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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第1回十字軍18-アンティオキア公敗死す

2018.01.06 02:08

アンティオキア公国では留守居役のタンクレードが張り切って領土を広げていた。約束の3年が経つとめでたく領主。しかし残念ながら、その3年目の1103年に捕らわれの身であったボエモンが帰ってきた。一説によれば、ハーレムの女性とねんごろになってアミールに謁見させたという話もある。

タンクレードは退職金もなく、「ごくろうさん」と解任。元のガリラヤはとっくにエルサレムのボードワンのものになっていた。しかしこの若武者は、反乱など考えずにそのまま叔父のボエモンの下につく。そして正直者に神は報いたもうた。

ボエモンはエデッサのボードワン(エルサレム王のいとこ)と1104年に復帰戦をするが大敗し、ボードワン@いとこが、捕虜になり、タンクレードはまたエデッサの領主代理。さらにボエモンが、フランスに凱旋することになり、アンティオキアの摂政にもなった。

フランスに帰ったボエモンはモテモテで、50歳近くになりフランス王女と結婚、ついでにタンクレードにも嫁を世話した。だがボエモンは調子に乗りすぎて、集めた兵でビザンチンを攻撃して敗北。1111年にアンティオキアに帰れず亡くなり、アンティオキアは実質タンクレードのものとなった。エデッサは返還するものの、彼はアンティオキアを十字軍随一の強国とする。

下はボエモンの出陣