
英語の勉強会もできました。
ジブリ会も何とかやってます。
手探りでまだまだ基盤は弱いですが、1歩は1歩ですね。
頑張ります。
もちろん自分だけではこんな事、できる訳もなく、
賛同者の方々の協力がなければ、まず不可能でした。
参加する方には色んな方がいて、自分では思いもよらない様な考えを持ってる人がいて。
勉強会よりも、色んな人と一緒に勉強会をやっていく事の方が勉強になりました(笑)
1つの事を人を巻き込んでやるというのは大変なのだなあと。
身をもって学んだ2017年だったのです。
そんな私の環境を知ってか知らずか、父から興味深い話を聞くことができました。
私の実家はお寺をやっていて、年始は修正会という法会を行います。
そこで父は住職として年始の挨拶と少しお話をするのです。
勿論、私も参加して父の話を聞いたのですが、
そこでこんな言葉を聞きました。
「和とは不和なり。不和の悲しみなり」
曽我量深という宗教家の言葉なのですが、私にとってはタイムリーな言葉でした。
人は和を大事にするけれども、和を大事にする人は、和を乱す人を排除してしまう。
すると結果として、それは不和になる。
和というものは、お互い和することができないという悲しみの視点に立った時に、
初めて和になる、というものでした。
勉強会で私はまさしく「和」を大事にしよう、いがみ合わないようにとやってきました。
しかし、一方で「和」を人に押し付けて、そうでないものを排除しているのではないか。
父の言葉に考え込んでしまいました(笑)
まだこの言葉に対しての自分の答えは出ていません。
色んな人が集まってやっていく勉強会。
これからも悩みや面倒事は沢山出てくるでしょう。
そんな時に「あぁ自分も相手も分かり合えないんだなぁ」と、
思わせてくれること言葉は金言になるだろうと感じました。
2018年は五感で学んだことをフルに取り入れて、
勉強会をより良い充実したものにさせていこうと心を新たにした次第です!(^^)!
会の数より中身・人数をより充実させ、同時に自分も成長していきたいです。
今年もよろしくお願いいたしますm( _ _ )m